最悪の黒-070_農地防衛戦
「うわ、気持ち悪っ」
ギルドに指示された農地へ向かうと、そこには既に火食鹿が大群をなしていた。
その数、ざっと見渡せるだけで500は超えているだろうか。狭いとは言わないが余裕があるとも言い難い牧草地にぎゅうぎゅう詰めに集まっており、バーンズは思わず顔を顰める。
農地との距離も先ほど見かけた群れとは違い、数が増えて気が大きくなっているのか豪胆にも100メートルほどにまで迫ってきていた。
「少しでも切っ掛けが起こればすぐにでも農地に突っ込んで来そうだな」
鹿の数に比例するように周囲から集まってきた討伐参加者に並びながらタズウェルがポーチに手を突っ込む。そして中から一握りの玉砂利を取り出すと、うち1個を人差し指と薬指の間に挟み込んだ。
指弾――手指で礫を弾いて投げつける原始的な戦い方だが、そこに熟練の技術と術式が加わることで弓よりも早く鋭い鏃と化す。
「後ろがトウモロコシ畑ってのも厄介だな。抜けられて紛れ込まれたら追えないぞ」
火食鹿がたむろする牧草地と隣接する背の高いトウモロコシが植えられた農地を見てバーンズがぼやく。彼は背負っていた片刃槍を手にし、くるりと右手で回した。刃にはバーンズの気性をそのまま表したような炎の術式を形作る刻印が彫り込まれており、魔力を纏わせながら振るうと周囲に陽炎が漂った。
「おいバーンズ、畑燃やすなよ?」
「だ、大丈夫だってハクロさん! そこまでドジじゃねーよ!」
自ら退いたとはいえ元Aランクのバーンズが最大火力で槍を振るったら一帯の農地は焦土と化すだろう。
ハクロも己の魂の奥底に眠る刃を言葉に魔力を含ませることで顕現させ、右手に構えた。
「前衛職は各々の有効攻撃範囲があまり重ならないよう二列横隊で並び、後衛がその討ち漏らしを片付けるのが基本だ」
「りょーかい」
タズウェルの指示に気合のこもっていない返事を返す。戦闘時はなるべく脱力を意識するのがハクロのやり方だ。とは言えいまいち言葉に身が入らないのは「いまいち効率的な戦法ではないな」という考えもあるからなのだが。
人材も武器も限られている現状ではそれが最適解であるということもまた、理解しているが。
「来るぞ!!」
隊列を組んでいた傭兵の誰かが警戒を発する。
それにより各々得物を構えるのと、火食鹿の最初の1頭が駆け出すのはほぼ同時だった。
「……本当に真っすぐ突っ込んで来やがる!」
群れと隊列はそこそこの距離があったはずだが、本気で走る草食動物にとっては一瞬である。頭部をやや前方に突き出しながら跳ねるように駆け、火食鹿の先頭集団の一部は既に傭兵たちと戦闘状態に入っていた。
ハクロとバーンズが構えていた地点にも目と鼻の先まで迫ってきており、それを迎え撃つようにハクロも刃を構える。
「オォン!」
「うおっ」
群れの先頭がハクロの剣撃の範囲に入る直前、後ろ足で大きく立ち上がり角と蹄を斧のように振り下ろす。野生動物でありながら魔力を有しているせいか、同サイズの獣よりも若干の知性が感じられ、周囲を見るとどこも先頭は体の大きなオスが駆けていたようだ。
それの対処に気を取られている間にメスや小柄なオスが隙間を縫うように隊列を潜り抜けようと試みたが――
「ふっ」
背後から息遣いと共に礫が飛来し、火食鹿の頭を撃ち貫く。一撃で絶命した火食鹿は叫ぶ声も上げる間もなく地面に倒れ込み、勢いのまま二度ほど体が転げた。
「おらぁっ!!」
さらに隣から気合の入った檄と共に槍が振るわれるブゥンという音が響き、接近していた5頭の火食鹿の頭部が景気よく飛ぶ。刃に仕込まれた炎魔術の刻印により切り口は焼き塞がれ、血が飛び散ることもなく鹿たちの屍が地面に積み上がっていった。
「……負けてらんねえな!」
周囲を窺いながらもハクロも刃を振るい、何頭かまとめて鹿を刈る。他の傭兵たちも手慣れた様子で仕留めていき、稀に撃ち漏らしがあっても後衛組が1頭ずつ確実に撃ち抜いていった。
