精霊の住む『村』
オーガが行かせまいと立ちはだかった洞窟の奥の方に歩く。どれだけ歩いたら到着するのかわからない。この先に何があるのかもわからない。ちょっとした不安になるが、僕はプロイに連れて行くと約束した。でもついさっき死にかけたし、連日の試練で疲れている。
疲れからか、なにかがおかしい。違和感がある。
そうだ。空気が違う。さっきまで涼しかったのが、いつの間にか少し温かさを感じる。そして甘い。甘い香り。何か甘さを感じる。
いや、甘いのは香りだけではなく、舌も甘さを感じている。空気が甘い。そんなことあるのか。
「なんか、おかしくない?」
僕は二人に尋ねた。僕は知らない空気だが、二人は知っているだろうか。
「うん。なんかおかしい」
そう応えたレックの額から、汗がにじんでいた。
汗。僕も汗ばんでいることに気が付く。そういえばやけに湿気があるし、温かい。
「なんだろうこれ」
プロイも汗を拭い、不思議そうな顔をしている。
それでも僕達は歩き続けた。気温は少しずつ高くなっているのを感じた。気にしなければわからないくらいに、微妙に少しずつだった。そして、足元の凸凹は少なくなくなっていた。
しばらく歩くと、甘い空気が濃くなっているのを感じていた。すると、僕達の背後から声がした。どこかで聞き覚えのある声だ。どこだっけ?
「まさかね。ここまで来ると思わなかったな」
プロイは驚く。契約した精霊が自分の意思で外界に出ていることへの驚愕。
「アグニ、出られるの?」
精霊が自分の意思で外界に出ることはない。外界では生きられないと言われていたし、姿を現すには、契約者の力を分けてもらう許可が必要だったはずだ。
「ここはアムリタが満ちてる所。精霊のテリトリーだからね」
そうだ。アグニの声だった。僕が見たのはこれで二回目。
「ノイ君、久しぶりね。レックさんとは初めまして」
アグニは笑顔で挨拶すると、そのまま歩きながら言葉を続けた。
「この甘いのがアムリタ。私達『精霊』の栄養源なの。外界はね、契約者から力を分けてもらわないと生きられないんだけど、ここなら生きていける」
「そっか。私、驚いたよ」
プロイも知らないことだったようだ。僕は、精霊が僕達の世界で生きられないということも知らなかったわけだけれども。
「そうね。ノック……あなたのお母さんが伝えてないことはたくさんあるからね」
そうだった。プロイは魔導師として、母親から精霊使いの術を教わっていない。僕もレックもそれは同じで、その時期が来る前に両親を失っている。
「プロイ。そのうちに教えるから、心配しないでいいよ」
「うん……」
プロイの顔は浮かない。僕もレックも同じだ。両親を失ったときの絶望感を思い出していた。
「さて、そろそろ村よ。まずはここの長老に挨拶しないとね。案内するから着いてきて」
アグニはそのまま洞窟の中を歩く。空気の甘さのは更に濃くなっている。僕達はアグニに従った。
アグニが村と呼んだ場所は、両端の洞窟に横穴が掘られているだけで、僕には何の気配も感じられなかった。思い切って聞いてみた。
「アグニさん、僕にはなにもないように感じられるんだけど」
「ノイ、『さん』は要らないよ」
「あ、うん。アグニ、ここは気配がないんだけど」
言い方を変えて訊きなおす。
「見ず知らずの人間が来たから警戒してるのよ」
「警戒?」
「そ。警戒」
「なんで?」
「そういう種族なの。それよりそこが長老の家だから、そそうのないようにね」
アグニの目線の先には、大きな横穴があった。
「ここ?」
「そうよ。私から入るから、挨拶は私を真似てね」
アグニは入り口に立つと一礼し、そして中に入って一礼した。僕達は慌てて同じように中に入った。
その穴の中は広かった。僕達が歩いてきた洞窟よりも天井は高く、横にも広い。目の前には低い塀があり、その中心には門が解放されていた。その奥には石造りの家が見える。
アグニはその門に入り一礼した。僕達もその後から入り、一礼する。
「久しぶりだな、アグニ。まだ生きていやがったか」
建物の前にある庭には台座があり、そこに座った大柄な男が見下ろしていた。その後ろに、多くの精霊が隠れていた。村の精霊はここに集まっていたということなのだろう。
「あらご挨拶ね、インダラ。久しぶり。あんたもなかなかくたばらないわね」
アグニはにやりと口元に笑みを見せ、そして一礼して近付いた。
「久しぶりだな、古い友よ」
「ちょっと世話になるね。よろしく」
インダラは立ち上がり、アグニと軽い抱擁を交わした。そして振り向くと、後ろに隠れている精霊達に声をかけた。
「安心していいぞ」
