スポーン
サブタイトルは未定です。
「やめた方がいい」
オレが何をしたのだろう。今日初めて身につけた汚れのない真っ白いシャツのスソがつかまれている。おかしい、さっきまでこの広い草原には、誰も居なかったはずなのに。
太陽が上がったばかりの草原を一陣の風が、さあっと吹く。草と草がぶつかり合ってサラサラと音を鳴らす。少しブカブカのズボンを抜けて冷気が伝わってきた。
「やめた方がいい」
先程と同じ、よく通る透きとおった声が聞こえる。でもそれは抑揚のない感情の失われた声だ。再び白いシャツがクイクイと引かれる。オレは覚悟を決め、ゆっくりと振り返った。
ひ、と小さく声が出た。人形だ、人形がいる。少しつり上がったアーモンドの様な目。そして、その目の中には現実では見た事のない宝石のような緑の瞳があった。それがまばたきもせずにオレを見つめている。オレも恐ろしくて目をそらす事が出来なった。
人形の瞳の前を一枚小さい葉が通り過ぎる。人形がそれを目で追いかけた。オレもそれにつられて追いかける。かたちの良い鼻に柔らかそうな唇。オレと同じ白いシャツ、同サイズの人間と比べてやや大きめの胸。
その胸の上に葉が落ちた。その葉は胸の動きに合わせてゆっくりと上下している。呼吸? 息をしているって事は人間なのか。石のように固くなってた身体から力が抜ける。
「やめた方がいい」
「へぁ?」
「危ない」
少女がパタパタ体をはたくと、いくつか葉が地面に落ちた。何で草まみれなんだろう?
ふむ、こう見ると初期装備は女と男でデザインが違うんだな。白いシャツはボタンの掛け合わせが違うし、男はストレートなのに対して、女の方はお腹辺りで少しくびれてる。ズボンは膝上まででブーツはくるぶしまで、男とは色ぐらいしか共通点がないぐらい違う。
草を全て落としたと思ったのか、少女は動きを止めてこちらを見つめる。
「まだ頭にも付いてるぞ」
オレってば親切。彼女はオレをチラと見ると頭を左右に振る、髪が舞い上がって血色の良い少しとがった小さな耳が見えた。
「どうも」
上目遣いでこちらを見てくるが、感情は読み取れない。彼女の周りでホタルのように黄緑色の光が舞った。先ほど落とした葉が光のに変化したんだろう。その光景は彼女の外見と相まってとても幻想的で美しかった。
「なに?」
「あ、すまん、キレイだなって思ってたんだ。いや、さっきはびっくりしたよ人形に話しかけられたのかと」
「……私は人間」
ヤバい、失言だった。彼女はジッとオレの方を見たと思ったら、急に座り込んだ。プチプチと草をむしって集めている。そして、立ち上がると草を結び合わせ、上に放り投げた。草の塊はオレの頭の上より高く上がり、そのまま引力に引かれて落ちてくる。
「光」
彼女の声に応じて草が光に変わる。
「まさか」
オレの言葉など気にする事なく、彼女は再び座り込んで片手で草をもぎ取り、おもむろに立ち上がると草を風に乗せ飛ばす。
「光弾」
再び、声とともに草が光に変わる。こちらを見た彼女の顔が見えた。片眉と口端がわずかに上がっている。
「そんな、それは。オレが。オレが使った魔法じゃないか。……みられて、いたのか。誰も居ないと思ってたのに。そんな、そんなそんなそんな、ダメ、ダメだって! もうダメだ見られてた、うわぁぁ!」
一刻も早く、その場から離れようと走る! 思うように足が動かない。ほんのちょっと走ったところで足がもつれて転んだ。顔から地面に落ちたというのに痛みはなかった、それより心! 心が痛い。身体が痛ければどれだけ救われたか。草の上でのたうち回り痛みを求める。転がった勢いで草が千切れたのか、オレの周りで光が浮かび上がる。
「治療」
止めの言葉が飛んできた。
「──もう良い、もう好きにしてくれ……」
無駄な抵抗を止め空を見る。空が綺麗だ。こんな空を見るのは初めてだ。
そうだ、これは夢なんだ。ログインしようと思って、目を閉じたらうっかり寝ちゃってたんだ。そうだ、そうなんだよ! 目を閉じて、もう一度開けたら、オレはログインルームのベッドの上で寝ていて、怖い同居人がいつものように、祐様起きてくださいと声をかけてるんだ。目を覚ましたら怒られるだろうなぁ。内緒でログインルームに入っちゃったからな、怖いなぁ。でも今だけはその顔が見たい!
意を決して目を開けると、先ほど人形と見間違えた少女が両手一杯に草を抱えて見下ろしている。その草が投げられ、オレに向かって降り注いできた。
「えーと、復活」
あまりの光に目を開ける事が出来なくなってしまった。彼女が使ったのはオレの知らない、草原の草を使った新しい魔法(遊び)だった。
高度が足りなかったのか顔が草まみれになってしまった。オレは起き上がると草を叩き落とし、佇まいを直す。
「ごめん、やり過ぎた」
少女が頭を下げて謝ってくる。
「いや、オレも人形だなんて失礼だったな、ゴメン」
オレも頭を下げて謝る。それでだ、彼女にグイッと近付く。
「見たんだな?」
「うん」
「忘れろ、夢だ」
そうだ、忘れるんだ。この仮想世界『オプテリア』にログインし、光に変わる葉っぱに興奮して、千切って投げ千切っては投げまくったり、口に含んであまりの苦さに吐き出したり。あまつさえ、十五にもなって魔法ごっこしてたオレの事は全て忘れるんだ。
「葉っぱってオイシ?」
「ぐふぅ!」
最初から見られてたのかよ。もう、いいよオレが忘れるから。首を傾げて聞いてくる少女を見ながら、オレはそんな事を考えていた。