最悪の黒-080_蛇足の紋
「うわ、こいつぁ酷ぇや」
黒く焦げた盆地の底地を爪先で突きながらマウロは思わずそう呟く。
つい半日前までそこにあった樹木系種の森は跡形もなく焼失し、今は焼けた砂利や礫から僅かに煙が立ち上っているだけだ。
「確かに作戦は聞いてたぜ? 飛び火する心配がないから焼き払うって。けどよ、流石にこれはやりすぎ。痕跡調査も出来ねえじゃねえか」
「「バーンズが悪い」」
「俺ぇっ!?」
ハクロとティルダが声を揃えてバーンズを指さし、バーンズが心外とばかりに振り返る。
「こんな地形ごと焼き尽くすような術式込めなくても良かっただろう」
「……限度がある」
「全力でやれって言ったのハクロさんだろ!?」
「いや、全員悪いんだわ」
マウロはタズウェルにまで向けながら深い溜息を吐く。なんということだ、監督不行き届きということでタズウェルまで巻き込まれてしまったか、とハクロは流石に反省した。
「悪ぃな、タズウェル!」
「謝罪が軽い……」
眉間に皺を寄せ、ただでさえ悪い人相をさらに悪化させながらタズウェルもまた溜息を吐いた。
「それにしても、想定より派手に燃えたってのは正直なところだよな。水と土の魔力の混合物に着火するとあんなに一瞬で燃え広がるんだな」
「……うん。木の魔物に火を使っちゃいけない、っていう分かりやすい事例だった」
「焼く前、焼けてる最中、焼けた後の記録絵図を見習い向けの教本に載せようぜ」
「あ、それ良い考え……!」
「あんたら……!」
形にすら反省の色を見せないハクロとティルダにバーンズが渋い顔をする。しかしその程度で二人が心の底から省みるような性格であれば、端からこんなことにはなっていないのである。
「しかし」
それはそれとして、ハクロは焼け跡を改めて見渡す。
「魔物が消えて視界が開けたが、やっぱりここに水属性魔力が湧くのは不自然だな」
「……そうだな」
タズウェルが小さく頷く。
シシリーも言っていたが、実際に地形が露わになったところでその答え自体は変わらない。どうしてもこの地形で樹木系種が発生するほどの魔力は滞留しようにないのだ。
「水属性の魔物が通りかかったってのは考えられないか?」
「この地属性だらけの盆地の半分を水に変えるようなか? そんなのどう低く見積もってもAランク級だぞ。ギルドが把握してないとは思えない」
「そうだよなー……」
バーンズがマウロに訊ねるも、即座に否定される。そもそも水属性の魔物は水の魔力を求めて彷徨うため、こんな所まで来るわけがないのだ。
仮に水と地属性の両方を持つ移動能力の高い魔物が水属性魔力をばら撒きながら地属性魔力を求めて通りかかったとして、この盆地にだけ樹木系種が発生するのはおかしい。移動経路にも多少なりとも水属性の痕跡が残っているはずだ。
「となると、やっぱ人為的な要因かね」
「こんな荒れ地のど真ん中で地属性魔力が水属性に変異するほど強力な魔術を使った馬鹿がいるってか?」
「仮にいたとしても突発魔群侵攻が起こる可能性の方が低いだろ、こんな場所じゃ」
突発魔群侵攻は魔力が地形効果で滞留するような場所で魔術を使用しても発生する可能性がある。
しかしながらこの盆地は「魔力が滞留しうる可能性がある」というだけで、実際に突発魔群侵攻が発生するほど高密度な魔力が溜まるかはまた別の話だ。そんな場所でどれだけ派手に魔術を使ったところで影響としては微々たるものだろう。
マウロだけでなくバーンズやタズウェルも懐疑的に首を傾げる。
だが。
「俺は実際、カナルの街で全く予期しないタイミングで発生した突発魔群侵攻に出くわしている」
あの時の事を一つずつ思い起こす。
支部長アイビーは気の抜けた性格をしていたが、それは有事ではない時に限った話だ。現に突発魔群侵攻の気配を察知した瞬間に文字通り目を醒まし、対処に当たっていた。
彼女の補佐を務めるジャンヌも同じく優秀な魔術師だった。彼女たちが街の近くの突発魔群侵攻が発生しうる魔力溜まりを見落とすとは考えにくい。
また突発魔群侵攻発生地点の巡回を低ランク帯の若手に任せていた。もうすぐ突発魔群侵攻が発生するというタイミングであればもっと高ランクの中堅ないしベテラン組に任せるべき依頼のはずだ。
やはりあの突発魔群侵攻発生は予期できなかったものと考える方が筋が通る。
さてそうなると発生の原因は自然由来の物ではないということになる。何か強力な魔物が通りかかったか、魔力溜まりの近くで魔術を使った馬鹿がいるかだ。
前者であればハクロのこの思考はそこで終わる。たまたまギルドの調査から抜け落ちた魔物が通りかかり、突発魔群侵攻の発生を速めてしまったというだけの話だ。
だが後者の場合、少々ややこしくなる。
当たり前だが、魔力溜まり付近での魔術の使用禁止は傭兵ギルドに加入した者は最初に教わることだ。よっぽどの理由がない限りそんな馬鹿な真似をしてギルドに知られたら降格で済む話ではない。
にも関わらず、あの後も少しの間カナルにいたハクロの耳にそういった話は聞こえてこなかった。
つまり傭兵ギルドの関係者が引き起こしたわけではない。
ならば他のギルドか?
