オーガの『脅威』
僕達は朝早くに目が覚めた。朝早くと言っても、洞窟の中では昼も夜もランプが灯っていて、窓の外の明るさで時間を想像することができないわけだが、腹の減り具合でなんとなくわかる。
宿が準備してくれた部屋着を脱いでたたむ。そして自前の服を着て、皮鎧を装備する。バックパックには昨日食べ損ねた猪肉の燻製が入っている。日持ちするから、これは地上に戻ってからでも食べればいいだろう。
身支度と荷物のパッキングを済まして食堂に行くと、僕を待っていたかのように、デンが座っていた。
「おはよう。よく眠れたかい」
「いいえ。なんだかいろいろ複雑で」
「ふむ。そうか」
デンは僕を見て続けた。
「それはそうと、お前さんの剣、カタナな、それは背中に背負うよりも、腰紐に挿して固定した方がいいぞ。抜き差しが楽だ」
「え、あ、はい」
僕は肩にかけていたカタナを見る。確かに、バックパックを背負うには、カタナを斜めにかけられなくて不便に感じていた。紐を肩から外し、左側の腰紐にカタナの鞘を通し、鞘の紐を腰紐に結ぶ。
動いてみると、多少不安定で揺れる気がする。少し気になるが慣れだろうか。左手で鞘を掴み、右手でカタナを抜いてみると、ちょうどよい長さであることに気が付く。
「いいですねこれ。ありがとうございます」
「いや、礼はいいよ。もともと、カタナは腰に結ぶのが作法だからな」
「そうなんですか」
僕はまた知らないことがあったことを知った。
「ノイ、早いね」
僕がデンと話している間に、プロイとレックが降りてきた。
「それじゃ、気を付けてくれ」
デンは笑顔で立ち去っていった。
「お、腰に挿したのね。いいねそれ」
レックが僕を見て言う。カタナを腰に付けたことに気が付いたようだ。
「うん、デンさんに教えてもらった」
「支度できてるみたいね。それじゃ行こう」
プロイは先に外に出た。
今日は、プロイが行きたがっていた精霊の住む下層に向かう。途中にはオーガがいるということで、どうするのがいいのか、話しをしながら進む。
「オーガって、鬼でしょ。食人族」
プロイが重い口を開いた
「うん。確かそう」
レックも気が重そうだ。いつものような軽口が出てこない。
「足止めして、その間に走り抜けられるのかな」
僕は提案した。しかし、できるかどうかはわからない提案に、プロイは冷たく返す。
「オーガって、足も速いの。バラバラに動いたら、きっと全滅コース」
レックも思案顔だ。
「正面から、出口の方に押し込んでいくのがいいのかな」
僕は考える。倒せないながらも防御できるのなら。
「えっといいかな。僕が前でオーガの攻撃を防ぐ。それで位置を入れ替えて、僕達の背中が出口に向かうようにするんだ。それで徐々に後退していく。どう?」
僕の言葉に、レックもプロイもそれならばという顔つきでうなずいた。
「ノイ、でも防御できるの?」
プロイは少しの不安な気持ちを言葉にした。
「やるなら任せるよ」
レックはさっぱりと僕に言う。
「でも私達の体術には期待しないでね」
プロイはそう言うと、下層に続く扉を開けた。
薄暗い洞窟だった。ランプもそれまでの試練の道と違って、数が少ない。初心者向けに作られた場所ではないということなのだろう。
洞窟は広く、緩やかな下り坂でまっすぐに伸びていた。何もない岩肌だけが続いている中を、しばらく歩いたところで、それまでの洞窟が広間になっていた。その天井の中心に、ランプが灯されている。
その向こうに、建物らしきもの、いや、かつては建物だった瓦礫が壁に沿って存在していた。広間の中央はかつて道だったのだろう。天井のランプがその上に設置されていることからそれがうかがえる。
見渡すが、何かがいる気配はない。オーガがいるという説明が本当ならば、気配を殺して隠れているということだろうか。
「隠れて行けないね」
プロイが絶望的な顔をする。
「どこかで見ているのかな」
レックは眼を凝らして前を見ていた。
「僕が前を歩くから、二人は少し離れて着いてきて」
僕は一歩前に出ると、カタナの柄に手を置きながら歩いた。これもデンに教わった歩き方だ。
僕はゆっくりと、周囲の気配を気にして前に進む。プロイとレックはその後ろを、やはり警戒しながら歩く。少しの気のゆるみが許されない。
両端に瓦礫が並ぶ道をゆっくりと歩く。何かいる気配が感じられるようになったが、どこにいるのかわからない。僕は気を引き締める。
そうしているうちに、出口が見えてきた。広間が終わり、洞窟になっているのが見えた。僕達はそれでもゆっくり歩いた。
ドン!
