ぱじゃまくんくん夫/澤群キョウ『牙のない蛇』
【副題:光と影のコントラストの鏡】
小説にかぎらず、あらゆる形式のストーリーに光と影はつきものだ。
正義と悪を照らしあわせたり、美人と不美人を並べてみたり。
そのコントラスト比をどのように調整するかでストーリーの特色がでてくる。
澤群さんはその調整が独特(私的には甘酸っぱすぎる描写)で、心地いい。まぶしぎず暗すぎず、湯船にぼんやりと浸っているような淡さがある。
それはうまさというよりも、作者さんの持って生まれた感性で成しているような気がする。
コントラスト比の調整具合と他に、いつも私が感じるのは、澤群さんの作品内にはいつも、若干の、ほんのわずかな物悲しさがひっそりと漂っていることだ。
なんとも言えない不思議な悲しさがある。それはまったくと言って表面に出てこないのだけれども、読み進めているうちに「なんだろう」という引っかかりが心にできてくる。
本作品はそれをとても理解できた作品だった。
風俗店で働く姉。
結婚してそれなりの女性である妹。
彼女たちは光と影にくっきりと分かれていて、独特のコントラスト比が演出されている。
そこへきて、光となっている人物の背景にはどこか悲しさがひそんでいる。終始、明らかに光として描かれているのだけれど、光のどこかに影がひそんでいる。
物語は綺麗におさまっている。けれど、私には釈然としない何かが残った。どうして登場人物の光に影がちらついたのか、私はしばし考えた。
そうして、私はある結論に至ったのだけれど、導き出される結論は読者によってそれぞれ違うはずだ。よって、この作品の光に影を見ない人もいるだろう。私は見えないほうが遥かに純粋でまっとうな人だと思う。
結局、何が言いたいかと言うと、作品自体が読者を映す鏡になっている。
まったくアンリアルな小説の世界なのだけれども、そこには読者のリアルが潜んでいて、光と影のコントラストが鏡となって読者を浮かび上げてくる。
もっとも小説というのは得てしてそうあるべきで、しかしこの作品は読者に考えさせるのを強要していない。
ふと思う。ふと気づく。そんな感覚。
ゆったりとした読後感に浸かりながらなんとなく考えを巡らせてくれる。
『牙のない蛇』
作者名:澤群キョウ
作品URL:http://ncode.syosetu.com/n8888bu/




