仕事の前には身体を解そう
「でだ、オレに服を引いてまで止めたかった事はなんだ?」
この騒動の原因を問いただす。新しい情報で脳を埋めてやる。
「走ろうとしてたから、危ないと思って」
「走ると危ないのか?」
「危ない。さっきも転んでた」
そういえば、彼女から逃げようとした時に妙に足がもつれて転んだな。
「ログインしたばかりは転びやすいって聞いた」
「そうなのか。いや、ありがとうな。でも、最初から言ってくれれば良かったのに」
「怖かった」
小さく一言。なんだ、可愛いところもあるじゃないか。流石に初対面の男に見つめられたら怯えもするよな。
「顔が」
「怖くて悪かったな!」
「きゃー」
彼女は、抑揚のない声を出して逃げていく。
「ハァ、もう良いよ。じゃあな」
「楽しかった、たっしゃで」
彼女はオレの反対方向に走り出した。そこは緩やかな傾斜になっており、十メートルも進まない内に足をもつらせて豪快に転んだ。
「おいー! 走ると転ぶって言ったのはお前だろ⁉︎」
オレも慌てると危ないのでゆっくりと彼女の元へ行く。オレが着く頃には彼女は立ち上がり、こちらに向いていた。
「今のはワザと」
嘘付け! と、言いたいところだが、情報を教えてくれた恩がある。ここは見逃してやろう。
「ふぅ、しょうがない奴だな。そうだ、身体を解すにはちょうどいい踊りを知ってるんだ。一緒にやらないか?」
我が国の歴史ある伝統的な踊りなんだぞ、と付け加える。
「怪しい悪魔召喚の儀式?」
「違うわ。朝を喜ぶ踊りだ、昔の人は太陽を迎える時にこれを踊ってたらしいぞ。よし、オレが先にやるから真似してみろ」
まず、カカトと頭を軽く上げ下げ。オレの頭の中では軽快な音楽が流れる。
「これは太陽に感謝する気持ちを込めないといけないんだ」
次は腕を交差して、膝の屈伸するとともに両手を広げて朝日を身体をいっぱいに浴びる。元気が足りないぞ! ほら、一回、二回、三回……。
──最後に深呼吸だ。
「息を大きく吸って吐く吸ってー。吐いてー。よし、今日も一日頑張れそうだな!」
身体が程よく温かい、太陽の力が入ってきているようだ。
「ありがとう、おサルの親分」
「バカにしてんのか感謝してるのかどっちなんだ」
どこからそんな名前が生まれたのか、彼女に発想に呆れて鼻から息を吐く。
「だってあなたの名前知らない」
そう言われればそうだった。色々な記憶を消すのに集中して、自分の名前を伝えるのを忘れてた。
「『タスク』だ」
「わたしは『シオン=ロー』お友達から始めましょう」
右手を差し出して、握手を求めてくる。
「何でオレが告白したような流れになってんだよ? まぁ、よろしくな」
握手を返す。シオンの手は小さく、ほんのり温かくて柔らかった。
「ん、どうした? 固まってるぞ」
「……お友達」
「よろしくな、お? いつの間にか、もやが晴れたな」
シオンに声をかけられた時には、朝もやでよく見えなかった風景が見えるようになっていた。ただただ草しかない草原だと思っていたが、所々に木が生えて、少し遠くには森があった。こんな景色は見た事ない。あの森の向こうには何があるんだろう。先を見てみたい。
「シオン、少し走ってくる」
シオンの方を見ると、宙に浮く不透明の薄い板を人差し指で突いてた。パネルを出して、何かしらの操作に夢中になってるようだ。
「おい、シオン」
先程より少し大きな声を出して、彼女を呼ぶ。
「友達が見当たらない」
「何言ってんだ、オレは目の前にいるだろ。ちょっと走ってくるわ!」
「あ」
言うが早いか、オレは駆け出していた。足がもつれるような感覚はない。流石、太陽。仮想世界でも、その力はまさに偉大。光や熱だけではない、生きる力をくれる存在だ。
このまま朝日に向かってダッシュ……しようと思ったが、急に息が切れて足が進まなくなった。たまらずその場に座り込んでうずくまる。何でこんなに走れないんだ? やっぱり、運動不足がたたっているのか?
──少し楽になって頭を持ち上げると、シオンが肩で息をしながら、オレを見下ろしていた。そして、そのまま座り込む。
「お互い、もう歳だな」
シオンはオレの方を見ずに、手の平をこちらに向けて、今は無理と伝えてきた。
草が鳴る、風が気持ち良い。こうやって休むのも悪くない。久しぶりの疲労感を楽しむか。緑は良い、緑を見ると心が休まる。
お、あそこにオレ達と同じような格好をしてるヤツがいるじゃないか、プレイヤーか?
「おーい。って、何だアイツ。無視して行っちゃったよ。せっかく、走ると危ないぞって、教えようとしたのに」
「タスク、の、顔が、悪い」
顔を伏せたまま毒を吐く。疲れてるなら、大人しくしとけば良いのに。
「そして、わたしは、顔が良い」
顔を持ち上げてのたまい、すぐに顔を伏せる。自分でそれを言うのかよ。
「あのー、お休みのところ大変申し訳ないのですが、少しお話をさせて頂いてもよろしいでしょう?」
すごくかしこまった言葉をかけられた。