最悪の黒-083_Bランク昇格試験
「そ、そこまで!」
「…………」
「お疲れさん」
ルキル支部訓練場。
その中央で焦げ茶色の髪の毛に赤い瞳の獣人――B+ランク傭兵〝爆劫〟・ウォーカーが目を回しながら仰向けで倒れていた。その傍らにいる黒髪に長身の青年――Cランク傭兵ハクロは汗一つかかず、息一つ乱さずバーンズの頬をペチペチと手の甲で叩いている。
傭兵ギルドの共用訓練場を用いたB+ランクによる後進の指導――ではない。これはハクロに対するBランク昇格試験だった。
ルキルに来てからの鹿狩りを利用し、通常ではありえない速度でCランク依頼達成実績を積み上げたハクロだったが、先日めでたく受験のための要件を達成したため早速ギルドに申請を出した。鹿狩り対応のために人手が割けるまでしばらく待つ覚悟をしていたのだが、それでも2日後には試験を受けることができた。
懸念事項であった筆記試験だが、半分は選択問題と言うことでそちらは完答、残り半分の記述問題も日々のリリィとの語学の授業によりそちらもまずまずの点数が取れたため、無事に午後の実技試験に進むことができた。
それよりも選択問題に「問:夜間の偵察依頼は視界が狭くなるため気を付けなければならない」という正誤二択問題で「解:× 昼間も気を付けなければならない」という理不尽な引っ掛け問題があったことが気になったが、それはともかく。
実技試験を担当することになったのは、ルキルに滞在中の傭兵でBランク以上かつ手が空いている者、ということでバーンズが指名された。
同じ傭兵大隊に所属している者同士で試験をしまって良いのかとギルドに問うと「特に規制はされていないので問題はない」と機械的な返答があった。バーンズだけは冷や汗を流し、隣で顛末を聞いていたタズウェルはあからさまにほっとした表情を浮かべていたが。
かくして、常日頃から行っている訓練同様にバーンズが一方的にハクロにボコボコにされるという光景を試験官のギルド職員の目の前で披露したところ、ドン引きしながら試験終了の宣言が下されたのだった。
「合格でいいんだよな?」
「ははは、はい! 直ちに手続きを行いますので明日……いえ、夕方にまた受付までいらしてください!」
「お、おう。手早く終わるなら助かる」
逃げるように訓練場を後にしたギルド職員の背中を目で追いながら、ハクロは思わず肩を竦める。
何やら怯えさせてしまったらしい。
ギルド職員は加入後に戦闘職としての才覚の開花に恵まれず、事務作業担当と言う後方支援に回った傭兵も一定数いる。今回の試験官もその口なのかもしれない。別にハクロとしては誰彼構わずどつき回す趣味はないのだが。
「合格おめでとう」
と、訓練場の端でハクロの受験を見守っていたタズウェルが軽く手を掲げながら近寄って来た。
「鹿狩りの時期と重なったとは言え、3か月弱と言う短期間で本当にBランクへ昇格するとは見事だ」
「どーも。とりあえずギルド長から言われた課題の第一弾はクリアってことになるが、ルネには1年でAまで上がれとかいう無茶ぶりを言われてんだよな……」
「Aランク昇格か……」
タズウェル共々渋い表情を浮かべながら「うーん」と唸る。
Bランクまでは凡庸な者でも努力次第で昇り詰めることは可能だ。しかしその先であるAランクとなると、受験のための要件を達成するために情報収集し、都市部だけでなく時には地方にまで自ら赴き埋もれている高ランク依頼を探して回るだけの行動力、そして何よりそういった依頼に巡り合えるだけの運も必要になる。
「バーンズの時はどうしたんだ」
「お……俺の時は……」
地面に横たわったままのバーンズに訊ねると、喉の奥から絞り出すような掠れた声で返答があった。
「ひ……姫様、に……手伝って……もらった……」
「手伝ってもらったと言うより、姫様の無茶に振り回されているうちに要件を達成したという方が表現としては正しいな」
苦笑半分にタズウェルがポーチから水筒を引っ張り出すとバーンズに手渡す。それをなんとか起き上がりながら受け取るとガブガブと浴びるように中身を飲み干した。
「ふう……い、いくらか楽になった……!」
「情けねえぞB+ランク」
「アンタみたいのがCランクにいる方がどうかしてんだ……!」
「今日からBだぞ」
「さっさとAランクに上がってくれ……!」
軽口を叩けるだけの気力が戻ってきたようなので、ハクロは手を差し出しバーンズを引き起こす。
それに応えるようにバーンズもハクロの腕を掴み、多少ふらつきながらもようやっとの思いで立ち上がった。
「無茶に振り回されたって、具体的には?」
「いやもう、本当に言葉通りだ。東部にAランク指定の魔物が出れば飛ばされ、西に突発魔群侵攻の予兆があればそっちに飛ばされ、その足で北に南に護衛依頼を押し付けられ……」
「今もそれほど変わらないが、傭兵大隊発足直後の王都本拠点は本当に傭兵が無人だったな……」
タズウェルにも覚えがあるらしく、遠くを見るような目で昔を懐かしんでいた。実際ハクロとリリィが傭兵大隊に勧誘された時も、王都の拠点はルネ以外は使用人しかいなかった。
「つーことで、ハクロさん覚悟しとけよ……? Bランクに上がって受けられる依頼が増えたってことは、姫様から割り振られる依頼も増えるってことだからな……!」
「そうだな。ハクロがバーンズの修行に付き合っている以上、お前もそれに付き合わされることになるわけだがな」
「ひゅっ……」
言われてようやく気付いたのか、バーンズは赤い目をぐるりと泳がせる。しかし現実逃避しようとしたところで――ひゅぽっ、と3人のギルド証にメッセージの通知が届いた。
▽――――――――――――――――――――――――▽
5024/10/19 14:21 [余である!!]