突然の音と共に、天井から何かが降ってきた。舞う土煙でその姿ははっきり見えないが、三メートルはあるだろう大きな塊に見える」
「なにこれ」
プロイが声を出すと同時に、土煙が吠えた。
「グオオオオオオオ」
オーガだ。間違いない。
「下がって」
僕は左手で鞘を支えて右手でカタナの柄を持ち、抜刀できる構えで土煙の気配を読む。
(右)
僕は抜刀し、そのままその気配を斬る。
ザン!
手応えはあったが浅い。
(前)
カタナを振りかぶると、向かってくる殺意に対してそのまま振り下ろす。
ガン!
今度は弾かれた。しかし、その殺意も後退したのを感じた。
僕は正眼に構えると、そのまま気配を読む。そして、舞っていた土煙が落ち着いてきて視界が晴れてきた。その殺意の姿に僕達は恐怖した。
「バケモノ」
僕は思わず言葉を漏らす。
そこには体長四メートル近くの、小太りな裸の亜人が立っていた。肌は灰色で髪は茶色がかった色だ。赤い眼は僕を見る。そして口元が緩む。
ジュルリ
オーガが舌なめずりをする音がした。僕を食べ物と認識したのを感じた。殺意が食欲に変わるのを僕は感じた。オーガの両腕が、僕を引き裂くために動いていたその腕が、僕を捕らえるための力加減に変わったのがわかる。ありったけの力で僕を潰そうとした足は、僕を動けなくなるまで蹴るだけの力加減になったのがわかる。
「ふざけるなよ」
恐怖心に押しつぶされそうだ。悪寒が僕の背筋を凍らす。嫌だ。
「ノイ!」
その掛け声に、僕は我を取り戻す。嫌な思考を止めてくれたのはプロイの掛け声だった。僕は落ち着こうと大きく息を吐きだし、吸う。
「うん、ありがとう。大丈夫」
僕はカタナを改めて正眼に構える。背中の嫌な汗も引いた。
「それじゃいくよ。僕が注意を引き付けるから、隙を見て裏にまわる。いい?」
落ち着いた声で、プロイとレックに確認した。
その瞬間を待っていたかのように、オーガは動いた。僕の右下から、オーガの左腕が来るのがわかる。
ガン
カタナをその動きにあわせてしのぎ、わずかでも衝撃を抑えようと、僕は後ろに跳ぶ。その僕の動きを察していたのか、オーガは一歩踏み込み、その右腕を上から振り下ろす。
ドン
僕もそれを、オーガの動きを感じていた。刹那の差で僕はもう一歩後ろに跳ぶ。オーガの右手が地面を叩く。衝撃が瓦礫の広間を震撼させる。空を切ったその手はそのままオーガの体重を乗せて、そのまま前に出てくる。オーガーの顔が、その大きな口が目の前に現れる。
ザッ
僕は、オーガの攻撃が読めていた。冷静にオーガの口の端にカタナの先が触れるように当て、そのまま前に踏み込む。オーガの口角に傷を負わせた。
オーガの口角から血が噴き出す。眼が一層の赤味を帯びるとその血は止まる。デンに聞いていたからこそ慌てないが、初めて見る現象に驚いていた。
それでも僕は走り、跳び、与えてもすぐに塞がる傷に無力感を感じながらも、それでも確実にオーガの気を引いていた。うまく挑発できている。このままオーガの入れない出口の洞窟まで、三人で移動できればいい。
