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マッチ箱殺人事件  作者: 松永 幸治
一章 侵食
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プロローグ

ー夜も更け始めた0時30分…。


僕は地元の安居酒屋で、友人であり同僚の田辺と少年の夢と大人の事情との狭間を行き来していた。


「旅行だよ、旅行。若者はね、旅行をしなくちゃいけない。

僕らは今いったいいくつになった?」


田辺は、よくよく興奮している。


「25歳だ。」


僕は答えなくていい種類の疑問符にきちんと応答した。


「そうだ!まだまだ20台の半分だぜ!?

それがなんだ!時間がない、時間がない。

おい、梶、人生の先輩はかつて行ったぞ?

遊ぶ事に仕事を見出せ、とな」


おそらくどこかの誰かの名言だろうが、田辺本人も誰が言ったのか思い出せないらしく回りくどい引用をしてきた。


「田辺、勘違いしてもらっちゃ困る。俺は時間はあるんだ。旅行に行ったって構わないよ。」

「なら決まりだ!」

僕は被せた。

「ただし!行って帰ってくるだけだぜ。

食事も無し、野宿、徒歩移動。それでもいいなら付き合おう。」


僕はここまで言えば、田辺がいつもの悔しそうな、それでいて無邪気な表情をするのを知っていたので、ふふん。と鼻を慣らしてみせた。

最も、金が無いのは威張れる事では全くない。

だが、田辺は予想に反した表情をしていた。


「お前に金がないことなど、始めからわかりきっているんだ。

ついでに、この俺もな!」


やはり金がない事は威張ってもいいのかもしれない。

今のところ調査結果は、金がないことは100%威張る事につながっている。


「梶、よく聞け。もっと寄れ。

…あのな、浅香を覚えてるか?そう、浅香

(たくみ)だ。あの推理小説マニアの。」


浅香とは、大学時代、田辺と僕が入部していた読書倶楽部の一員だった。

彼は当時から極めて陰気で、読んでいる推理小説が佳境に差し掛かると四六時中ぶつぶつと呟き、そのトリックの解決に勤しむのだった。

僕は浅香のことは、かつてから嫌いではなかったが、当人がこういう性格だから、これといって強い接点はなかった。

田辺は続ける。


「あいつ、香奈とよく連絡をとってるらしいんだ。」

「香奈と?そりゃまたなんで。」


香奈と田辺は、大学時代から付き合っていて、よく田辺はからかわれた。

香奈はそこそこに美人でなにより気だてのいい女だったからだ。


「どうも、浅香の家は代々読書マニアらしい。

それも、家人によっては好きなジャンルが違うらしいんだ。

親父さんは歴史小説、で、浅香はミステリだろ、お袋さんは、流行の…ドラマ化されたような、ほら、福田雅年のニュートンシリーズとか、そういう流行りものを片っ端から読むタイプだったらしい。」

「だった、ってのは変な言い方だな。」

「ああ、そうか、これを説明してなかったな…」


田辺は急に神妙な面持ちになった。


「田辺のお袋さん、亡くなったんだ。ご病気で。」


僕は、なるほど、と思った。

香奈の母親も、幼い頃に亡くなっていたのだ。


「で、その同情と膨大な浅香家の書庫が手伝って…

つまり本を借りたり話を聞いてやったりしてたんだ。もちろん俺も公認だ。

その浅香がな、当時の読書倶楽部みんなで、田舎の旅館へ旅行しようと言うんだよ。

もちろん旅費は浅香持ちだ!」

「なんだって!?さぞかし莫大な遺産だったんだな!」


田辺は、なにやら自慢げに(彼の功績では全くないのに)次の言葉を言い放った。


「いいや、宝くじだ!」


僕はズッコケはしたが、翌週には既に旅行の準備をしていたのだった。

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