その声を号令に、精霊達が前に出てきた。珍しいものを観る視線で、僕達を眺めている。
「プロイ、ノイ、レック。挨拶して」
僕達は慌てて一礼した。
「それで、その娘がノックの忘れ形見か」
インダラはプロイを見てアグニに話しかけた。
「そう。あの娘。逸材よ」
「目的は契約か」
「当然でしょ。プロイこっちに来て」
アグニは興味深い視線に困っているプロイを呼び寄せた。
「自己紹介してね。あと自分で希望を伝えて」
プロイが大きく深呼吸した。それでもどうにもならないほどに緊張しているのが僕にも伝わる。
「初めまして。ノックの娘、アグニの契約者のプロイです。私と契約してください」
一息で言葉を出した。
突然の申出にインダラは苦笑しながら口を開く。
「俺は契約しないぞ」
その言葉でプロイは顔を赤くする。
「あ、そうじゃなくて、あの、私とどなたか、あの、雷の精霊と契約したいんです」
緊張で言葉がうまく伝えられていない。
「ははは。ちょっと意地悪したかな。すまんすまん」
プロイの顔は真っ赤だ。緊張は多少薄まっただろうか。
それを見たインダラは、口元を緩めて笑顔になる。そして、プロイをじっくり観察した後に、若い女性の精霊に声をかけた。
「クマーリー、お前が契約しろ。外の世界を観てこい」
「え? 我が?」
クマーリーと呼ばれた精霊が戸惑っていた。背の丈も見た目の年齢も僕達と同じくらいだ。栗色の長い髪は腰まで届き、身体を動かすと気持ちよく揺れる。羽織っている黄色いローブ越しに細い身体の線がうかがえる。色白で、長い髪と同じ栗色の瞳が大きい。
「ああ、外の世界を観るいい機会だ。修行も兼ねて行ってこい。修行が終わったら、その後は好きにしろ」
「好きにしろってどういうことです?」
口調が強い。多分、間違いなく、僕の経験上の感想だけど、確実に気が強い。
「言葉の通りだ。契約が終わって戻ってくるのも、このアグニのように家系と契約するも、根無し草になって人間世界をさまようも、他の村に住むのも。どうするのも自由だ」
インダラは少し寂しそうな眼で、それでもきっぱりと告げた。
「何故、我がこのような人間なんかと契約しないとならないのですか」
クマーリーはプロイを一瞥するときつい口調で返す。インダラは仕方ないという顔をして口を開いた。
「仕方ない。精霊術師と精霊との儀式を執り行う。プロイ、このクマーリーと手合わせしてくれ。クマーリー、いいな」
インダラはそう告げると、背後にある広場を指さした。
「あの四角い仕切りの中でやれ。どんな手を使ってもいい。枠の外に出るか、負けを認めたら負けとする。いいな」
「何故、我が……」
クマーリーはぶつぶつ言いながら広場に向かう。
「はい。儀式に従ってなんでもあり、ですね」
プロイも不機嫌だ。自分との契約をしたくないと露骨に意思表示をしたクマーリーに対して不機嫌になっている。無言で僕にバックパックを押し付け、杖を持って広場に向かった。
「儀式って何?」
僕は横にいたアグニに尋ねる。
「人間がね、契約するに値する力があることを精霊に示すの」
「どうやって?」
「見てればわかるよ」
アグニはプロイのことが気になるのか、細かい説明はしたくないようだ。僕は黙って観ることにした。
「人間と精霊との古くから伝わる儀式に従う。準備が整ったら宣言を」
プロイとクマーリーは、仕切りの端に立ち、お互いを見る。
「クマーリー。私の名はプロイ。契約し、私の命が尽きるまで仕えなさい」
「プロイ。我が名はクマーリー。主とするにふさわしい器か見せるがよい」
儀式に従った言葉を交感し、構えた。
プロイは杖を右手に持ち、左手で魔術の印を結ぶスタイル。僕が見たことのない、プロイが一人で魔導師として戦う姿。
一方のクマーリーは自然体のままだった。プロイの出方を様子見している。
「いくよ」
プロイは不機嫌だ。自分が緊張して恥ずかしい思いをしたこと、クマーリーが自分と素直に契約しなかったこと。何かのスイッチが入る。
そうだ。不機嫌な時、プロイの発する力が強くなることを僕は知っている。
「いつでも」
クマーリーはそれまでの不機嫌さはなく、冷静に応えた。
プロイは何かを唱え始めた。左手で結ぶ印が素早く書き換えられている。僕は目を凝らすと、印を書き換えるごとに、魔法陣が空中にも地面にも天井にも発現しているのが見えた。
クマーリーもそれに気が付いているようだ。大きな眼を動かし、発現するそれを見ている。そして、発現した魔法陣が一呼吸置いたタイミングで氷、或いは水、或いは火といった魔法がクマーリーに向かう。
「これは面白い」
向かってくる魔術を手で払いのけながらそう言うと、頭を大きく振った。
パアアアン!