「レック、行こう」
プロイがレックの手を引いて走り始めた。
「あ、うん」
レックはなぜか冴えない表情だ。僕は少し気になったが、オーガの攻撃を避けるのに全神経を傾けないといけない。
今度は下から、上から、右から、左からと見せかけてまた右から。感じる。
ガン
キン
ドンン
タン
ザッ
オーガにも、僕達の考えていることはわかっているのだろう。出口に近づこうとする僕の行く手を阻むように身体を入れてくる。
それでも僕はそれを必死に読み切る。わずかな隙間を作り、少しずつ出口に近づく。
上、上、右下
殺意と食欲に怒りが加わってきた。憤りに近い怒りを感じる。僕が思い通りにならないことへの怒りだろうか。
プロイとレックは隙を伺い、横をすり抜けた。出口で僕を待っている。あとは僕がオーガの横を抜ければいい。
しかし、オーガの攻撃を防ぐことに精一杯でそれどころではない。
右、上、下。オーガの殺気を感じるままに避ける。横に跳び、後ろに跳ぶ。
ドン
後ろに跳んだ背中に廃墟の壁が当たり、僕はバランスを崩す。
しまった。まずい。左からオーガの拳が来る。避けなければ。
慌てて、僕は前に跳ぶ。左からの拳は避けられた。でも遅かった。
ドン!
拳を避けたその瞬間、突然の衝撃が僕の背中を襲った。そして、その衝撃と同じ衝撃が身体の前面から。
目の前にはオーガの顔があったはずなのに、なぜか地面がある。視界が動かない。動かせない。全身が痺れて動かない。
背中の衝撃、目の前の地面、そして動かない身体。そこで僕はオーガに打ちのめされたことに気が付いた。不覚だ。
「ゴフッ」
僕の視界は急に回る。その視界の端に見えた僕の口から赤いものが飛び出していた。
口から血を吐いている。腹を蹴られたのか。そういえば、腹に衝撃があった気もする。
僕の意識は揺らぎつつ、様々な思いが瞬間的に目の前に移る。その向こうには天井が見えて、でもそれが動いて壁が見える。地面。灰色の大きな手。
「ノイ!」
プロイが叫んでいる声が聞こえた。でも反応できない。
大きな手が近付いてくる。あれは危険だ。でも動けない。諦めるしかないのか。
バン!
正面からの衝撃が身体を突き抜けた。僕の身体は放物線を描くことなく、そのまま一直線に壁に向かう。
ドン!
僕の身体は壁に打ち付けられ、背中からの衝撃が全身を痺れさせる。そのまま壁からずり落ち、転がった。痺れて動けない。意識ははっきりしているのだろうか。視界は消えない。
気力が消えていく。無気力。何も考えられない。
僕の眼に、ゆっくりと近づいてくるオーガが映る。動けない。恐怖で動かないのではない。猫に弄ばれてボロボロになったネズミのように、動く気力が根こそぎ奪われていた。
そして時間と共に痺れが薄れると、身体が痛みを感じ始めた。身体の全てから、皮膚から骨、内臓、全てが悲鳴を上げ始めた。
死?
