愛を込めて花束を
少し寒さが緩んだ三月の終わり。
卒業式を終えた天羽に、翔真は花屋の三鷹特製の大きな花束を渡した。
「卒業おめでとうございます。天羽先輩」
「おー! ありがとぉ!」
花束を受け取った天羽は、花の香りを楽しみながら、嬉しそうにくるくると踊った。
「でも、先輩が戻ってきてくれて嬉しいです」
「父さんもリハビリでだいぶ元気になったしね。本当は卒業式にも出られないと思ってたけど、なんとかこっちに戻って来れてよかったよ。春には家から大学にも通えるし、またあやとも一緒にいられるよ! って言っても、もうあたしは必要ないんですかねぇ、お二人さん」
「いやぁ、そんなぁ」
仲良く手を繋ぐ翔真と夜行に、天羽は横目でからかうように言った。
「ごめんね、みさ。たくさん迷惑かけて……」
「何言ってんのよ! あやが元気ならそれが一番だよ! ねぇねぇ、それより二人とも……もうチューはしたの? ねね、どうなのよ」
天羽は悪戯な好奇心を見せながら、口を尖らせながら花束を抱き締めた。
「ななな何言ってるんですか先輩!」
「あれー、何その反応……付き合って三ヶ月も経つのに、まだチューもしてないんだ」
「ほ、ほおっておいてください!」
「はぁ、しょーまちゃんは、相変わらずウブだねぇ」
「くすくす」
「ちょ、ちょっと……夜行さんまで笑わないで下さいよ……」
天羽と夜行が揃って笑っていると、遠くで天羽を呼ぶ声が聴こえた。
「みさきー、集合写真撮るよー。はやくおいでー」
「おっと、じゃあちょっと行って来るわ。明日またイギリスに経つけど四月には戻ってくるからさ! あ、明日の見送りはちゃんとこいよなー」
「わかってますって、ほら、先輩。花はここに置いておくので、早く行ってください」
「おう!」
翔真は天羽から花束を預かると、そっと椅子の上に置いた。天羽が走っていくのを見送ると、翔真は夜行に声を掛けた。
「夜行さん、そろそろ帰りましょうか。送っていきますよ」
「うん」
体育館を出ようとした二人だったが、翔真は思い出したように振り返り、椅子に置かれた花束の中から、アイリスの花を一本抜いて、かばんの中に入れた。
ホームランを打ったあの日から、翔真は夜行と付き合うようになっていた。以前と同じように学校にも通い、妄想倶楽部も存続し、クラブ活動も変わらず行われている。
夜行も笑顔を取り戻し、日に日に明るくなっていたが、時々は事件のことを思い出し、辛くなる日もあるという。まだ夜道は怖いようで、一人で帰ることは出来なかったが、朝の登校は平気になり、翔真とは毎日学校近くの公園で待ち合わせるようにもなっていた。全ての心配事が消えた訳ではなかったが、少しずつではあるが、夜行自身にも変化が見られていた。
「夜行さん、今日はどこか寄り道ですか?」
翔真の先を歩く夜行は、校門を出るといつもの公園の方へは行かずに、坂道を上り始めた。
「うん、公園の近くは卒業生でいっぱいだから」
「そうですね、それじゃあ遠回りして帰りましょう」
そう言って自然と手を繋ぐ二人は、共に坂道を歩き、街を見渡せる丘へと向かっていた。
二人が付き合ってから三ヶ月、手を繋ぐ以外には、何も進展はないまま時は過ぎていた。しかし翔真はこれでいいと考えていた。夜行が元気になり、夢を持ち、前へと進み。普通の女子高生に戻れた時がくれば、その時が来ればこの先を考えてみようと。
勿論、夜行とキスをする妄想をすることもあったが、翔真はその度に首を大きく振り、妄想コンプリートにはまだ早いと、その思いをふりほどいていた。
二人が辿り着いたのは、青垣の丘と呼ばれる小さな丘の公園だった。公園といっても二人用のベンチがひとつだけ置かれている小さな広場で、そこは青垣台が一望出来る二人の気に入りの場所だった。
二人はベンチに座ると、太陽の沈みそうな空を眺めながら話をした。
「夜行さん、来年は僕らも二年生と三年生ですね」
「そうだね、あっというまだね」
