始まりの非日常
数多の闇はこの身を蝕む。
数多の影はこの身を食す。
数多の光は闇と影を創造する。
キミは現われた。
時間が動き出した気がした……。
「ええっ! 私がですか?」
職員室に私の唐突な叫び声が響き渡り周囲の教師が一斉にこちらに振り向き視線を集めてしまった。
すると眼前の人物は青ざめて慌て出す。
「ば、馬鹿、声が大きいぞ皆川! ……な、何でもありません。あはは……」
この声の主、担任の竹下優美先生(独身)は見回して小声で私に話し掛けた。
「ばかばか、小声で話せって言ったろ?」
面倒だけど小声で話を返す事にしてやる。
「先生、どうして私なんですか?」
なんの話をしているか唐突で分からないから説明、の前に私の事を教えようかな。
私の名前は皆川真、今年高校生になったばかりの女の子だ。栗色の髪はロングで眼鏡をしている、コンタクトに代え様とした事があったけど、目に物を入れるなんて怖いと言う情けない理由で眼鏡のまま。何処にだっている女子生徒だ。
そんな私がなぜ素っ頓狂な声を出してしまったかと言うとそれは先生のおかげ。
先生によると同じクラスに留年した一つ年上の男子生徒が去年から学校に来ていないらしい、様子が心配だから私に見てきてくれと頼んでいるのが現在の場面。普通は担任が見に行くのが常識なのに彼女はこう言いやがる。
「だって、今日彼氏とデートだもん!」
丁度良く手に持っていたノートを丸めて思いっきりアホ先生の頭を殴る、直撃して鈍い音が鳴り響く。うん、心地良い音。
「痛ったぁ~! 皆川、生徒が教師に、こんな事して良いと思ってるのか!?」
「この職務怠慢教師!」
と叫ぶがすぐに呆れて力が抜けた、こんな人がよく先生になれたもんだ、なんだか私でも教師になれそう。ま、なりたくは無いけど。
「だって、そいつの家お前の家に近いし、それにやっと出来た彼氏だぞ! 今の内に私の虜にするんだ!」
こんなのが我らが教師とは。もう一発くらい殴った方が良いかな? 頭が痛くなって来るよ。まったく、一方的な取引だ。こうなったら、こちらも報酬が無いと不公平だよ。
「も、ち、ろ、ん、タダとは言わないですよねぇ、先生?」
最後の先生だけ嫌らしく言ってやる。すると案の定先生の顔に影が差した。
「ど、どうしろと言うんだ?」
「えっと、駅前にあるケーキ屋で大人気の特製チーズケーキが食べたいなぁ」
「し、仕方ない……それで手を打とう」
「了解、放課後行って来ちゃいますね!」
ま、帰り道にあるらしいし、そんなに時間も掛からないだろう。
温かい春風が窓の隙間から侵入して人肌を撫でている、それは別の対象へと標的を変えてさ迷う。春の風は優しくて温かく、心地が良い。私は春が一番好きだな。
教室では午後の授業中で科目は苦手の社会、先生が放つオペラを連想させる甲高い声はまるで睡魔を呼ぶ魔法の呪文みたいで眠気を誘って来る。
そんな魔と戦う私の席は窓側で後ろから二番目、窓側一番後ろに空席があるが実はここが例の留年男子の席になる。
何の運命か後ろに彼の席が。会った事はもちろんない、何で来ないのだろう?
眠気との死闘から時が進み放課後、私は友達と分かれて彼の家へと向かうことにした。
「えっと確かこの辺りにマンションがあるはず……」
先生に描いてもらった地図を頼りにマンションを捜索する。
空は紅色を広げながら夕の刻を教え、また今日がいつもの様に眠りにつこうと沈んで行く。
「あ! 多分あれだ!」
探していたマンションを見つけた。外壁は清潔感あふれる白一色。でも集中して見ると、うっすら汚れていてやや黒くなっている。
巨大で背の高い建物が立ち憚るかの様にそびえていた。
そんなマンションの第一印象は高い、十階建てくらいはあるだろうか。第二印象は高そう、家賃いくらだろう? それ以外は何の変てつのないマンションだ。
「えっと部屋は……十階! ここエレベーターないの?」
何処を見回してもエレベーターらしき物がない、つまり階段で行けって事? ああ、溜め息が。
こんなところでじっとしている訳にもいかないので上る事にする。一階、二階、三階、ふぅ、疲れた。まだあるの?
