最悪の黒-071_合金の配合
ギルドで討伐報告を済ませてから拠点に戻ると、医薬ギルドから一足先に帰ってきていたリリィが夕食の支度を始めていた。
「あ、お帰りなさい!」
「おう」
「リリィ先輩もお疲れ様っす!」
「この街の医薬ギルドはどうだった?」
「流石にジルヴァレほど切羽詰まってるわけじゃないので人口の割に比較的落ち着いてましたね。ただやっぱり怪我人がいつもより多いらしくて、薬師よりも医術師の皆さんが忙しそうでした」
パタパタとエプロン姿で駆けよってくるリリィにハクロとバーンズが挨拶を返す。それを見てタズウェルが何やら感慨深そうに表情を緩めていた。……相変わらず威圧感は隠しきれていないが。
「娘が幼かった頃を思い出すな……」
「た、タズウェルさんって娘さんがいらっしゃるんですか?」
「ああ。と言ってもとっくに独り立ちして家を出て行ってしまったがな」
元々物怖じすることの方が少ないリリィは初対面の時よりかはタズウェルの放つ威圧感に慣れてきたらしく、多少噛みながらも質問を投げかける。するとタズウェルも昔を思い返すようにそっと目を伏せた。
「妻に似て優しい娘でね。料理を覚え始めた頃は毎晩のように目玉焼きを作って私の帰りを待っていたんだ」
「あら、可愛いですね!」
「へー!」
バーンズも興味深そうに頷く。娘がいる程度は聞いていたが、そこまで深く話題に上がることはなかったようだ。
「だが最近反抗期がだいぶ遅れてきてしまってな……私には手紙一つ寄越してくれないんだ……妻は細々とやり取りをしているようだが」
「あらまあ」
「娘さんっておいくつなんですか?」
「今年で70になる」
「「「…………」」」
獣人のリリィとバーンズ、ついでにハクロも何と返していいか分からず微妙な顔をする。そんな「今年で17になる」みたいなトーンで言われても、青年期がとにかく長いエルフ族だとそういうこともあるのだろうが、短命種族からすれば70歳はいい歳したお婆ちゃんである。
「あ、お夕飯はもう少しかかりますよ」
「それじゃあ俺たちは風呂に入ってくるか」
「だな。走り回ってもう汗だくだぜ」
「む?」
急に話題を変えたハクロたちに怪訝そうに首を傾げながら、タズウェルも男子部屋へと続く。
この拠点にも風呂はあることはあるがさほど広いわけでもなく、今から水をためて3人で交代で入るよりも少し足を延ばして共同浴場を利用する方が何かと便利だ。
明日からも鹿狩りは続くため、今日は早めに体を休められるよう手早く準備を整えた。
その日の夜。
上段からバーンズのいびきが聞こえ始め、部屋の反対側のタズウェルの寝息が規則的になった頃、ハクロはベッドから抜け出して部屋を出た。
リリィもハクロたちと同じ時間に寝室に入ったため、拠点の共同スペースに人影はない。
ただしテーブルの上には一人分の夕食が残されており、さらに工房へと続く扉の隙間からは光がこぼれている。
「…………」
ハクロは夕食の乗ったトレイを持ち上げ、努めて気配を消しながらそっと工房の扉を開けた。
「…………」
案の定、そこに一人の少女がいた。流石に夜分遅い時刻のため遠慮しているのか大きな音を立てるような作業はしていないが、技師ティルダがドワーフ用の背の低い椅子に腰かけ、同じく低い作業台に向かっている。
昨日はちらりとしか見えなかったが、手元を照らすランタン型の魔導具によって赤みの強いふわふわとした髪の毛がより鮮烈な紅へとなっていた。
「…………」
その背後に音もなく近付き、作業をする手元を覗き込む。
どうやら書き物の最中らしく、テーブルいっぱいに広げられた紙には何かの設計図の下書きが走り書きと共に記されている。とにかく思いついた物を無秩序に書き連ねているようで、書いた本人以外には何が何だか分からないような暗号同然の図面となっているが、その一角に「保存食貯蔵用 金属製の小さな樽 内側に魔銀鍍金」の文字が見えた。
その文字の近くにはいくつか設計案が並んでおりそれと同じだけのバツ印も書かれていたが、その中で背の低い円柱状の図面だけは丸が書かれている。
「…………」