大きな音が響く。
クマーリーが振り回した長い髪の毛は、そのまま無数の雷となり、走り、魔法陣にぶつかり、そして弾ける。魔法陣と雷は相殺し、消えていた。
「ふうん、そうするのね。もっと私にあなたの力を見せてもらわないとね。私が契約させてあげる価値があるか、見せてもらうから」
プロイが印を結ぶ左手の動きが早くなる。一秒で一つの魔法陣が発現していく。
僕はプロイの仕草に疑問を感じた。いつもの効率よく、効果的な手段を選ぶやりかたではない。魔法陣を発現させるために消費する魔力は少ないことは確かだが、魔法陣が発現し、発動し、攻撃を加えるまで時間がかかる。クマーリーのような相手にはダメージが与えられない。何か狙っているのだろうか。
「芸がないわね。我が従うにふさわしい術を見せなさい」
クマーリーは発現した魔法陣を雷で壊していく。魔法陣の発現と雷の球が交錯し、光と音と土煙で仕切りの中はさながら嵐のようだ。鍛え上げた眼を凝らして、やっとプロイとクマーリーの姿が見えるかどうか。
それでも、力比べと言うには少し軽い、ジャブの応酬が続く。
キリがない。何かおかしい。違和感。
その時僕は気が付いた。
アグニの髪型がいつの間にかショートヘアになっていること。
プロイがいるところに、プロイの気配がないこと。
「あっ」
レックも気が付いたようだ。
クマーリーの背後に強い力が産まれていること。
そう。印を結んでいるのはプロイではなくて、アグニの分身だということ。
つまりは、プロイが姿を消して、クマーリーの背後にいること。
そして、姿を消しながら、杖の先端に魔法力を込めていること。
「どうしたの! つまらないよ」
クマーリーは気が付いていないながらも違和感はあるようだ。何かがおかしい、小さな魔法陣を発現させる意図がわからないと思いながら、それでも現れる魔法陣を壊すことに注意が向いている。
「これはどうかな」
少し力を溜め込んで結んだ魔術の印で、アグニの分身が空中に大きな魔法陣を発現させた。これはアグニが発現させたのだろう。魔法陣から炎が見える。
「なにが」
クマーリーは右手に雷の塊を召喚すると、それを魔法陣の中心に投げた。
パアアン!
大きな音が響く。しかし、魔法陣は壊れていなかった。アグニがどれくらい本気で発現させたのかわからないが、強力なものなのだろう。
「!」
クマーリーは一瞬戸惑うが、両手を前に掲げると大きな雷の球を召喚した。さっきの倍以上の大きさはあるだろう。発現し続ける小さな魔法陣を髪から発する雷で壊し続けながら、その両手を広げて雷を伸ばし、槍を創り出した。
「これが我が力。見るがいい!」
そう叫ぶと、その雷の槍は炎の魔法陣に投げられた。
バアアアアアアンッ!
轟音が洞窟の広間に響き渡る。
雷の槍は炎の魔法陣に突き刺さり、そして光り、共に消滅した。行き場を失った魔力が光り輝き、そして散っていく。
「やるわね」
プロイ、いや、アグニの分身が微笑む。
「そっちもね」
クマーリーも微笑む。しかし違うところから声がした。
「でも残念ね。こっちよ」
プロイはクマーリーの前に姿を現すと、光り輝く杖を振りかぶった。魔法力が込められているのだろう。僕はその杖に恐怖を感じた。あれはやばいやつだ。オーガの平手打ちどころではない。
「え?!」
声に驚いたクマーリーの前で、それを振り下ろす。杖の先はクマーリーの顔面をかすめた。
バアアアアンッ!