「あと一年しか妄想倶楽部に入られないと思うと、ちょっと寂しくなりますね」
「学校はあと一年間だけど、ずっと一緒にいてくれるんでしょ?」
小さく首を傾げた夜行は、とても愛らしく、翔真は恥ずかしそうに夜行を見つめた。
「ももも勿論です! 僕はずっと夜行さんのことを――そうだ、これを渡さなきゃ……」
「うん?」
翔真は先ほど天羽の花束から抜いた一輪のアイリスを、かばんの中から取り出した。
「夜行さん……これ……受け取ってください」
「これは?」
「その花はアイリス――菖蒲です。夜行さんと同じ名前の花です。僕、小さいころからずっとこの花が心に残っていて、とても大好きな花なんです」
「そうなんだ。じゃあ、綾芽と菖蒲なら、どっちが好き?」
少し照れくさそうに、悪戯に笑った夜行。
「い、意地悪言わないでくださいよ。もちろんそれは……綾芽さんです」
「ふふっ。ありがと」
翔真も恥ずかしそうに夜行を下の名前で呼んだ。夜行もそれが嬉しく感じ、僅かに頬を赤らめながら、そっと翔真の肩に寄り添うと、頭を預け上目遣いで翔真に視線を向けた。
「綾芽さん、知ってますか? アイリスの花言葉」
「ううん、知らない」
「アイリスの花言葉のひとつに、あなたを大切にしますって言葉があるんです。面と向かって言うのはちょっと恥ずかしかったので……花を頼って言ってみました……ちょっとキザかもしれないですけど、花屋の息子なら、こういうのもアリですよね?」
「うん。わたしも、翔真君のこと、大切にするよ」
「綾芽さん」
ゆっくりと沈む夕日が、二人の影を赤く染めた。遠くの街に消え行く太陽は、夜の訪れを知らせようと、最後の輝きを放っている。
「あ……もうすぐ暗くなっちゃいますね。綾芽さん、そろそろ帰りましょうか」
「翔真君」
「はい?」
「私ね、家族がいなくなってから、ずっと一人だと思ってた。一人なら、もう生きていてもしょうがない、こんな世界になんていたくない……そう思っていたの。でもね、みさがいてくれて、クラブの人たちや先生がいてくれて……翔真君がいてくれて、私に優しくしてくれた。とっても嬉しかった。まだ夜は怖いけど、みんなが見守ってくれたら、あの暗い闇の中を進むことが出来る気がするの。だからね、今日は頑張ってみる。夜でも一人で帰れるように、だから、見送ってもらうのは、今日はここまでにする」
「綾芽さん……でもそれなら、まずは夕方とか、少し明るいうちの方がいいんじゃないですか? いきなり夜になんて……」
「ううん、夜がいいの。それにね……明るいと……恥ずかしいから」
「恥ずかしい?」
夜行が一瞬目を伏せると、翔真は握った夜行の手が、熱を持ち始めていることに気が付いた。その瞬間、それぞれが、この静寂の中、自分たちの鼓動の音が、互いの心に響いて届いてしまうのではないかと心配した。
ゆっくりと沈む夕陽、二人の影が薄れ、夜の帳が降りていく。
冷たい夜の闇の中で、静かに瞬く星々たち。街の光に反射する木々の露は夜を写していた。
暗くなった世界で、夜行はそっと翔真に顔を近付け、キスをした。
触れ合う唇。翔真は驚いて目を見開いたが、少し震える夜行の腰に腕を回すと、優しく抱いて、ゆるやかに瞼を閉じた。
どれだけの時が進んだのか、それとも時がとまっていたのか。ゆっくりと唇を交わし、互いを見つめた二人。
月の明かりに照らされて、夜行の長い髪が紫紺色に染まった。決して辺りの闇に溶けない強さを持った瞳の黒と、決意を持った優美な笑顔が翔真を照らす。
子供の頃に見たあの菖蒲の花々よりも、夜行は輝いて見えた。翔真はそれが自分の手の中にあることを理解し、人が持つ心の強さに感動した。
翔真はそのことを夜行に伝えたいと心の底から思ったが、翔真がそれを口にしようとした時、夜行は人差し指を立てて翔真の頬を滑らせると、優しく唇にあてた。
「妄想、コンプリート」
花が咲いたような笑顔で、夜行は言った。
それは、いつか見たあの日のように、とても美しい夜だった。




