最悪の黒-072_魔石のいらない魔導具
「……魔石がいらない魔導具、か」
ふむ、とハクロは足を組んで思案する。
この世界の魔導具に対する造詣は深くないが、そのほとんどが汎用性に重きを置いて作られている。魔石という魔力を長期間安定して放出する鉱石を主体にそこから魔力回路をつなぎ、術式を形成して魔術を発動させるのが一般的だ。
その普及率は日常生活になくてはならないものとなっているレベルであり、この小さな拠点だけでも照明、調理器具、食料保管、空調、水回りとありとあらゆるところに配置されている。
それはもはやハクロの知るところの電力と同等であり、ルネがティルダに課した課題とは「電源を使用しない機械製品を作れ」という無理難題に近い。
「……やっぱり、無謀なのかな……」
と、沈黙に耐えきれなかったのかティルダのバケツ頭がさらに俯く。
「……船の素材は、傭兵大隊の他の技師の子が……当たりを、つけてて……もう試作に入ってる。でも、ウチの課題だけは、図面どころか……理論すら……」
「船の方は結構進んでるんだな」
「うん……しかも、ウチの魔導具が完成しなかった場合の、大量に積み荷を抱えられるコスト度外視の……超々大型船の図面もできてる……」
「…………」
流石にルネにティルダを追い詰める意図はないのだろう。あの貪欲で用意周到な王女はありとあらゆる可能性を模索し、一番の案が失敗した場合の次案をいくつも用意しておかないと気が済まないタイプだ。だがしかしそれがティルダにとってはこの上ないプレッシャーとなっている。
「……もういっそ、ウチも魔導具は諦めて、船の試作に参加した方がいいのかなって……最近は思うようになって……」
「いや」
大きな手のひらを胸の前で握りしめ、バケツの底が見えるほど俯いてしまったティルダにハクロは首を横に振る。
「諦めるのは早いぞ」
「え……?」
「いきなり魔石を完全に取っ払った魔導具を作ろうとしているから上手くいかねえんだ。いつかはそこに行きつくつもりで、まずは一歩手前の妥協案から作ってみたらどうだ?」
ティルダの図面を見る限り、その発想自体はハクロの知るところである自然エネルギーを用いた発電方法に酷似している。風を受けた風車がタービンを回し蓄電する風力発電が近いだろうか。
自然界に存在する魔力を燃料として魔導具を起動させる術式と回路を考案しようとしているようだが、その流動性の高さから制御が安定していないようだ。
「元々俺は世間一般に広く普及してる自然魔力を魔術に使用するやり方に懐疑的なんだ。自分の体からも魔力は生み出されてるんだから、そっち使えばいいだろう。魔力波長がごちゃごちゃで統一性のない自然魔力より、波長がほぼ統一されている人体魔力の方が制御が容易い」
「で、でも、人体魔力は使いすぎると魔力切れを起こして……危険だし……」
「使いすぎると危険なら、使いすぎなきゃいいだろ。何のための魔術と魔力制御だ」
「……そんなこと言われてもお……」
バケツの上からでも表情がぐしゃっとなっているのが何となく伝わってくる。流石に言葉が強すぎたかとコホンと咳払いを挟み、話を続ける。
「まあつまり何が言いたいかっつーと、ただでさえ使いにくい自然魔力をそのまま魔導具に使おうとするから失敗するんだ。だったら自然魔力を制御が簡単な状態に整えてやればいい」
「え……?」
風車に直接電源を繋ぐから動かないのだ。間にタービンを挟み、風力を電力に変換するからエネルギーを汎用的に使用できる。
だが少々遠回りのアプローチであるため、流石のティルダもすぐには発想がつながらないようだ。
しかし表情は見えずとも不思議と彼女が思考をフル回転させているのが手に取るように分かった。
「再確認。一般的に魔術を使用する際は自然魔力を用いて発動する。その術効率は個人の魔力操作に左右され、魔力操作とはすなわち、自然魔力の波長を術者が使いやすいよう整えることにあるな」
「そう、だね……?」
「もう一つ聞くが、魔導具の基礎として使われている魔石の魔力は自然魔力か? 人体魔力か?」
「それはもちろん……自然魔力……」
「自然魔力であるはずの魔石で魔導具が安定して起動できるのは何故だ?」
「……魔石の魔力は、波長が安定している、か、ら……」
「魔力切れを起こして使い道がなくなった魔石は職人ギルドが回収していると聞くが、その後はどうしている? ゴミとして処分か? ただの宝石として装飾に使われているのか?」
「……ッ!!」