僕は死という言葉を思い浮かべた。この苦しみ。痛み。それからの解放は魅力的だった。それが一層、気力を失わせる。
もうどうでもいい。今を終わらせたい。
僕は近付いてくるオーガに、この命を奪われることに抵抗感がなくなっていた。敗北。絶対的な力の差が敗北を受け入れる。
気力のない僕を見たオーガは、少し物足りないような、そう、楽しみが終わってしまったような顔付になったように見える。それでも僕には悔しさはない。仕方ないという気持ちが僕を満たした。
僕はオーガを見た。ゆっくりとした足取りで近付いてくる。せめてその最期まで目を開いておこうと見続けた。
オーガの向こうにプロイとレックがいる。プロイは何かを叫んでいたが、その声は僕には届かなかった。レックは腰に固定していたダガーナイフの鞘を外し、いつもは抜き身のナイフを目の前にかざしているが、左手で鞘をそのまま持ち、右手で柄を持ち、何かを唱えていた。レックは何かしようとしているのだろうか。今まで見たことのない詠唱だ。
レックの横で叫んでいたプロイが、何かを決したような顔付になると、オーガに向かって走りだした。
無理だと僕は心の中で叫んだ。やめてくれ。逃げてくれ。でも声が出ない。
プロイはその勢いでオーガの足に杖を打ち込む。乾いた軽い音が洞窟内に響いた。
しかしオーガはものともしない。魔導師の打撃ではどうにもならないことは、プロイもわかっているはずだ。
僕はプロイを見る。必死な形相なのがわかる。何度も殴っているのが見える。
僕はオーガを見る。プロイを見ずに笑っている。
「う……」
僕は叫びたかった。構わず行けと。でも声が出ない。
ゆっくりとオーガはプロイに視線を移す。そして優しく撫でるようにプロイに手を当て、弾き飛ばした。プロイの身体が宙を舞い、地面に叩き付けられ、そして転がった。
やめろ!
絶望感と無力感に支配されていた僕の身体の芯から、自分への怒りが産まれ、刺激する。今動かなければ、大切な仲間を失う。僕には何ができる? 動け。動けこの身体。
全身の痺れが治まっていた。プロイとレックを護りたい。その気持ちが僕の身体を動かした。絶望感はどこかに消えた。
しかし立ち上がろうとした僕は、さっきまで痺れていた身体に力が入らない。呼吸を整え、体制を整え、足で踏ん張り、両手を地面に突き立ち上がる。
僕はありったけの力を振り絞る。さっきまでの無気力な僕ではない。まだ戦える。
「うおおおおおおお!」
僕は吠えた。その声にオーガは立ち止まり、僕を見る。ちょっと驚いた顔をしたのがわかった。
「やらせるか!」
声も出るようになった。そして力が湧いてくるのを感じた。体の芯から、熱い気が生まれ、血と筋肉を震わせ、体中の皮膚からあふれ出すのを感じる。
勇者の力。
仲間を護る盾となり、脅威に立ち向かう力。勝つか負けるかではない。生きるか死ぬかでもない。立ち向かう力。その力が目覚めた。
僕は地面に落ちていたカタナを拾い、全身の力を込めて踏ん張り、オーガに跳びかかる。
ザン!
浅い傷しか与えられないのはさっきと変わらない。そして、その傷はすぐに塞がるのも変わらない。それでも僕は、斬りつける手を休めない。手、足、腹。斬り続ける。
にやついていたオーガの表情が怒りに変わった。目が赤く光る。
今度は油断しない。僕はオーガの殺気を感じながら、瓦礫も避ける。
右、下、上、違う、下だ。そして前。
僕は感じたままにカタナでそれを受ける。全身から溢れ、僕を包み込む勇者の力が、オーガの打撃を受け止める。
多少の余裕ができた僕は、周りを感じることができた。後ろに壁があればそれにぶつからず、足元が悪いところでは踏ん張る。同じ失敗はしない。
プロイが立ち上がったのが目に入った。動いている僕を見て、安心したのか、レックのいる広間の出口に戻っている。その出口では、レックが詠唱を続けていた。