「嘘~、来るんじゃなかったよ。チーズケーキじゃ分が悪い!」
文句を言いながら一段、一段、階段を上がって行く。そんな中、不意に妙な感覚が私を支配する。
こんなに上がって来たのに誰にも会わなかったからだ。人の気配が無い。おかしい、急に不安が駆け抜ける。
「本当に人住んでるの?」
私は怖かった。帰りは空はきっと真っ黒に染まっている、その闇の中を帰る事が怖い。別に幽霊に会っても怖くない、でも、暗闇の中、こんなマンションにたった一人でいることが怖い。
色々と考えていたら気付いた。あるドアの前に立っている事に、ここが彼の部屋だ。本当に人がいるのか疑わしい。
平凡なドアが目の前にある、そうだ、これただのドアなはずなのにそれは全てを拒む異端なものに思えた。インターホンをじっと凝視するしか出来ない。どうしたのよ私、人差し指で呼び出しボタンを押すだけなのだから簡単の、はず。
「び、びびってる訳ないじゃない!」
自分に言い聞かせる様にほざいてみた。緊張する中で息を整え、意を決しそれを押す。するとピンポーンと音が鳴り響く。一般的な呼び出し音を聞き、少し心が和んだ。
あれ? 出ない。じゃあもう一回と更に音を重ねさせた。それでも出ない、まさか居ない? 無駄足? 廃墟だったのかな? だったら帰ってもいいよね?
足を一歩動かすと自分でも驚くほど早く動いた。まるで夜、怖くてトイレにいった子供が急いでベットを目指すみたいに。
『……はい、どちら様ですか?』
ドクンと一気に心臓が血液を運ぶ。嘘、出ちゃった。
「……あ、あの」
言葉が引っ掛かる。頭が消しゴムで消されてるみたいに真っ白。
『……どちら様ですか?』
「あ、あの、私、み、皆川真って言います。えっと、あなたと同じクラスです。クラスメイト!」
今、精一杯の声が生まれた。
『え? ……ちょっと待ってて』
そう言うと、しばらくして中から人の足音がする。近付く度にドクン、ドクンと胸が脈打つ。
そして、ドアの開く音が響く。異端だったドアは静かに、ゆっくりと開放する。
そこに立っていた。身長は170くらい髪は短め、顔は美形、切れ長の目と高い鼻はまるでモデルのようだ。透き通る白い肌は女性の私から見ても綺麗で少し羨ましかった、そんな美男子に見入ってしまった、こんな人が出て来るなんて予想して無かったから。
「……外、肌寒くなってきたな、こんなところで話すのもなんだ、中に入れよ」
「えっと、でも……」
「何もしないよ。なら、ここで震えている?」
確かに外は寒くなっていた。私は迷った挙句、入る事にする。靴を脱ぎ、廊下の先、彼の部屋へと招かれた。
彼の部屋はとってもシンプル、無駄な物が無かった。あるのはタンス、テーブル、ベットにTV、他は何も無い。
「すまないな、お茶切れてるんだ」
「あっ、いえ、おかまいなく」
緊張、私を縛る言葉、何を話せばいいかパニックだったからだ。そんな不安を彼が壊してくれた。あちらから話し掛けてくれた。
「えっと、……皆川って言ったっけ?」
「は、はい、そうですけど」
「取りあえず座ったら?」
私はボーっと突っ立っているままだった。彼はそれが滑稽だったらしく、少し笑っていた。慌てて座り、顔が真っ赤になっている姿を笑われた、恥ずかしい。
落ち着きを取り戻し、取り敢えず今日来た理由を頭から引っ張り出し、口にする。
「えっと、その……」
「佐波峻だ」
「へ?」
「名前だよ、佐波峻」
唐突の自己紹介だった。佐波峻さんか、何だか不思議な人。
「呼び方は峻でいいよ、何なら峻ちゃんや峻さまでもいいぞ?」
彼は、峻くんはちょっと変わってるっぽいけど悪い人ではなさそうだ。あんなに緊張していた私は馬鹿みたいだな、えっとちゃんとした自己紹介をしておかないといけない。
「じゃあ改めて、私は皆川真です。私のことは……」
「いい名前だな、まことなら……呼び方はまこちゃんでいい?」
「へ? え、えっと……はいどうぞ」
彼は唐突、突然の言葉が似合ってる気がする。何だかびっくりさせられっぱなしだ。
「それで今日はどのような事で? ……まこちゃん?」
「えっと、峻くんがどうして学校に来ないのかなって思って」
「うん、行かない事にしてる」
はっきりと言い放った。
「えっと、それはどうしてかな?」
「やる事があるんだ」
やる事? 一体何をするのかな?
「その、差し支えなかったら教えてもらえるかな? 一応先生に頼まれているし、クラス委員として問題があるなら解決したいし……」
そう言うと両腕を組み考え込んでいた。
「言ってもいいけど、信じないだろうな」
信じない? 一体何をするのだろうか? そう考えていた時だった、悪寒が背中を走る感覚がした、何とも言えない恐怖が鳥肌を誘発させる。
「な、何……これ……」
「くそ、来たか」
峻は立ち上った、何なの一体?