ティルダはバケツを脱ぎ捨て、新しい大判紙を作業台にセットしてペンを握る。そしてゴリゴリと紙が破けペン先が潰れるのではないかという勢いで図面を走り書いていく。
「……焚きつけておいてなんだが、飯はちゃんと食えよ?」
「んあ」
呆れ半分で作業を眺めていると、ティルダがぱかりと口を開いた。
どうやら突っ込めと言うらしい。
「……やれやれ」
幸い今日の夕食はピラフだった。少しずつ匙ですくってやればこぼれることはないだろう。
「ほれ」
「んむ」
少なめの一口をティルダの口に差し入れると反射的に唇が閉じられる。それを確認して引き抜き、よく噛み飲み込んだのを確認したら次の一口を差し出す。
なんだか病人の介護というよりも雛に餌を与える親鳥の気分になってきたが、全くペン速が止まる気配のないティルダを見るに、下手をしたら一晩どころか図面が完成するまで飲まず食わずで没頭しかねない。
そのままハクロはティルダの餌付けに付き合いながら、彼女の作図作業を横から見守っていた。
――その頃、傭兵ギルドルキル支部、支部長室。
「はあ、今日も午前様だな……」
「何度も申している通り、お帰りいただいても構いませんよ」
ルキル支部長の初老の獣人、フロイド・ジェームズは積み重なる書類を前にしてうんざりした口調でぼやく。それに対し、眼鏡をかけ几帳面そうに背筋を伸ばした副支部長のエルフ、ハンナ・ブランシュは感情の読み取りにくい顔でそう告げた。
「元上司の副支部長が率先して残業しているせいで帰りにくいんですよ……」
「私は支部長が帰っていただけないので帰りにくく、今日も残業です」
フロイドとハンナの付き合いは長い。
フロイドが鼻たれの見習い傭兵だった時には彼女は既にルキルで副支部長としてギルド運営を支えており、そっけなく口数少ないが意外と優しい一面を持つ彼女に憧れていた時期もあった。しかしエルフはその外見から年齢が分かりにくく、後に三児の母であると知ってからは何とも言えない気持ちを抱えたままズルズルとルキルに居付いてしまい、気付けば支部長として彼女の補助を受けながらルキルの傭兵たちを取りまとめる立場になっていた。
流石にフロイドも幼少期の甘酸っぱい感情などとっくに投げ捨てている。気が強く口も悪いが愛してくれる獅人族の妻とは先日結婚30年の節目を迎え、さらに孫まで生まれたばかりだ。それでもハンナの下で働いていた期間が長すぎて、今日できる仕事を残して先に帰るということに激しい抵抗感があるのも事実である。
「つまりどちらも帰るに帰れないということですか」
「私に根競べの勝負をしようなど、100年早いですよ支部長」
「なんでそこで意地を張るんです」
軽口を叩き合いながらもお互い手は休めない。意地の張り合いはともかく、この時期のルキル支部はとにかく仕事量が増える。特に今年は例年より火食鹿の出没時期が早く、さらに頭数も増加傾向にあるようだった。本来支部長がやるような作業内容でないものも率先して肩代わりしてやらなければギルドが回らない状態が続いている。
「本当に、なんで今年はこんなに多いのか。去年は討ち漏らしが多かったわけじゃないですよね?」
「討伐数としては例年通りかと。……でも確かに、私も長くルキルにいますけどここまでの数は初めてですね」
「ふーむ……」
唸り声をあげながらフロイドは別の書類を手に取る。
討ち取った火食鹿を職人ギルドの解体場に運び込み、その数と重量を記録したものだ。
「……大型個体が多いのが気がかりだが……」
「小型個体ではなく大型個体が?」
ハンナが作業の手を止め顔を上げる。
「ルキルにやってくる火食鹿は繁殖地を追われた体が小さい弱個体というのが定説ですよね」
「ですが現に今年は大型個体の討伐報告が多いんですよ。全体の総数が多いのでそう感じるだけかもしれませんが」
「……繁殖地を調べに行った方がいいかもしれませんね」
ハンナの提案にフロイドも慎重に頷く。
「何もなければそれで良し。何か原因があるのだとすれば早急に対応しなければなりません」
「では早速、明日にでも支部長名義で偵察依頼を発行ましょう。今ルキルに滞在している機動力に評価がある傭兵は……」
「いえ、支部長」
「え?」
ハンナが言葉を遮る。珍しいこともあるもんだとフロイドが顔を上げると、彼女はすっと無言で支部長室の壁掛け時計を指さした。
時刻は午前0時を少し過ぎたところだ。
「発令は『今日』です」
「……流石に帰りますか」
「そうですね」
ハンナらしくもない冗句に、お互いの疲労を改めて認識した。今から帰っても数時間と寝れないが、それでもそろそろ休まなければ体を壊してしまいそうだった。