「ノイ!」
プロイは僕に声をかけた。
「あと三十秒!」
何が三十秒なのか、僕にはわからなかった。でも考える前に殺気が襲ってくる。余裕がない。
「まかせろ!」
わからないけど三十秒。やるしかない。僕はオーガの攻撃を避けながら、声を出した。
オーガの怒りが増していくのがわかる。眼の赤味が増している。繰り出す拳も早くなり、僕の勇者の力で受け止めるのも厳しい。衝撃が僕の身体に少しずつ、確実にダメージを蓄積させていく。
あと二十秒。
とりあえず避ける。わかりやすい殺意をかわしながら、僕は左右に動く。多少のダメージは仕方ない。まだいける。
あと十秒。
オーガの背中越しに見えるレックが詠唱を終えているのが目に入った。ダガーナイフを両手で掲げ、握りしめたその柄に飾られている丸い魔法石が光を帯びている。レックは、それまで閉じていた眼を見開き、大きく息を吸い込んだ。
「ノイ、こっち!」
プロイが声を上げる。その横からレックが、ダガーナイフを両手で掲げたまま、まっすぐに歩いてくる。
オーガも攻撃を止めて振り返った。レックの発する気に気が付いたようだ。僕にもわかる。レックの発する気は、殺意ではない。慈愛だった。オーガにも違和感があったのだろう。僕から気を逸らしてレックを見た。
レックはゆっくりと歩いていた。その眼はオーガを睨んでいる。オーガも身体をレックに向けた。足を止めたまま注意深く見ていた。その背中をすり抜け、僕は広間の出口に向かって走った。
「ありがとう」
レックは僕とすれ違うときにボソリと言った。僕の足は一瞬止まる。
「あれは私の敵だ」
そう発したレックはそのまま歩いた。僕は慌ててプロイの横まで走った。
オーガは身体を動かさずにレックを睨む。その距離は十メートルになったところで、レックは足を止めた。
「血の呪い!」
レックはそう叫ぶと、ダガーナイフを鞘から抜いた。刀身がまばゆい光を放ち、そして伸びる。
ピシッ
その瞬間、ダガーナイフの柄に飾られていた、光を帯びていた丸い魔法石にヒビが入った音が響いた。
「浄化!」
レックは叫び、そのまま光の剣に姿を変えたダガーナイフで、オーガの腹部を横に切り裂いた。
斬撃の音はなかった。ダガーナイフが発した光の剣が、音もなく滑らかに、オーガの身体を切り裂いた。僕のカタナではかすり傷しか与えられなかったたオーガの身体は、上半身と下半身が分かれ、地面に落ちた。そしてその身体は砂となり崩れた。
それと同時に、ダガーナイフの柄から、ひび割れた魔法石が光を失い地面に落ちた。レックはその魔法石の欠片を拾い、天井を見上げた。
「いい術だった」
突然声がした。いや、声というよりも、無機質で感情のこもっていない、抑揚のない音だった。
「誰」
プロイが杖を構え見渡す。でも僕達の他に気配はない。
「わが子孫よ。よく来た」
その声に反応し、レックがオーガの死体に近づいた。
「何があったか教えてください」
レックは死体に向かって話しかけた。すると、オーガの死体から白い煙のようなものが噴き出し、そして人の形になった。
「子孫よ。私のことは伝わっているか」
白い煙が言葉を発した。
「はい。無力化の術と共に」
レックは答えた。
「うむ」
「このダガーナイフと術を使え。そう言われて術を教わりました」
「ありがとう子孫よ。この魔石はお前のものだ」
白い煙はそう言うと空中で小さな丸い石になり、コロンと軽い音を立てて地面に転がった。白く輝く石だった。レックはそれを拾うと眺め、ダガーナイフの柄を見た。そして、壊れた石のあった場所にはめ込む。そしてそのダガーナイフを鞘に納め、腰に結わいつけた。そして、僕とプロイがいる出口に戻ってきた。
「ノイ、ありがとう。こいつが私の目的だった」
レックはそのまま僕を見て、静かな声で、でも少し興奮した笑顔で僕に笑いかけた。