「……まこちゃん、少し席を外すけど俺が戻るまで絶対にここから出ないでくれ」
「え?」
「じゃあ行ってくる!」
「あの、ちょっと!」
彼は慌ただしく外へと出て行った、一体なんなのだろうか、客を置き去りなんて非常識じゃないかな。
なんて思っていたけど彼の真剣な顔を思い出して急な用事が出来てしまったのだろう、ここは気長に待つかな。
あれから数時間経った、これは遅すぎる。もう外は真っ暗だ、これじゃ門限に間に合わなくなっちゃう。私は鞄からノートを取り出してまた明日来るとメッセージを書いてテーブルに置いた、メモを残しておけば大丈夫だよね多分。
出るなって言ってたけどもう帰らないと怒られてしまう、きっと久し振りのお客だったから話とかしたかったのだろう、なら明日色々お話をしようと思う。困っているクラスメイトは助けないとね、クラス委員だし。
外へ出ると静けさが広がっている、通路の蛍光灯だけが闇を払いのけているけど階段は真っ黒だ。怖いなと思いながらも階段を降りていく、帰りは楽だなと強がっていたけどなんだか妙な感覚が私を包んでいた。
冷たい風が常に背中を通過しているような悪寒、なんだか気持ち悪い。
不意に妙な物音を耳が掴んだ、そこは三階から発生しているらしい。
なんだろう?
怖いのに好奇心が勝ってそっと三階を観察してみることにした、歩みをゆっくりにし、通路を覗く。もしかしたら峻くんいるのかもしれない。
三階の通路は十階とほぼ差はなく同じような作りだった、視線を様々に行かせるが誰もいない、気のせいだったのかな。
と思っていたけど私はある事に気が付く、一番奥の部屋が光を放っている。紅く鈍い光、異様な光景、あの紅い光は私を飲込むような光、長く見ていると頭がぼーっとなって来る。何もかもがどうでも良くなる様な感覚が私を支配する。
夜風に全身が包まれ寒気さにはっと正気を取り戻し、私の停止した世界はまた再生された。
「あれ? ……どうしたんだろう、光を見ていたら急に意識がボーっとなって……」
どうしてしまったのか、状況を整理しようとした時だった、紅い光の奥、更に奥から咆哮が響き渡る。そしてソレは姿を現す。
紅く輝き放つ三つの目、全てを飲込む様な口、二メートル以上ある身体、巨大な爪、そう、ソレは人間では無い異様な物。
「な、何これ? ば、化け物……?」
何これ何これ何これ、化け物が目の前にいる。まさか、これは幻だよきっと、だってこんな非日常とは無関係な日々を過ごしてきたんだから。
だけど無情にも化け物と視線が重なり、奴は叫び声を上げながら真っ直ぐにこちらへと突っ込んで来る。
「ひぃ!」
嘘、まさか、私を食べる気?
震える足を奮い立たせ駆け出す、頭の中がグチャグチャだった。紅い光が起こったと思ったら突然中から化け物! 訳が分からない。
今は逃げる選択を選ぶだけだった。下へ、下へと、駆けて行く。
『ガアアアアアアアアアア!』
雄叫びが聞こえる。震えが止まらない、これは夢じゃないのかな? 夢であって欲しかった。
ようやく一階に辿り着き外が見えた、やった、助かった。
「きゃ!」
痛みが走る。
何が起きたか分からないまま尻餅をついた、痛い、あれ? おかしい“壁”なんか無かったはずなのに。
何が起きたのか、結論から言えば私は壁にぶつかった。でも出入口に向かって走ってたのに。
不思議に思いもう一度立ち上がり目の前の出入口に手を伸ばしてみた、ひんやりと冷たい感触がある、空中に。
そんな、出入口には透明な壁らしきものがあった、何なのこれは!?
「透明な壁? 何で……」
不意にこの場所の空気が変わるのを感じ取った。私の感情が歪み始める。あの独特な息遣い、いる、ヤツがいる。そう私の後方に。
「嘘……」
『グルルル、ガアアアアアアアアアア!』
後ろにはひんやりした感触、壁が私の背中とくっついた。つまり、逃げ場が無くなった事を意味している。
「ああっ、嫌だ! こんなところで……し、死ぬなんて、嫌だ!」
そこら辺にある物を手当たり次第掴み、投げ付ける。ゴミ箱、ホウキ、自分の靴、しかし化け物には一つも当たらない。
その場に座り込んでしまった。いや、腰が抜けた。動かない、化け物はその間一歩づつ歪な音たてて近付く。化け物の頭にあるのは『食』、ただそれだけ。
一歩、また一歩と近付く化け物、私の頭にあるのは『死』、だだそれだけだった。化け物の吐息が肌に感じる距離。
そして私の意識が遠くなって行った。
私、死んだのかな? 痛くも無い、暗い世界。闇の果てに何かが聞こえる。あの声は、私は、一体?
