最悪の黒-067_保存食
翌日。
久しぶりに屋根の下で眠りについたハクロとバーンズはやや遅めに起床し、既に医薬ギルドへ仕事の斡旋を受けに出ていたリリィが作った朝食を感慨深そうに頬張った。
「ンまい!」
「生野菜って贅沢な食い物だったんだな」
パンにソースとレタス、トマト、焼いたベーコンを挟んだシンプルなサンドイッチだったが、その瑞々しい歯ごたえがありがたかった。特にこの10日ほどは野菜らしい野菜と言えば長期保存用のピクルスか、良くて凍結乾燥させた物をスープに入れて戻した程度しか摂取できていなかった。
「野営が続くとどうしてもそうなるな」
と、一足先に朝食を済ませたタズウェルが食後の紅茶を嗜みながら苦笑する。
「つーか、保存食のバリエーションもっとあってもいいよな」
「まあ商人ギルドで買える物には限界があるからな。いっそ傭兵大隊独自の保存食を作るのはどうだ。商人ギルドに卸せば金にもなるし、何より渡海の食糧事情も改善されるだろ」
「……なるほど、それは考え付かなかったな。あとで姫様に進言してみよう」
以前までは異世界からの知識をこちらに持ち込むことに慎重だったハクロだったが、ルネの理念に興味を抱き、己の目的の片手間程度であれば支えてやると決めた。そのため具体的な回答をそのままでは出さないが、切っ掛けがあれば助言をする程度ならば惜しまないこととするスタンスに変えていた。
「保存食なあ。味付けに拘らないなら塩漬けと酢漬けが最強なんだよなあ」
「もしくは単価は上がるが、オイル漬けか砂糖漬けか」
「あー、青魚のオイル漬け美味いよな。砂糖漬けは果物をちょっと齧るだけなら美味いけど、それを保存食として持ち運ぶのは少し違うよな」
砂糖漬けの果物を野菜代わりに齧り付くのを想像したのか、バーンズはうえっと舌を出して顔を顰めた。長旅の元でカロリーを摂取するという意味では選択肢の一つだろうが、主菜にはなりえないだろう。
「乾物以外で保存を利かせようとするとやはり密閉可能な瓶だろうか。だが瓶の重量分嵩張るし、扱いを誤れば破損するのが難点か」
「後は冷凍保存用の魔導具か? 大量に抱えて運ぶのが前提だから船ならともかく、馬車旅では厳しいよな」
「水物の運搬というと真っ先に思い浮かぶのは樽だが、そもそも瓶よりも嵩張るし、木製ではどれだけ腐食防止処理しても限界があるだろうな」
「あ、腐食しない魔銀で内側を鍍金にした小樽なんてどうだ!?」
魔銀はこの世界に存在する魔力を含む特殊金属だ。魔力その物が凝縮したり宝石が魔力ををため込んだ魔石と似たような物質で、銀と名が付くが一般的には鉄鉱石に魔力が宿り変異したものだ。もちろん他の金属が変異して魔銀化することもあるが、その場合は用途によって分類される程度で基本的に同一のものとされる。
軽く丈夫で錆びにくく、魔力の浸透率が高いため魔導具の回路として使われる他、鉄剣の表面に鍍金加工すれば低ランク帯の傭兵御用達の安価な武具として親しまれている。
とは言え金属は金属であり、重量はそこそこある。
「嵩張るのが難点という話をした直後にさらに重量を増やすな」
「駄目かー」
名案を閃いたというようにサンドイッチを頬張りながら立ち上がりかけたバーンズがしおしおと萎みながら椅子に戻る。だが発想の方向としては悪くないだろう。
「魔銀で樽を鍍金するから重くなるんだ。いっそ魔銀で手のひらサイズの樽を作って厚さを削って軽量化すればいけるんじゃないか?」
というかそれはほぼほぼハクロの知る缶詰だ。魔銀を使用するか、合金を使用するかの違いである。とは言え流石に鉄や銅ほどありふれているわけではない魔銀を100%使用した缶詰などコストがかかりすぎるため、そのまま使うことはできないだろう。
