銀次/Titus Andronicus『血、鉄、名誉』
【副題:Titus Andoronicus氏の『血、鉄、名誉』について】
Titus Andronicus氏の作品で、今読むことのかなうものは、SFとする短編二つと、架空の大戦争の群像劇を取り扱って、未だ苦吟の最中にある長編の計三つである。SF(空想科学)小説では、氏は宇宙を取り扱い方は、大宇宙の大言壮語を筋にもたらそうとするではなく、加えて物語に瞞着を張り巡らそうという気も全く見られないという点では一致しており、各々主人公は、霊峰やら太陽でも眺めるように、宇宙空間という名の、果てのないぬばたまの黒の中に散らされた星々の輝きの宇宙に取り組んで感慨を漏らす。が、その傾向は、おのおの全く逆の方角を向く。『ヘルメス』の主人公は、全宇宙を頭に詰め込んで、記憶を参照し、空漠たる哲学を織る青年である。彼は昔の女を、というよりは女との交情を忘れることができない、情欲に充ちた恋愛行為の空虚な痛みの記憶を頼りに、心にあいた穴を埋めようと脳髄の宇宙をさまよう。幻想はビッグバン以前の原始にむかって隣人愛を獲得する。その一方で、地球の大地から、宇宙空間に旅立とうとする『月面の赤旗』の主人公は、大気圏の突破というこの、空前の大事業の実現に、人類の共和の可能性を読み取る。いずれにしろ、各々主人公は、この発見を確かめようのないものである、という事実上の問題を抱え、作者は、感動だけを余韻とした文学作品という事で、終わらしている。読者は、この二作に詩情を読み取るだろう。しかし、簡単に言うことのかなうことが何であろう、作者の問題は作品の輝きよりもむしろ、果てのない黒の空間にあるのである。
いまでは読めなくなった、氏の作品に、高校生数人が織りなす恋愛劇を描いたものがあったはずである。私はあれが非常に好きであったし、このすぐれた作家を発見した喜びは、この作の読後感にあると言って過言ではない。この恋愛劇を、一般的普遍性のある題材を取り扱った習作、と作者は説明していたが、こんな拙劣な自作批評もないのであって、既に自らの問題から目を背ける準備は整っていたと見える。彼の宇宙は、いまだ星の輝きをもたぬ混沌とした営みだ。この混沌を、氏はまず校舎という社会に賭けた。これはつまり、生涯にわたるかもしれない彼の根本問題、愛についての探求は、愛という概念の空想よりも、これが社会と肉体にもまれる中で、瑞々しい姿で現れてくるかどうかというところに、焦点があったと見るべきである。肉体をもった人間たちの間で、第九の精神は、共和の賛歌は、歓喜の大合唱は、屈託なく地上に鳴り響くのか。彼の作品は、永遠に終わることのない、根本問題を巡る習作だ。書いても書いても不満が残るのである。twitterでラブコメが書きたいと言いながら、書きはじめた作の、ラブコメとしての失敗は、完璧なものであったが、こんな事実は些細なことだ。ラブコメを書きたいと願ったのは真実であったに違いないが、むしろ、それでいて、まるで言うことの効かないこの大技巧家の筆の運動に着目すべきであろう。氏の筆は、喜劇という一般性を目指す芸術の中で、神秘を獲得する。そしてその事に気がついた。上の二篇で確認したのは、個人的な体験にまで落としこんだ、ある概念であった。これは退歩であったか、貪婪な企図によってはじまった、彼の飽くなき探求は、そんなところで終わるはずがない。彼の習作は、腹案としてすべて頭の中にあるに違いない。彼は再び、 社会へと赴く、戦争と平和という、人間の事業の極限に。
『血、鉄、名誉』
作者名:Titus Andronicus
作品URL:http://ncode.syosetu.com/n5014cq/