幽霊と二人暮らし
「し、死んでる!?」
梨花子はパニックになりそうな自分を落ち着かせ、恐る恐る男に近づいた。梨花子は震える手を伸ばして、男の頬に触れた。
「ひっ!」
短い悲鳴をあげると、すぐに手を引っ込めた。やはりものすごく冷たい。
「で、でも私の目の前にいるじゃない。でも死んでるって…」
「いわゆる、幽霊だよ」
梨花子はもう落ち着いてなんかいられなかった。キッチンから塩を持ってくると、それを男に振りかけた。
「あ、悪霊退散!」
「無理だよ、効かない」
男は冷静で、ソファに寝転んだ。
「気が付いたら、知らない町で一人で立ってたんだ」
男はポツリと話し始めた。
「自分が何者か、どこから来たのかも覚えてない。ただ、誰も俺の声が聞こえてない。どこに行ってもそうだった。店のガラスをふと見ると、自分が写っていない。そこで気が付いた。俺、死んだんだって。未練があるから、こんな無様な姿になっちまったんだって。頭おかしくなりそうだったよ。でも、なんとかさっきの階段までたどり着いて、途方に暮れていた。そしたら、あんたに出会ったんだ」
男はすがるように梨花子を見た。しかし、梨花子は
「し、知らない!出ていって!」
もう一度塩を男に投げつけた。
「頼むよ、しばらくここに居させてくれ。出ないと、どうすればいいか分からない」
「い、嫌よ!幽霊なんて!」
「今俺を追い出したら、俺本当の悪霊になるかも。そんで、あんたを呪いにくるかもよ?」
梨花子は震えながら泣き始めた。
「いやよー…。幽霊なんて怖いし、何されるか分からないし、良いことない」
「何も害を与えない。約束する。俺のこと見えるのあんただけなんだよ。誰にも気づいてもらえないことがどんなに辛いか分からないだろ?」
「他の人探しなさいよ。私霊感なんてないのに…」
梨花子は震えながら言い返す。男はソファから降りると、梨花子に近づいた。
「こっち来ないで!」
梨花子はキッチンの奥へ逃げ込んで、頭を抱えて小さくなった。
「梨花子…。頼むよ」
「こっち来ないで…」
男は嫌がる梨花子を無視して、梨花子の腕を掴んだ。
「や、やめてー!」
「梨花子!」
男は梨花子の顔を掴むと、額と額を合わせた。
「あ…」
梨花子の頭に映像が流れ込んで来た。男が必死に声をあげている。しかし、誰も気づかない。知らない町で不安になりながらも、ふと店のガラスを見る。そこには自分は写っていない。男の不安や恐怖も伝わってくる。しかし、それがあるところで和らいだ。梨花子と出会った時だ。男の梨花子にすがる気持ちと、悲しいくらいの安心感。
男は梨花子から離れた。
「私にあんたの成仏手伝えって言うの?」
がらがらの声で梨花子はそう言った。男は首を横に振った。
「自分で頑張ってみる。でも、あんたがいないと俺、自分の事が分からなくなっておかしくなっちまう。だから、あんなの側に置いてくれ」
梨花子は涙を拭いて、立ち上がった。
「あんたが私に害を少しでも与えたら、お祓いしてもらうからね」
「ありがとう、梨花子」
男は安心したように微笑んだ。
「あんた自分の名前も覚えてないの?」
「ノリ…。それだけしか分からない」
「わかった。ノリ、さっさと成仏しなさい」
「おう」
こうして幽霊と二人暮らしが始まった。