新たな光
五回目の手術の結果、なんと背骨の補強の為に入れた金属の周りから、ウイルスが繁殖し、腰から背中の傷口まで菌の侵食した道ができて、ついに傷口から溢れ出てきてしまったという恐ろしい事実を知った。
私の体内に入ったウイルスは、手術室にしかいない特殊なウイルスで抗生物質に強い対抗性のウイルスで、このまま金属を入れておくといつ背骨の中まで侵食されてしまうか分からないので、年明けにも六回目の手術が組まれた。
よって、その年。
私は、五月から一度も家に帰れず、誕生日とクリスマス。そして、大晦日と正月を病室で迎えた。
六回目の手術は正月明けに行なわれ、背中から金属を抜き、侵食された肉や骨を削った。
その為、術後一日をあのICUで過ごし一般病棟へ戻ってきた。
この後、前の時と同じリハビリ療法士さんとリハビリをしていたが、なんと傷がなかなか塞がらなくて、ついに七回目の手術をすることになった。
ここまでくると、入院費や手術費のことで両親に申し訳なくなってきたが、それを母に言ったら「お金の心配はいいの、あなたの命が大事。お金でなんとかなる内に命を捨てようとしないでよ」と怒られた。
本当にその通りだ。幻覚の可能性もあるけれど、最初にICUにいた時死んだ祖父に会って怖い顔で睨まれた。
あれがもし幻覚でなかったら、祖父もあの世から怒っているということで痛く反省していた。
七回目の手術でようやく傷がふさがり、季節は春の先走り近づく三月。私は退院することができた。
この半年以上の入院で、私は一人の女性と出会い救われた。
Oさんは再転院した時に同じ病室の向かいのベットいた。自分と同じ飛び降りで怪我したのは分かっていた。
というのも、入院している時は病室まで精神科の先生が来るので、私のことも彼女のことも聴こうと思えば筒抜けなので、聞こえてしまったというのが正解かもしれない。
そんな彼女にどう話しかけたらいいか分からなかった。なにせ、年上の女性だったし女子大で女友達作りに失敗したばかりだったから、ためらいばかりで挨拶も口から出てこない。
そんな時、彼女が精神的に過呼吸を起こしてしまい、私が自分のナースコールを押して「向かいのベットの患者さんが過呼吸起こしてます」と看護士を呼んだことがきっかけで、お互いの名前と携帯の番号やメアドを交換し、友達として仲良くなることができた。
許可がおりたので、詳しく書かせてもらうとOさんは保育士で、職場の上司のイジメに耐え切れず、自宅から飛び降りを図った。私がマンションの四階からだと言ったら、よく生きてたねと驚かれたくらいだ。確かに今思えばよく生きてたと思う。
Oさんのほうが同じ飛び降りでも私より軽傷だったので、先に退院してしまったがその後にお見舞いに来てくれたり、私の退院の時にはお祝いをくれたり、今でもメールのやりとりをする良き友である。
塾のA先生以来、心許せる他者に出会えなかった私にとって彼女との出会いは偶然とは思えない。誰が言った言葉か忘れたが、出会いに偶然はない。みな出会うべくして出会うとはこのことだろうと思っている。
三月に退院して、早六ヶ月。
最初の動けなさはどこへやら、家の中なら杖なして歩き回っている私だが、なんと来月八回目の手術をすることになった。
右足に入れた金属がどうも相性が悪かったようで、皮膚が青く変色し始めて、じんわりと広がってきてしまったから、固定して一年たつので抜いてしまおうということで手術が決まったのだ。
不安があるから、こうして文章にして吐き出しているのだが、もうなすようにしかならない。
これから先九回目だってあるかもしれないし、私ももし結婚して子供が出来たとしたら、出産だって手術とは比べられないものだと思っているから、落ち着いて八回目を乗り切ろうと思っている。
すごく個人的なことだが、八回目の手術を乗り切れれば念願だった落語を聞きにいけるのだ。それを目標に乗り切ってみせようという決意表明です。
やっと吐き出し完了です。
一度書き出すと書き終わるまで、他のことができない。おまけに放置しておくと、拒食になるという作業なのでまたしても急仕上げ。
続きそうだけど、ここで一応ピリオド打ちます。乱筆乱文で申し訳ありません。