「わぁ!」
奇声を上げてしまった、どうやら私は気絶してたみたいだ。身体は無事、食べられてない。良かった。
何があったのだろうか? あの化け物は居なくなっていた。
「ゆ、夢……だったのかな?」
そうだよ、絶対あんな物がいるわけない。私は怖がりだな、あんな夢を見るんだから。
その時だった、身に聞き覚えのある物が聞こえた。アレは私を現実に曝す。
『ガアアアアアアアアアア!』
「上の階だ!」
夢じゃなかった、さっきまで動かなかった足が動く、嘘みたいに。そうだ、あんな化け物が彷徨いているのなら峻くんはどうなったのだろうか? 私は胸に恐怖を押し込み、上の階へと向かう。上がった時、真っ先に視界に入る人物、あれは峻くんだ。良かった、無事みたい。
「……目が覚めたか、まこちゃん。部屋から出るなって言ったけどな……」
「ご、ごめんなさい、あ、あんな化け物がいるなんて思わなかったから……あの、何が起きてるの?」
「話は後だ。……まさか二匹いるとは思わなかった」
二匹? じゃあさっきの化け物はどうしたの? 私は峻くんにこの質問をする。
「一匹は何とかした、後は残りをヤルだけだ」
「なんとかって……ねぇ、アレは何なの!?」
「……地獄の住人だ」
「じ、地獄?」
「つまりこのマンションに地獄の門が開いたって事だ。奴等はこの門を通ってこの世界に来る!」
地獄の門? じゃああの化け物は地獄からやって来たの? いや、そんなまさか、嘘みたいな話がある訳ないよ。地獄? そんな物が在るなんて、そう口にする。
「なら、今、起きている事は幻か?」
確かにこれは現実、認めるしか無い事実。私の日常は少しづつ歪み始める。
その時、化け物はこちらへと向かって来る。すると峻くんが私の前に出る。
「し、峻くん?」
突然、寒気を感じる。私の感覚では無く、実際に寒くなっていた。これは彼が発生源の様だ。彼の周りを冷気が絡まっている、瞳は碧く染まっていた。そして、彼は右手を化け物に向けたその瞬間、碧い閃光が私の視界全てを飲込む。
「きゃあ!」
何が起きたのか分からない、私はしばらくして目を開ける。そこの風景は碧い霧で何も見えなくなっていた。
「な、何これ? 霧? し、峻くん? ……峻くん!」
「何? まこちゃん!」
「きゃあああああああ!」
私のすぐ後ろからの声に驚いた。し、心臓に悪いこの人。
「ば、馬鹿! 驚くじゃない!」
「悪い、悪い、呼ばれたから返事したんだけど?」
「もう……あ! アイツは? 化け物どうしたの?」
「ああ、ヤツなら、ほら」
峻くんはある一点を指した。そこにあったのは塊、氷の塊だ。化け物が氷ずけになっていた。何これ? 化け物がこんなになるなんて。
「俺の特技、みたいなヤツかな」
「一体どうやったの? こんな事……普通の人に出来る分けないのに」
彼は何者? 私の中にある事が浮かび上がっている。ここにいる彼は、本当に人間なのか?
頭にめぐるこの文章、考えると胸に押し込んでいた不安がまた私を支配した。
「詳しい話はちょいと待ってくれ、ヤツを帰さなきゃならない」
「帰す?」
「そう、地獄に。奴等は間違って人間界に来た。だから俺が帰すんだ、それが俺の仕事だ」
彼は氷の塊の方へと近付いて行く。彼の体を紅い光が交差する、全体に広がっていき、瞳の色が紅く染まる。これはあの部屋の光に似ている感じがする。
氷の塊に手を触れ、光る。氷が紅く光り出す。すると呆気なく風景と同化するように消えて行った。
「嘘、消えた」
「帰したんだ、居るべき場所に」
このマンション全体を覆っていた、あの嫌な感覚が消えている事に気付く。
あの出来事が嘘の様で、まだ信じられなかった。
「……ねぇ、聞きたい事があるんだけど」
「ん~、今日は帰った方がいいと思うけど?」
そう言うと彼は、携帯電話をズボンのポケットから取り出し、時間を教えてくれた。
「嘘! もう10時過ぎてるじゃない!」
まさかこんなに時間がたっていたなんて思わなかった、そうか、少しの間気絶していたから時間の感覚が分からなかったんだ、急いで帰らないと。
「じぁ、明日また来るから教えて、約束よ?」
「分かった、明日だな。お土産くらい欲しいな」
「……考えとく」
分からない事だらけだったけど、私は帰る事にした。
佐波峻、謎だらけの彼、なんて不思議で、異端な存在なのだろうか?
明日が待ち遠しい、さぁ帰ろう。
謎に問い掛けながら。