先頭を大柄な個体が駆けて突破力を上げるという知恵はあったものの、高ランクの魔物のように強力な魔術を使うわけでもなく、群れを指揮する存在がいるわけでもない火食鹿の群れは本当にただただ農地目掛けて突っ込んでくるだけだ。
そんな戦闘とも言えない戦闘が10分ほど続いた。
そのくらいになるとあれほどいた火食鹿も半数以上が地に倒れ、群れの体を成せなくなった生き残りが散り散りになって逃げ去っていった。
流石に500頭を超える群れが一斉に突っ込んでくると両手で数えるには心許ない程度の討ち漏らしが隊列を抜けてしまいトウモロコシ畑へ侵入してしまったが、何もせずにただ見ていただけでは被害は測り知れないものとなっていただろう。
「群れの散開を確認」
周囲をぐるりと見渡したタズウェルがそう告げると、身構えていた前衛組が肩の力を抜いて一息入れた。気の早い者は早速自分たちが倒した火食鹿の右耳をナイフで切り落とし、針を通した紐で刺して10頭分一括りにしていく。さらに農地の影に控えていたらしい低ランク帯の傭兵たちがわっと集まり、剥ぎ取り処理が終わった火食鹿の死骸を次々に大型荷車へと積み込んでいった。
「これ、自分が倒した奴って見分けどうするんだ? 隣の奴と揉めねえ?」
ハクロもまたナイフで近くに転がっていた鹿の耳を一つ一つ削いでいくが、一つ疑問が生まれた。
討伐数が10頭を超えたあたりで数えるのが面倒になってやめてしまったのだが、バーンズとは反対側に陣取っていた傭兵が打ち倒した分と一部混ざってしまっている。
「基本的には自己管理だな。まあCランクにもなると品性が求められるから、戦果を巡って諍いが起きたってあんまり聞かねーな」
「むしろ10頭ごとで依頼達成の関係上、親しい者同士で討伐数を調整して提出する者もいるな」
「ああ、討伐依頼がCランク以上限定なのはそういう意味もあるのか」
普通の依頼であれば同ランク以上の傭兵の同行があれば低ランクも受注できるのだが、この鹿狩りはそういったものがない。Dランク以下の良くも悪くもガツガツとした者たちが参加してしまうと不要な争いが起きてしまうため、ギルド側からある種の配慮がなされているようだ。
「その点バーンズの倒した分は分かりやすくていいな」
ひょいとハクロが足元に転がっていた鹿の頭部を広い、バーンズへ投げ渡す。
「切り口が焼かれているから一目で分かる」
「いやいや、ハクロさんも人の事言えねーよ」
バーンズもまた自分の方に転がっていた頭部をハクロへと投げた。
「この切り口どうなってんの? 骨と皮どころか毛の一本まで綺麗に一直線で切れてんだけど」
「まあある種の慣れだな」
原理としては、ハクロの元居た世界の武具の中でも有数の切れ味を誇る刃の形状をした魔導具に「切断」の概念術式を身体強化の延長で内側から浸透させている。その魔導具も術式も、純粋なハクロ自身の魔力で形成されているからこそ実現できる繊細な魔力操作によって成り立っているが、環境下に存在する自然魔力を用いて術式を起動するこの世界で同等のパフォーマンスを発揮しようとするとかなり卓越した魔力操作の技能が必要になるだろう。
バーンズにはアイスサーペントとの戦闘前、水と風の魔力に偏った戦場だろうが己の中から湧き出る魔力を用いれば炎を操れるはずだと触り程度に戦術を開示しており、ルキルまでの道中で受けた依頼でもそれを意識するよう伝えている。今回の戦闘でもハクロの言いつけを守って自分自身の魔力を用いて術式を起動していたようだが、流石にハクロの段階まで到達するにはもう少し時間が必要なようだ。
「よし、全部剥いだな」
バーンズが最後の1頭から右耳を切り落とす。
その数34頭分。
ハクロ、タズウェルの3人で「太陽の旅団」として依頼を受けたため合算して提出が可能であるため、今日だけでCランク依頼の達成実績3回分である。なるほど確かにこれは美味い依頼だ。
「おーい、こっち4頭分端数出てんだけど欲しい奴いるかー?」
「おう、大丈夫だ!」
「すまん、こっち1頭だけ分けてくれないか?」
ハクロたちは周囲の傭兵たちに声をかけ、求めている者と剥ぎ取り部位を融通し合いながらルキルの街へと帰還した。