図面上だけで一晩のうちにそこまで辿り着くか、とハクロは感心しながらサイドチェストにトレイを置く。
「……?」
「一緒の卓を囲めとは言わんが、飯くらいは食え」
「…………。……――ッ!?」
トレイに目をやり、それを持ってきたハクロの存在に気付き、そしてティルダは声にならない悲鳴を上げて図面をひったくるように抱えてロッカーへと一目散に駆け出した。その途中、足元にあったバケツを被ることもしっかり忘れない。
「ひゅーっ、ひゅーっ、ひゅーっ……!?」
「悪い悪い。驚かすつもりはあったんだがな」
「ふ……ふひゅっ……」
ごくり、と一呼吸。
「……ふつ、う……驚かすつもりは、なかったって、言うところ……じゃ……!?」
「いや、びっくりするだろうなと思いながら忍び寄った」
「最悪……!?」
「どーも」
軽薄に笑いながらハクロはその辺に転がっていたエルフ用の椅子を引っ張り出し腰かける。出ていく気など微塵もない居座りの構えだが、ロッカーに籠城したティルダもまた内側から頑強に扉を押さえている。
「改めて、ハクロという。よろしくな」
「こ……この流れで、自己紹介……!?」
「昨日はなんだかんだあんまり喋れなかったからな」
「いい……! 喋らなくて、いい……!!」
「そうか? 俺はお前さんともっとお喋りしたいがな」
「な、ん……!」
「アルミニウムを主体に銅と、あとマグネシウムっつーやたらと燃える金属を混ぜれば軽くて丈夫な合金ができるぞ」
「……!?」
ロッカーの奥の息遣いがとまる。
「配合は自分で試しな。ヒントとしてはほんの一つまみ、数%単位でいい。ただし胴が混ざる関係上錆には弱いから、そのままでは船や保存器具の素材には使えんから工夫が必要だ。まあ武器に使う鋼と似たようなものだと思えばいい。原理そのものは少し違うがな」
「な、な……?」
「俺の生家は元を辿れば鍛冶屋でね。その関係でそういった知識も嗜む程度だが齧ってる」
キィ、とロッカーが軋み、扉が開く。
相変わらずバケツは被ったままだが、ようやくティルダが自分から姿を現した。
「あ、の……!」
「ん?」
「アルミニウム、に……混ぜるのは、銅4.2%、マグネシウム0.5%……マンガン0.6%……で、あってる……?」
「……おいおい」
流石にこれにはハクロも度肝を抜かれた。その配合はいわゆるジュラルミンとして開発され工業生産された最初期のものだ。
「なんだ、知ってたのか。はっず。どや顔しちまったよ」
「う、ううん……『太陽の旅団』でも、まだウチと、ルネちゃ……姫様しか知らない……。姫様の『腕』を作る時に、色々試して……偶然できた、名前もまだない合金……」
「ああ、そういうことか」
一応は王位継承権第一位の王女を相手に愛称でちゃん呼びしかけていたが、本当にルネとは仲がいいらしい。あの鉄腕の作成に携わっていたということは信頼も厚いようだ。
「だがルネの『腕』が今の形になったのがいつかは知らないが、昨日今日の話じゃないんだろ? 世間に発表はしないのか?」
「……アルミニウムを精錬する……技術がないから……試作の時も、魔術で無理やり純度を高めたから、コストがかかった。大量生産には向かない……それなら、魔銀の方が使い勝手がいいし……とりあえず、保留してるの」
「なるほど、そういう面もあるのか」
確かに魔術が幅を利かせている反動か科学技術の未発達なこの世界で純度の高いアルミニウムを作るのは難しい。そもそも軽いだけが取り柄の鉄の下位互換扱いされていてだれも見向きもされていない以上、普及するのはずっと先の話だ。
「いつかは公表したいけど……今は、船の素材を……優先してる」
「なるほどな」
「あと、あと……!」
抱えていた図面を丁寧に開き、ティルダは体格の割に大きな手で指し示す。
いくつものバツ印が書かれた没案が並んでいるが、それは魔導具の基礎となる魔石をエネルギー源とした回路の設計図のようだった。
しかしそこには魔石を示す記号が書かれていない。
「これ……! 物資が限られる海上と、何があって何がないか分からない『滅びの聖地』で、安定して使える魔導具……魔石がいらない魔導具……! これがウチに割り振られた最優先任務なの……!」