ハクロよ、Bランクへの昇格おめでとう!
これから貴様にも本格的に傭兵大隊で受注した依頼を回してもらうこととなる!
心してかかるように!
△――――――――――――――――――――――――△
「いや情報早ぇな!?」
「さっきの今だぞ!?」
どこかにルネの「眼」でもあるのかと思わず周囲を見渡した。
しかし当然ながらそんなものはない。
▽――――――――――――――――――――――――▽
5024/10/19 14:22 [余である!!]
さしあたって次の依頼の目的地の希望くらいは聞いてやろう。
東と南、どちらが良いか選ぶがいい!
5024/10/19 14:22 [〝焔蜥蜴〟]
南南南南南南南南南南南南南南南南南南南南南南南
5024/10/19 14:22 [エーリカ・ロス]
東! 東! 東!
5024/10/19 14:22 [〝風舞踏〟]
西西西西西西西西西西西西西西西西西西西西西!!
5024/10/19 14:22 [〝焔蜥蜴〟]
うるせえ姉貴、選択肢外はすっこんでろ!!
5024/10/19 14:22 [〝風舞踏〟]
ぶち殺すぞ愚弟が!!
△――――――――――――――――――――――――△
「阿鼻叫喚だな」
「アビキ……何?」
「こっちの話だ」
思わず口からこぼれた元居た世界の言葉にバーンズが首を傾げたが、それよりもメッセージ機能が酷いことになっている。どんだけ援軍が欲しいのか。
「つかこれ、どこを選んでも恨まれるじゃねえか」
「だ、だな……」
「いっそ姫様が命じてくれれば丸く収まるのだがな……」
タズウェルまでもがギルド証上で繰り広げられる惨劇に深い溜息を吐いた。
とは言うものの、ハクロとしては今後の予定としては一択である。
▽――――――――――――――――――――――――▽
5024/10/19 14:23 [ハクロ_C]
東で。
5024/10/19 14:23 [〝焔蜥蜴〟]
ああああああああああああああああああああ!?
5024/10/19 14:23 [〝風舞踏〟]
ざまああああああああああああ!!!!
5024/10/19 14:23 [エーリカ・ロス]
や、やったーーーーーー!?
△――――――――――――――――――――――――△
「東……エーリカが主に常駐している地方だな」
ふむ、とタズウェルが頷く。
「何か理由はあるのか?」
「運が良ければ『滅びの聖地』が見えるんだろ? 一回見ておきたくてな」
「そういやそもそもそれ目的でジルヴァレから大陸北東海岸に沿って南下してきたんだったな」
「ああ、なるほど」
ジルヴァレから行動を共にしていたバーンズも思い出したように頷き、それにタズウェルが納得したように相槌を打った。
それにもう一つ、東側を目指したい理由もあった。
「大陸東部はラッセル湖とハスキー連峰っつー大陸の技術の源流部だからな。色々と楽しめそうだと思ってな」
「「…………」」
腰に差したホルスターを撫でながらそう軽薄に笑うと、バーンズもタズウェルも何とも言えない微妙な表情を浮かべた。
「なんだ?」
「……いや……なんつーか……」
「絶対に君を東部へ行かせてはいけない気がするのだが……」
「そうか。だが残念」
肩を竦めながらハクロがギルド証を掲げた。
▽――――――――――――――――――――――――▽
5024/10/19 14:24 [余である!!]
