最悪の黒-073_緊急依頼
その早馬はハクロが手紙を書き終わり、バーンズを宣言通り足腰立たなくなるまでぶちのめし、拠点全体の空気が緩んだ頃を狙ったかのように到着した。
「『太陽の旅団』の方々ですね」
息が上がった馬からギルド職員の制服のスカートが翻るのを気にする余裕もなく降り立ったのは、眼鏡をかけた几帳面に背筋を伸ばしたエルフの女性だった。
「傭兵ギルドルキル支部の副支部長、ハンナ・ブランシュです」
「…………」
ルキルではその名を聞かなかったからもしかしてと思ったのだが、単に今日まで支部運営の上層部と関わる機会がなかっただけだったようだ。
「皆様に緊急の依頼があり、相談に参りました」
「とりあえず中に入ってくれ」
地面にうつ伏せになったままピクリとも動かないバーンズの首根っこを掴み、ハクロはハンナを拠点へと招き入れる。
共用スペースでは既に騒ぎを聞きつけたリリィとタズウェルがテーブルの上を片付けて話を聞く態勢を整えていた。
「単刀直入に申します」
椅子に腰かけるや否や礼儀正しいブランシュにしては珍しく、礼もそこそこに鞄から一枚の羊皮紙を取り出した。
「ルキル支部長名義でAランク依頼が発令されました。内容はAランク魔物の討伐で――」
「少し待ってくれ」
流石にタズウェルが待ったをかける。それにハンナも少し話を急かしすぎたかと一呼吸挟み、タズウェルに向き直る。
「ブランシュ副支部長が直々に我々の元に訪れたということは、その緊急依頼を受けよということなのだろうが、Aランク依頼なのだろう? バーンズは先日Aランクを退いたところだし、私もBランク、ハクロに至ってはCランクだ。受注権限がない」
「はい。ですので受注者としては『太陽の旅団』リーダーであるAランク第参位階〝鉄腕姫〟・ツルギとなり、彼女からルキルに滞在中のお三方へ委任という形となります」
「…………」
タズウェルは渋い顔をしつつも無言で引き下がる。それ以上何も言い返さないということは多少強引ではあるが手続きとしては正当な物であるようだ。
問題は、その委任先である三人に伝達が来ていないほど急な案件であるということだ。
「あ、確認とれました!」
と、端の席でギルド証のメッセージ機能を起動していたリリィが顔を上げる。
それに倣ってハクロも確認すると、つい数秒前にルネから緊急依頼の受注についての連絡が入っていた。ルネは仕事は早いが、今回はその連絡を上回る速度でハンナの方が先に辿り着いてしまったようだ。
▽――――――――――――――――――――――――▽
5024/9/15 15:47 [余である!!]
ルキル滞在中の三人へ緊急依頼を任せる。
依頼管理番号5024.09.15.002598
討伐対象:Aランク魔物「侵食魔森」
詳細はギルドより確認されたし。
状況によっては他傭兵団及び傭兵大隊に増援を求めることも可とする。
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珍しく遊びのない簡潔なメッセージに眉を顰める。向こうも向こうでよっぽど切羽詰まっているようだが、それよりも討伐対象の名称が気になった。
「森?」
「はい。便宜上一個体のような名称がつけられていますが、その実態としてはBからEランクの樹木系種魔物の群体――ある種の突発魔群侵攻です」
その言葉にタズウェルと、気を失ったように突っ伏したままだったバーンズが起き上がってハンナに向き直る。
「発端としては2週間前になります。今年の火食鹿の出没数が多すぎること、また大型個体の割合が高いことから火食鹿の繁殖地へ調査隊を派遣しました。場所としましてはルキルより西部へ馬車で10日ほどのラキ高原で、元来地形的に魔力の滞留が少ないこと、周囲に集落がないことから衛兵や騎士団の巡回ルートから離れていたことから発見が遅れたようです」
「そんなところで突発魔群侵攻が発生したのか?」
「……可能性としては、なくはないな」
タズウェルが難しい顔を浮かべながら頷く。
