遺書
僕と涸沢は目隠しをして車に乗せられた。これも、浅香の遺言らしい。
「これより3時間半ほど走ります。
目隠しをしていては退屈でしょうから、睡眠薬をご用意しております。
お飲みになりたければ、お申し付けください。」
と船橋は言ったが、僕は暇だから眠ったことなど1度も無いし、この船橋もどこまで信用に足るかわからないので拒否した。
涸沢も、服用しなかった。
道中、涸沢は「さっきも通った」とボソっとつぶやいたのと、煙草を吸うためにライターをせがんだだけで、後はだんまりだった。
僕は煙草は吸わないが、学生時代から涸沢は火をよく忘れるので、付き人よろしくライターを常備する癖があるのだ。
旅館に着いた頃、僕はくたびれきっていたが、涸沢はますます元気になるようだった。
周りを見渡せば森の香りが漂った。漂いすぎなんじゃないかと思うくらい漂った。
件の旅館は、小屋を改装したと聞いてあったから、まあ小さな宿みたいなものだろうと高を括っていたが、それはそれは立派だった。
これは後で聞いた話だが、2階には客室が6つあり、ご丁寧に各部屋に風呂とトイレがついている。
一階は大食堂、大浴場、受け付け玄関、そして浅香の書斎、と言った具合だ。
僕らが部屋へ入るなり、凛とした40代半ばごろであろう美しい女将が丁寧な挨拶をしてくれたが、涸沢はまるで無視して現場に急行した。
僕としてもはやる気持ちはあったものの、あまりに気の毒であったから女将の挨拶に付き合った。
「すみません、彼は涸沢といって、少し変わり者な上に気が動転しているんです。
僕は梶といいます。よろしくお願いします。」
「気が動転しているのは私もです。お気持ちはよくわかりますわ。
私は女将の村上でございます。
よろしくお願い致します」
僕は挨拶もほどほどに、現場へ遅ればせながら到着した。
大方、浅香の書斎だろう。
僕は書斎に勢いよく入り、そしていくつかの事に驚いた。
まず、その膨大な本の数。
それも全てミステリの類いらしい。大学時代彼が読んでいた本も見受けられる。繰り返し読んでいるのだろう。
そして次に、遺体の状態である。
ベットに横たわったその遺体は、口の中に大量のマッチ棒を咥えていた。
一箱分くらいはありそうで、いくらかは使用済みだ。部屋はマッチの、燐だか硫黄だかの香りが充満していた。
さらに驚いたのは、その奇妙な自殺体の脇で煙草をふける涸沢の姿だ。
「君、なにをやってるんだ!?こんな時にこんなところで煙草なんかやってる場合か!
それに君、火をもってないんじゃなかったのか!?まさかこの床に落ちていたマッチを使ったのか!」
「うん。もったいないと思ってね。」
僕は呆れて言葉もでなかった。
かつての仲間を前に、涸沢はますます元気になる。
涸沢は奇怪な謎が大好きなのだ。今に探偵ごっこを始めるぞ。
「執事船橋氏!これのどこが自殺なんだ?」
涸沢は突然、怒鳴った。
「しかし、遺書がございます。筆跡をみても、浅香様のものによく似ております。」
「見せてみたまえ」
涸沢は老人から強引に紙切れをひったくると、声に出して読みあげた。
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遺書
私は、金を持つことに疲れた。
死ぬことを決めたのは、随分前だ。
最後に一目、香奈さんにあいたかったから、これまで生きてきたが、ようやくあえると思ったら、とたんに惨めになった。
可憐な花はすでに、摘み取られていることにずいぶん前から気づいていたのに。
私は遺書の書き方はよくわからず、どれだけの制約があるかは知ったことではないが、
以下の事を要求し、いよいよ死のうと思う。
涸沢副部長、彼を必ず、ここへ連れてきてほしい。彼は私の大親友であるから、死んでからでも、やはりあいたい。
涸沢副部長は大の警察嫌いだから、警察には通報しないでくれ。
できれば。できるだけ。涸沢副部長にタイミングを握らせてやってくれ。
それと船橋よ、涸沢副部長を連れてくる時は、どうか目隠しを。
この旅館の場所は、隠しておきたいのだ。
私の私室として、ひっそりと残しておきたいのだ。
十分な旅費は船橋に預けておく。みなに、渡してくれ。
船橋と、村上は、この旅館の世話をして欲しいんだ。
親父に頼みたいことだが、彼も偏屈なのでな。
そろそろ、薬が効いてくる頃だ。私は頭がおかしいのだ。おかしいなりの、最後をみせてやろう。
最後に思うのは、死ねばいつも香奈さんはすぐそばにいるということだ…。
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「ますますどこが自殺なんだ!これはあきらかな僕へのダイイングメッセージだ!!」
涸沢は唸った。
「いったい、どこがダイイングメッセージなんです?
どうか暗号が…?」
「暗号?そんなもんじゃない!
まずこんな意味のわからん遺書、浅香氏は絶対に書かない!なんだこの文章力は!こんなにたくさんの本に囲まれた人間の文章じゃないぞ!
何より僕は浅香氏と親友ではない!なんなら友達かどうかも怪しいぞ!無口なやつだったからな
それをこうかくのは、僕へ助けを求めてるんだ。
必ずなにか意味はある…。」
涸沢は5分ほど固まった。
「おい、梶!あれはどうした?田辺氏はどこだ!?」
「そういえば出てこないな。」
「二階の客室で、休まれております。」
船橋がさっと答えた。が、この言葉も終わるか否かで涸沢がかぶせた。
「香奈氏もいっしょか?」
「いえ、香奈様は遅れて桜井様一行とやってくることになっていると、田辺様から伺っております。」
聞くやいなや、涸沢は走り出した。僕も後を追いかけたが、階段の中腹で涸沢が息を切らし水を持ってきてくれというので、女将の村上に行ってもらってきた。
彼は昔からすこぶる運動不足のくせに、時折それを自分で忘れる事がある。
水を一気に飲み干すと、ゴールまであとひと踏ん張りと言わんばかりに二階を物色しだした。階段の下から船橋が、「田辺様でしたら、1番奥の部屋でございます。」と呼びかけてくれた。
涸沢がその扉をあけると、田辺はどうやら眠っていたらしく、勢いよく入ってきた涸沢に驚きを隠せない様子だった。
僕はいい加減涸沢に注意を促そうかと思ったが、もう午後5時ごろだというのに寝てる田辺も田辺だと思い、やめた。
涸沢は田辺にまくしたてた。
「香奈氏は遅れてくるそうだが、直接話したんだろうな?」
「ん?おう、久しぶりだな、涸沢副部長。
香奈なら、メールが届いたんだ。身内に不幸があったんだと。
電話で話す暇もないとあったから、了解のメールを送ったきりだ。
ここは山奥で、携帯も繋がらないからね。
明日には到着すると言っていたよ。」
「明日ね。明日がくればいいが。」
田辺は僕の耳もとで、相変わらず変なやつだな、とつぶやいた。
だが僕は、なにか得体の知れない予感を感じていた。
涸沢がこんなに焦ることは今まで、なかった。