「レック、ノイ、大丈夫?」
プロイも声をかける。
「なんとか。だけど痛い」
力が抜けた。途端、僕の全身を痛みが覆う。そのまま身体を支える力もなくなり、僕は倒れ込んだ。疲れで気を失いそうだ。でも痛くて気を失えない。
「ノイ、ボロボロだね。ありがとう。そのまま横になって」
服も身体もボロボロの僕にレックは優しく声をかける。そして、横になった僕にレックは巫女の術を施した。
柔らかい手の平が僕の全身を撫でる。優しい温もりが、僕の身体を包むのを感じた。身体が軽く感じる。痛みは消えないが和らいできた。でもまだ力は入らない。動けない。
「骨にひびが入ってるね。あと内臓もやられてるな。一時間くらいはそのままね」
僕を見てレックは微笑んだ。プロイも微笑んだ。僕はちょっとはにかんで、でも笑った。
「レック、今の何?」
プロイは不思議そうに眺めて、尋ねた。
「うん、ご先祖様。私が旅した理由。まさかここだと思わなかったな」
レックはダガーナイフにはめ込んだばかりの魔石を見ながら話し始めた。動けない僕は、そのまま耳を傾ける。
「親父のご先祖様はね、研究者だったんだ。魔術のね。それが突然行方不明になったのさ。残ったのはこのダガーナイフと魔石なんだけど、手掛かりは何もなかったんだ」
「そうなんだ」
プロイは僕の傷の具合を見ながら、話を聞いている。
「何かあるんじゃないかって思った祖先が魔石とダガーナイフを解析したんだけど、ずいぶん手間取ったみたいなんだ。どうやら、禁術に近いことをやってたらしくて、冒険者組合は歴史から抹消していてね」
「禁術って?」
「自然に反する魔術。不死とか、さっきのオーガにかけられていたみたいなやつさ。他の組織に知られたら騒ぎになるような代物だ」
「そうなんだ」
「それでさ、子孫に対して、それを抹消しろってメッセージが魔石に刻まれてたんだ。でもその抹消する相手がどこにいるのかか調べたんだけど、冒険者組合は知らぬ存ぜぬでね。ここみたいな研究施設が廃墟になったところだろうっていうのはわかっていたんだけどさ。でも何すれば抹消できるかっていうのがこれまた謎解きでね。たまったもんじゃないよ」
「ご先祖からの遺言かぁ。面倒だけど無視できないわね」
「そうそう。それでね、さっき使った魔術は、あたしのじいちゃんがほぼ解析していたんだけど全部終わらないうちに死んじゃってさ。それを引き継いだ親父は使い方を解き明かしたんだけど、竜族との戦争が始まってね。それで親父が死んだら、お袋も身体が衰弱してそのまんま死んじゃってさ、それどころじゃなかった。それで、あたしがその後始末をするつもりなんだけどさ。冒険者組合の記録も消されているからわからないんだよね」
「あといくつあるの?」
「わかっているだけで十。だけど、多分だけど、もっとあるね」
レックは一通り話すと、またダガーナイフを見つめた。柄には穴が二十あった。
「でもね、謎解きは楽しいよ。それとね、ご先祖様が開発した魔術を覚えられる。禁術にならない程度に薄めたやつだけど」
「どんなのがあるの?」
「一つが魔法解除。簡単なのは呪文でできるけど、さっきのオーガにかけられていた強烈な術は魔法石の力がないと、今のあたしじゃ無理。あとね、今さっきのオーガを倒して魔石を受け取ったでしょ。今見たけど、強烈な回復魔法みたい」
レックは僕を横目で見た。
「回復魔法?」
プロイも僕を横目で見た。
「どんな作用なのかわからないんだけどね。効果が高いのは確実なんだけどな。副作用がどうなのかわからないのが怖いんだけどね」
また僕を見た。僕は無言だ。
「試してみて」
「いいかな」
「私はいいと思うよ」
「あたしもいいかなと思っているんだけど」
二人の視線は僕を捕らえている。実験台にする気に満ち溢れているのがわかる。