依頼管理番号5024.10.14.000987
ハスキー州で管理している坑道の一つに発生した魔物の調査及び討伐だ。
貴様らが今いるルキルから距離があるため長期間に渡って行われる依頼を選択させてもらった。
詳細は現地でエーリカに確認するように。
なお今回の調査討伐依頼について、別の依頼を個人的に受注し並行して実施可能であることを申し添えておく。
それでは武運を祈っているぞ!
△――――――――――――――――――――――――△
「指示が下った」
「あー……」
「…………」
バーンズがしおしおと尻尾を腰からぶら下げ、タズウェルは腕組みしたまま俯いた。
なんとも失礼な連中である。
「しかしハスキー州か。ここからだと馬車で1か月半か?」
「……まあそれくらいかかるだろうな」
地図を思い浮かべながらバーンズに問うと、力なく肯定の答えが返ってきた。
「ルネからの指示が出たってことは早めにルキルを出た方がいいか」
「だな。調査討伐の長期間前提依頼つっても、まあ遅くとも月末までには出発した方がいいと思うぜ。リリィ先輩の仕事の引継ぎ次第だけど」
「なるほど。タズウェル、そういうわけだがルキルは任せてもいいか」
本当ならばルキルで収穫が終わるまで依頼に付き合ってやりたい気持ちがあるが、移動にかかる時間を考えればいくらでも出発は早い方がいい。
訊ねると、タズウェルは厳つい顔つきを崩すことなく「そうだな」と頷いた。
「俺は問題ない。ルキルの鹿狩りは何人いても足りないが、最初から最後まで縛られるような依頼でもない。人の出入りは元から多い」
「そうか。それはよかった」
「だがどうせなら出発は11月に入ってからが良いと思うぞ」
「なんでだ?」
思いがけない提案にハクロが訊ねると、一足先にバーンズが「あ、そうか!」と手を打った。
「10月末日にルキルの収穫祭が行われるんだ。それを見てからでも遅くはないだろう」
「やれやれ、やっと落ち着いてきましたな」
「そうですね」
傭兵ギルドルキル支部、その支部長室でフロイドとハンナは各々に課せられた書類を処理しながら呟いた。
その言葉とは裏腹に二人の執務机には大量の報告書や申請書がうず高く積み上がっているが、収穫期も終盤のルキルとしては平年通りである。今頃職人ギルドの作物部門はこの比ではない量の書類の対処に追われているはずだ。
と言うのも、ラキ高原で発生が確認された樹木系種の突発魔群侵攻「侵食魔森」の焼失後、ルキルに押し寄せていた火食鹿の約半数が踵を返すようにラキ高原へと戻っていったのだ。
魔獣とは言え野生動物は不思議なもので、遠く離れた地にいても本来自分たちが棲む地域から危険が去ったと察知できるらしい。このまま餌の豊富なルキルに居付かれたら厄介だと警戒していたが、傭兵たちの堅固な防衛線により主要な生息地としては旨くないと判断したようで何よりだった。
とは言えラキ高原の調査を任せた「ロバーツ先遣隊」曰く、森周辺は草一本残らず魔力ごと食いつくされてしまっていたというのが少々気がかりだった。森から離れた場所ではいくらか低草類は残っているというし、森周辺も埋没種子は流石に生き残っているとは信じたいが、ラキ高原に戻った火食鹿が再びルキルにとんぼ返りしてくる可能性もないわけではない。
今ルキルでできることは、収穫作業の急ピッチでの完了だ。収穫補助や輸送に傭兵を人手として貸し、その分だけ書類が積もり積もってこの有様である。
「それにしても、ラキ高原で樹木系種の突発魔群侵攻か……」
うんと一度凝り固まった背筋を伸ばし、フロイドは改めて討伐依頼の依頼に当たった傭兵から提出された報告書に目を落とす。
「枯れたラキ川の水属性魔力に引き寄せられた魔物が高原に迷い出てしまい消滅後、その残留魔力とラキ高原の地属性が混ざり合ったことが原因……そのような事例、初めて聞きましたよ」
コツ、とハンナのペンを奔らせる手が一瞬止まる。
しかしすぐにペン先は滑らかに動き出し、彼女は顔を上げることもなく「そうですね」と言葉だけで頷いた。
「魔術ギルドにも確認しましたが、前例はありませんが可能性としては大いにあり得るとのことです」
「ルキル=ラキ川本流で発生した水属性の魔物が誤って遡上してしまったということですか。水中で発生した魔物は視認できないものもいますしね。そういった種が我々の警戒網を抜けてしまったか」
「今後は巡回依頼受注者や衛兵隊に水中にも探知魔術を向けるよう伝えておきます」
「ええ、お願いします」
そんなやり取りを交わした後、二人は改めて書類へと向き直る。
雑談をする余裕は戻ってきたとは言え、ダラダラしながら終わる作業ではないのだ。