魔術ギルド、職人ギルド、商人ギルド、僧侶ギルド、医薬ギルドの順に怪しいが、魔術ギルドの魔術師が突発魔群侵攻を引き起こしたとなると大陸中が震撼するだろう。流石にこれらは除外してもいい。
そうなると考えられるのは残り一つ――
「……もう少し向こうか」
突如黙りこくって思案し始めたハクロを訝しげに眺めていたその場の全員が、歩き出したハクロを追いかける。
先程まで立っていた地点は魔物の森の入り口付近。
突発魔群侵攻が発生したとしたら、もっと中央だ。
水と地の魔力が濃く、最も派手に燃えた位置を確認しておきたい。
「この辺か」
歩くこと十数分。
約2キロ四方に渡って広がっていた魔物の森のほぼ中央――高熱により砂利すら焼け溶けていた地点を靴の先で崩しながら掘り返す。
「この辺りを掘ればいいか?」
と、黙って着いて来ていたマウロが背負っていた鞄から小ぶりのシャベルを取り出し、地面に刃先を突き立てた。
「五分五分だけどな」
この焼け方では突発魔群侵攻を引き起こした「何か」も一緒に消し飛んでしまった可能性の方が高い。
しかし、この進展することない停滞した世界において、突発魔群侵攻を人為的に発生させられる「何か」を作るような頭のおかしい魔術師ないし技師が、己の発明品を炎ごときで消滅するような物質で作るなど、ハクロは考えていない。
そんな傍迷惑な物を作るような馬鹿は、五分の確率ではあるが、馬鹿のように自己顕示欲が高い。
そのまま全員で周囲に異物がないか探索を始める。
かくして。
「……あった」
溶けた砂利に紛れ、普通に歩いているだけでは見落としかねないそれを拾い上げる。
周囲にこびりついているのはガラスと砂利が溶けて混ざり合った物だろうか。鎮火してしばらく経つが未だにほんのりと熱を帯びているということは、この周囲はよっぽど高温になっていたのだろう。
しかしソレその物は溶けもせず、歪みもせず、割れもせず、恐らくは炎が上がる前から変わらぬ形状を保っていた。
「なんだ? 銀貨……いや、装飾用のメダルか?」
バーンズが横から覗き込み、首を傾げる。
仮にも元Aランク傭兵と言えどその年季は浅く、経験は浅い。すぐにはそれが何かと気付かないようだ。
「ティルダ。この周りのガラスって取れるか?」
「……やってみる」
腰にぶら下げていた作業ベルトから分厚い革手袋を外し手に嵌め、ハクロからメダル状のそれを受け取る。
両手で摘まみ左右からドワーフの腕力で力を籠めると、周りにこびりついていたガラスがピシリと軋み、あっという間に焼き菓子のように砕けた。
しかし砕けたのは外側だけでやはり本体は傷一つつかず、ガラスが割れた勢いで宙を舞う。
それをハクロが器用にキャッチすると、そこに描かれていた紋様を見せた。
「うげ、これ……!」
「…………」
バーンズが嫌そうに顔を顰め、タズウェルも険しい表情を浮かべる。
マウロも鬱陶しそうに口元を歪めたが、そもそも技師で傭兵稼業には疎いティルダだけは「なに……?」と首を傾げたままだ。
そこに彫られていたのは鎌首を掲げた蛇の紋様だ。
だがよく見ると体から細い脚のような部位が四本伸びている。
「足の生えた蛇……盗賊ギルドの紋章だ」
この大陸で流通している硬貨の裏面には王家の紋章として東を向いて吼えるドラゴンが描かれている。しかしそのメダルにはご丁寧に、王家の紋章と対を成すよう西を向いた構図をしていた。
どうやら今回の依頼は、魔物の森を焼き払って終了と言うほど簡単な話ではなさそうだった。