保存容器の回答の一つとしては、軽量化と丈夫さを兼ね備えたアルミ合金に樹脂で内面塗装が優秀なのだが、問題はこの世界においてアルミニウムが「軽いが脆い鉄の下位互換」という認識であることか。アルミとほぼ同じ重量で鉄並みに頑強、なおかつほとんど錆びない魔銀の方が需要が高く、原料となるボーキサイトが見つかっても活用されることなく放棄されているらしい。
内面塗装については魔銀鍍金で代用できるとしても、缶本体の答えに行きつけるかはゼロスタートでは分が悪い勝負になりそうだ。ハクロが一言告げればそれで終わるが、ペラペラと技術放出をして出生を怪しまれるのは面倒である。
となると、この世界の技術者次第だが――
「……魔銀鍍金……樽……金属樽……小さい金属樽……!」
「…………」
さっきから工房の扉の隙間からバケツ頭が覗き見しているのが気になる。
「なあ、アレって」
「しっ。目を合わせるな」
「こちらが気付いていることを悟らせると驚いて引っ込んでしまうぞ」
「小動物の観察か?」
バーンズもタズウェルも気付いているだろうに無視を決め込んでいたため何事かと思ったら、そういうことらしい。
「彼女は技師としての腕も確かだが、会話の節々から着想を得て新たな魔導具を作り上げることに長けているんだ」
「こういうのって不便だよな、って話をしてるといつの間にかその問題をクリアした魔導具が完成して傭兵大隊で使われてるんだよな」
「それは……」
思わずハクロはバケツ頭に視線が流れかけたのを必死で抑える。
この世界には「開発」「発展」「研究」といった進歩に関わるような概念が存在しない。学び舎としての機能を有している魔術ギルドでさえ、その本懐は知識の保存と継承であり、その先に進むための組織ではない。
そんな世界において、既存の道具の問題点を把握し「改良」を施すという技師の存在は本来異端でしかない。
「いや……」
異端だからこそ、か。
ハクロはどうしても興味を抑えきれずに視線がバケツ頭――ティルダへを向いてしまう。
「……ッ!!」
ガタンと音を立てて扉が閉まった。
「あ、引っ込んじまった!」
「……まあ持った方だろう。初対面の者がいる場を覗き込もうとしただけ大分マシだ」
「そもそも何であんな性格でうちの傭兵大隊にいれるんだ」
絶対ルネと相性悪いだろう。
そう問うとバーンズは「いやあ?」と肩を竦めた。
「なんつーか、不思議と姫様とは割とちゃんと話せてるんだよな。結構ウマが合うらしいぜ?」
「アレで姫様は聞き上手で話し上手でいらっしゃるからな」
「ふぅん」
やっぱりな、とハクロは頷く。
ルネはエルフとして異端だが、恐らくティルダもまたドワーフとして異端なのだろう。
完全な憶測だが、ドワーフでありながら髭がないということに加え、その思考の違いからドワーフの中にも馴染めず、あのような性格になってしまったのではないだろうか。
この「停滞」が前提の世界において、彼女の存在は周囲から見れば「おかしい」のだ。もしかしたら迫害に近い扱いを受けていたかもしれない。
だがそれ故にルネとは相性が良く、あの極端な内向的な性格が足を引っ張っていてもなおティルダは傭兵大隊に居続けられるのではないか。
「……面白いな」
彼女ともう少し話をしてみたいところだが、何よりもまず警戒心を解くことから始めなければならない。
「さて、飯も食ったしギルドに行くか」
「おう」
食べ終わった食器をキッチンへと下げ、各々片づけをしてから拠点を発つ。
何はともあれ、まずは目の前にある仕事を片付けながらだ。