再びの轟音と振動と光。土煙が舞い、見えなくなった。
「!」
何が起きたのかわからないのだろう。見ていた精霊がざわつく。
土煙が収まると、そこにはプロイとアグニが立ち、そしてクマーリーはへたり込んでいる。その目の前には大きな深い穴が開いていた。そのクマーリーの表情には、もう戦意はなかった。
「勝負あり、だな」
インダラはその様子を見て、誰も怪我のないのを確認し、満足して微笑んだ。
「クマーリー、よろしくね。私達と旅しましょう」
プロイは微笑み、座ったままのクマーリーに手を差し伸べた。
「プロイ、我が命と力は主に捧げることを契約する」
クマーリーは懐から魔法石を取り出すと、差し伸ばされたプロイの手を握り、渡した。
*
僕達はそのまま一泊した。僕は案内された部屋に入り、すぐ横になると、疲れがあったからかそのまま食事もせずに眠ってしまった。プロイとレックは同じ部屋に泊まり、アグニとクマーリーと話し込んだようだ。朝起きると、全員が眠そうな顔をしていた。
わかったことはいくつかあった。
アグニの分身がプロイと入れ替わっていたけれども、あれはアグニが提案したことらしい。なんでも、アグニが出会った平均的な竜族と戦えるかを試したかったということだ。竜族を基準にしたのは、プロイが行かなければならない場所、精霊達が住む『村』が竜族の領地の中にもあるから、ということだ。その『村』には、プロイの母親が遺したものがあるらしい。
レックは、自分が精霊と契約することも考えて相談したようだ。結果としてはだめだった。レックの生命が極端に短くなることが原因で、それと引き換えに得られる力は、今のレックが持つ力を上回るものではなく、割に合わないということだった。
それと、レックが探している祖先の後始末も話題になったようだ。どうやらプロイが行く先には、オーガに似たような『脅威』が門番となっている場所が多いらしい。しばらく二人で行動することを決めたという話もあった。
話を聞いて少しうらやましくなった。目的。プロイにもレックにもある。僕には目的がないし、得られたものも僕にはなかった。
この試練で冒険者になる資格はもらえたが、それだけだ。それに、僕は冒険者になりたくて来たわけではない。なんとなく、話を聞いて、腕試しをしたかっただけだ。
あ、そういえば勇者の力が発動したか。でもそれだけだった。得られたというのとはちょっと違う。僕がこの試練で何かを求めていたわけではない。だから手に入れたものはなかったのかもしれない。冒険者になってやりたいことがあるわけでもない。でも面白かった。
『村』の広間でプロイが精霊と話しているのをぼんやりと眺めながら、僕は浮かない顔をしていた。
「ノイ、あなたの母君はマイなのか」
ぼんやりとしていた僕にの目の前に現れたクマーリーが問いかけた。
「え、あ、はい」
何を知りたいのかわからない。
「マイがここに来たことが一度あってだな。そのときに手合わせをしたんだ」
「はぁ」
「マイは我らも知らない術を使っていた。体術なのか魔術なのか、さっぱりわからなかった。我も手合わせしたが、何が起きたのかわからなかったのでな」
「え?」
「貴君は、父君のヤイから勇者の術を受け継いでいるようだが、マイの術は身に付けているのか?」
母親は魔術師だったはずだ。体術を使うというのは初耳だ。
「いえ、何も知らないです」
僕の残念な答え。
プロイが他の精霊と話しているのを見て、クマーリーは小さな声でつぶやいた。
「そうか。いつか知りたいものだな」
「その。どんな術だったのですか?」
「そうだな。なんというか、体格の大きな相手を転ばせたり投げ飛ばしたりするのが得意なようだった。長老のインダラも転ばされてな、あれは盛り上がった。魔術を使った気配はなかったのだが、我が知る体術にはない」
そういえば、僕は父親からはいろいろ教わったが、母親からは何も教わっていなかったことに気が付いた。なんで何も教えてもらえなかったのだろうか。
「その、何も知りませんでした」
「そうか。マイが、プロイの母君のノックとこの地に二人だけで訪れたのは驚きだった。魔術師二人だけであの脅威をどうやってすり抜けたのか、皆が知りたがってな。そうしたら、投げ飛ばしてそのまま走ってきたと答えた。それは信じられないということで手合わせしたのだがな。まったくもって不思議な技だった」
僕が必死になってもかなわなかったあのオーガを投げ飛ばした?
「マイは極東の島の出身だと聞いたが、彼の地の技なのかもしれぬな。叶うのならば、もう一度見たいものだ」
極東の島。僕の母親の産まれた地。ちょっと興味がわいてきた。行ってみたら何かあるかもしれない。
「そうですか。僕も興味があります」
「うむ」
クマーリーが僕に微笑んだ。僕は少し照れた。
「ノイ、そろそろ行くよ!」
話が済んだのだろうか。プロイとレックが手招きしていた。