僕は恐る恐る尋ねる。
「副作用って、何があるの?」
「あたしにもわからないけど、回復が早くなるけど痛みが増えるとかいうのが定番かな」
レックはあっさりと答えた。
「レックの初披露の回復魔法ね。私も楽しみだな」
「それじゃ、ノイ、あたしの初めてを堪能しな」
何を言っているのかわかりません、と声を出したいが、その前にレックは僕の胸に手を当てて呪文を唱えた。
ドクン
僕の心臓が跳ねた。そして僕の身体が反り、一度跳ねてからそのまま脱力した。
「え?」
「ノイ?」
二人が驚き、僕を見る。
僕は全身の力が抜けたが、鼓動は早まった。全身が熱く、汗が流れる。全身の痛みも戻ってきた。
「あ、巫女の術が解けてるな。相性悪いのか」
レックは冷静に観察し、分析している。
「私の精霊術も試してみていいかな」
プロイはそう言うと立ち上がって杖を持つと、呪文を唱えて僕の身体にその杖を落とす。僕の身体は、その杖先から放たれた淡い光に包まれたが、すぐさまそれは消えた。
「ダメみたいだな」
「うん、私の術も消されちゃう」
「ノイ、話できるかい?」
「……少しなら」
汗を流しながら、僕はやっとのことで口を開いた。
「気分はどうだい?」
「気分は悪くないけど、痛くて熱い」
レックは僕の身体に手をかざしながら尋ねる。
「傷は塞がってきてるな。骨のヒビも塞がっている。すごいな」
僕は痛くて熱いと言ったのに無視ですね。
「レック、それってどういうことなの?」
プロイは興味津々だ。もう僕のことは視界に入っていない。
「うん。さっきのオーガほどじゃないけど、傷がすごい勢いで治ってる。全身に負担かかってるかもしれないけど。でもこれで治ったところに疲労回復の魔術でいけそうだな」
「疲労回復はしないの?」
「多分ない。体力を消耗して、その代償として傷が回復するタイプだな。スタミナのある肉壁向けだ」
「ノイにはよさそうね」
「あたしもそう思った」
僕を放置して二人は笑った。僕は痛みと発熱で汗が止まらない。
「発熱するのも治癒効果を高める程度だから心配ないな。ノイ、あと五分位で動けるぞ」
レックは笑いながら声をかけてくれたが、僕にはわけがわからない。
「あたしも疲れた。ちょっと休む」
そのままレックは膝を抱えて顔をそこにうずめた。
「わかった。周りを見てるね」
プロイは立ち上がり、杖を持ち、周囲を見張った。改めて、研究施設が廃墟になっている風景を見る。
これがレックの先祖の生み出したオーガ、脅威の仕業。
いや、手に負えない脅威であれば、レックの祖先が関わっていようがいまいが、結果は同じなのだろう。わずか百年で跡形もなく瓦礫となった風景からは、プロイが何か所も見てきた遺跡よりも人の痕跡が感じられない。崩れず残った壁からはなんとなく建物の残り香がするが、砕かれた瓦礫は荒野に転がる石よりも自然だ。
「世界も昔は違ったのかな」
プロイの独り言。昔。氷期の前はどんな世界だったのか、いつか紐解きたい。
「冒険者になって、世界を調べて。うん。楽しみ」
寝転がったまま動かない僕と座り込んで休むレックを見て、プロイは近くの瓦礫を眺めた。何かを書いた石板らしき欠片が散在している。それを手に取り、ちょっと眺める。
僕の身体から痛みと熱は徐々に消えていった。それと共に、忘れていた疲労感に襲われる。それでも痛みよりはましだ。僕は身体を起こした。
「ありがとう。楽になった」
レックがそれを聞いて立ち上がる。
「ノイ、ありがとう」
聞こえるか聞こえないかわからないくらいの小さな感謝だった。
「え、いや。うん。よかった」
僕はなんだかどきどきした。
「あ、起きた。ノイ、かっこよかったよ」
散策していたプロイは起き上がった僕を見て歓声を上げた。
僕は照れながら声を出した。
「それじゃ、奥に行こう」