「今回発生した『侵食魔森』……樹木系の魔物は一度発生した後の移動能力は通常の植物同様0だが、少ない魔力量で爆発的に眷属を増やすという特性がある。さらに一部の樹木系種は中核器官を分裂させ、種子のように風に乗せて散布することが確認されている」
「そんなのがいるなら、今頃大陸は樹木系魔物で埋め尽くされてるだろ」
ハクロが疑念を挟むと、タズウェルは「もちろん制約もある」と返した。
「種子は環境に適した地点に辿り着けなければ数日で消滅する。元々樹木系種は発生場所が限られているからな」
「気になるのは、ラキ高原って樹木系が湧くようなところだったか、っとことだよな」
バーンズが大きく首を傾げる。
「確かに馬鹿みたいな数の火食鹿が繁殖地に選ぶ程度には草も生えてるけど、礫地帯で水はけがよすぎて低草しか生えない。だからこそ弱い個体が追い出されてルキルまで雪崩れ込んでるわけだし」
「樹木系種が好むのは地属性と水属性の魔力が程よいバランスで存在する地域だな。確かにあそこの魔力は水属性は滞留しにくく、地属性に偏っていたはずだ」
「となると、ルキル=ラキ川の上流――ラキ川で何かがあったんじゃないか?」
周辺の地形図を思い返しながらハクロは仮説を一つ立てる。
ルキル周辺の広大な農地の用水を満たしているルキル=ラキ川の水源を辿ると、ルキル川とラキ川の二本に分かれる。
しかし川とは言いつつ、ラキ川に関しては平時は水が流れていない水無川であり、図面上も点線で記されているだけだ。それが初夏の雨期になると本流であるルキル川の水量を超えるほどの大河となり、ルキル=ラキ川としてルキル地方に恵みをもたらす。
そして魔力的観点から見てもラキ川周辺のラキ高原は水属性の魔力に乏しい荒涼地帯であり、雨期を除くと地属性に著しく偏っている。となると、そのラキ高原に本来湿潤な地形と魔力によって出現するはずの樹木系種の突発魔群侵攻は発生したとなれば、そのさらに上流の水源に異変が生じていると考えられる。
「突発魔群侵攻は突発魔群侵攻として早急な対策は必要だろう。種が農地まで届いたら目も当てられん。だがそれと並行して上流部の調査も進めてくれ。根幹を絶たなければ再発の可能性もある」
「分かりました。ラキ高原を調査させていた傭兵団にそのまま上流部まで範囲を拡大するよう伝達します」
ハンナは頷くとその場で自身のギルド証からメッセージを送信する。
その間にもハクロたちは最初に彼女が差し出した契約用の羊皮紙に各々の記名を済ませる。あとは順序が逆になるが、王都にいるルネが記名すれば正式に「太陽の旅団」で受注した依頼をハクロたちが任されたという形式となる。
「出発はどうする? 馬車で10日となるとそれなりの準備も必要になるが」
「今回、物資に関してはギルドで用意する手はずになっています。ハクロさん所有の馬車をお借りできるのであれば明朝までに出発できるよう準備します」
「わかった。馬車は蔵の中、竜馬は家畜小屋につないであるから持って行ってくれ。バーンズ、案内してやってくれ」
「おう!」
「ありがとうございます。準備が完了次第こちらの拠点へお戻しします」
ハンナは頭を下げると、案内のバーンズを伴って席を外し表へと出る。その背中を見送りながらハクロは「やれやれ」と肩を竦めた。
「安息日の終わりになんとも騒がしくなっちまったな」
「傭兵稼業などこんなものだ」
「つーわけで、リリィ、すまないが明日からしばらくティルダと留守を頼む。往復を考えると一月くらいかかるかもしれんが」
「了解です! その間ティルダさんと仲良くなってハクロさんをびっくりさせちゃいますよ!」
ビシリと手を掲げながら頷くリリィ。突発魔群侵攻の対応、しかもAランク依頼となるとリリィを伴って現場へ赴くのは危険すぎる。彼女にはルキルでの薬師としての仕事もあるわけだし、今回は技師のティルダ共々留守番だ。
そしてギルドからの物資が届き次第速やかに出発するとして、その場は一時解散となった。





