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火の雨あられ

作者: ナオユキ

最初にそれを教室の窓から目にしたとき、僕は首を傾げた。

オレンジ色の灯りが空から砂利道に落ちたのだ。

確かめている間にもう一つの灯りが落ちてくる。

続けてもう一つ、またもう一つ………。

やっとわかった。

マッチだ。

先っぽの燐にチョロ火のついたマッチ棒が、雲のちらつく青い空から降ってくるのだ。

やがて降り注ぐマッチはどんどん数を増していった。

乾いた横風に乗って、目では追えない程のマッチが、火の風雨が踊り始める。

やがて、それはもはやオレンジ色を超えて紅蓮に燃え盛り、吹き荒れる火の吹雪へと成長していった。

地上に積もったマッチは地面も道路も隠し、炎の波が渦を巻く大海原と化していた。

民家や電信柱、そして僕が授業を受けていたこの校舎にも炎が張り付いてきた。

しかし、不思議なことに世界の全てが赤く染まっているのに、煙がまったく出ていないのだ。

地面を埋めつくしたマッチも、焼かれる木々からも、崩壊する家々からも、あの火の排泄物たる黒い煙が上がっていないのだ。

純粋な、赤と黄色と、熱と苦悶が、広がっていく。

あぁ、火だ。

火がとうとう僕の居る教室に、僕が座るイスに達してしまった。

教室中から悲鳴や怒号が起こるが、それも束の間、静かに豪快に這い寄る火炎のアナコンダに、誰も彼もが飲み込まれる。

もちろん、僕の制服にも着火し、足の先から頭頂まで瞬時にオレンジ色に覆われる。

皮膚があっという間に焼け爛れ、目から口から鼻から臍から肛門から細いミミズがのたくるように侵入してくる。

内蔵が燃やされ、筋肉が文字通り焼肉になり、骨は白い炭へと崩れ、神経線維は燻され、脳漿はぶくぶくと煮ころがされる。

耐え難い熱さ。激痛。

いや、耐える必要はなかった。

すぐに苦痛は去り、さっきとは打って変わった穏やかな気分になっていく。

魂が炎に浄化されているのだ。

肉体という細胞檻から高温の業火によって、僕は自由になった。

僕は火と一体化した。

僕は赤い海に呑まれた者達と、水や空気やエッフェル塔や杉やチワワや青ガエルやアメンボやモグラやアメーバやカラーボックスやスパゲティやガラス窓、かつて僕に暴力を振るった叔父さん、妹の梨絵、意地悪をする辰夫君や桐生君、だいっきらいな川上先生や憧れの村木先輩と、融合したのだ。

僕らは幼い児童のように走り回った。

高層ビルの壁面を。

鼠の体内を。

タブレットの基盤を。

僕らは何処だろうと行けた。

神聖な寺院を訪問した。

意匠を凝らした暖炉からサンタクロースよろしく飛び出した。

砂漠の駱駝に乗り、広大な氷の大地を喰い、迷路のような洞窟から火山地帯に入り込み、

どろどろした熱の塊と合流した。

この星の体内を流れるに任せて漂流し、出口である活火山から噴火した。

どこまでも、どこまでも噴き上がった。

雲を焼き、遠い高い高層圏の空気を熱しながら僕らは駆け上がった。

それは赤い巨大な龍だった。

海底の、高山の、ありとあらゆる火山から僕らは飛び上がり、ある一点に向かって天空を翔る。

ユーラシア大陸の東端の島国、(今では消し炭のように無惨な姿だ)、遥か数千メートル上空に赤い龍が、僕らが集まった。

無数の僕らはお互いに擦れあい、絡み合って、一匹のそれはそれは巨大な鳥に成った。

僕らは干上がって地面が剥きだした、少し前まで海と呼ばれていた荒地も、くすんで黒々とした汚らわしい地上も眼中に止めず、翼をはためかせ上へと舞い上がった。

成層圏を抜け、熱圏を、大気圏を突破した。

有機物無機物を問わず、遍く物質に宿る魂を浄化し、吸収した僕らの躯が動く度に、紅や群青や乳白や橙や、緑や紫や瑠璃色が、波打つ羽根が羽ばたく度に、無数の火の粉として飛び散った。

火の粉は僕らが進んできた行路を示すかのように跡をつくった。

やがて小さな僕らの分身は宇宙空間に漂い拡散していく。

茸は自らの遺伝子を増殖させるために胞子を蒔き、胞子は適当な場所に居を構えて成長する。同じように僕らの胞子である火の粉は、今までに取り込んできた原子を再構成し、自ら形を成していった。

それは人の小指大の、この世で炎がもっとも好む形状であるマッチ棒だった。

そう。あのとき空から降ってきた無数のマッチは、何光年もの離れた遠隔地で、僕らの母が散らせた火の粉の残滓だったのだ。

宇宙を浮遊するマッチ棒は、やがて重力の強い惑星に引き寄せられ、その惑星の資源を食いつくし、星に孕ませた僕らの子を産み落とすだろう。

炉にくべられて焼き生ゴミになったリンゴのような地球を捨てて、僕らは限りが無いかと思われる宇宙を航行する。

大いなる旅の門出を祝ってくれるかのように、心地よい太陽風が僕らの羽根をなびかせた 。



                              終

散文詩を意識しました。

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