最悪の黒-063_次の目的地
「こちら、始末書になります」
「「…………」」
オルティスに差し出された二枚の羊皮紙を前に、ハクロとバーンズは渋い顔を浮かべた。
「心当たりがないな」
「そ、そーだそーだ」
「……いえ、私もあの状況はああするのが最適であると理解したうえで作戦決行を見逃しました。上には苦労して弁明したのですが、流石に保温具用の魔石を魔物にぶち込んで爆破させるというのは立派な魔導具改造禁止法に抵触します。始末書一枚と報酬の減額で済んで良かったというべきでしょう。私も監督不行き届きということで一枚既に書いていますので、我慢してください」
「はあ……やっぱダメかあ……」
ペロリと既に記名されたもう一枚の始末書を提示され、バーンズも諦めたように内容を確認し、最後の署名欄に名前を書く。ハクロも渋々それに続いた。
「そういや港を離れていた連中はどうなった?」
この世界の言葉で名を綴ると書類が完成し、端から炎を上げて羊皮紙が燃え上がる。浮かび上がった文字にギルド証をかざすと吸い込まれるといういつもの流れを確認しながらオルティスに訊ねた。
アイスサーペントの消失が確認されてから既に5日が経過していた。
討伐直後半日は霧散しきっていないアイスサーペントの魔力で低温が続いていたが、午後を過ぎると途端に気温が上がり、大陸最北の地にも夏らしい気候が戻ってきていた。
今では長袖でいると体調を崩してしまいそうな気温となっているため、ハクロもバーンズも上はシャツ一枚というラフな格好でいる。オルティスはギルド職員の制服を首元まできっちりと几帳面に締めて着込んでいるが、暑くないのだろうか。
「経過観察として1日間を置かせてもらいましたが、もうそろそろ最初の帰還グループが到着する予定です」
「今年の漁に間に合えばいいんだがなあ」
「それはどうだろうな」
暢気に呟くバーンズにハクロが難しい顔をする。
「海水温が戻ったからって夏の回遊魚がすぐに来るわけじゃねえからな。むしろ居座ってた冬魚が急激な水温上昇でまとめてくたばって海が悲惨なことになってるんじゃねえか?」
「いえ、少なくとも後者の心配はなさそうです」
と、オルティスが否定する。
「『ロバーツ先遣隊』に船を動かせる者と潜水士がいたので確認してきてもらったのですが、どうやらアイスサーペントの影響でジルヴァレ周辺の魚類はほとんど逃げてしまっていたらしく、大量死は確認されませんでした。いくらか逃げ遅れが氷漬けになっていたようですが、すでにほとんど海鳥が持っていったようですね」
「そうか、そりゃ良かった。氷の代わりに魚の死骸で埋め尽くされてたら目も当てられねえからな」
「問題は空っぽになった漁場にどれほど魚が戻ってくるかですが……こればかりは時間が解決するのを待つしかありませんね。今年1年は王陛下からの補助金で食いつないでいくしかないでしょう」
「やれやれ」
死んでもなお迷惑しか残さない。魔物とは本当に厄介な存在だ。
「せめて素材を残せたら多少の資金源になったんだがなあ」
「全部丸ごと吹っ飛ばしちまったからな」
そもそもそんな余裕がなかったというのもあるが、氷漬けにした上に内側から爆破させたため魔力を纏わせた武具で剥ぎ取るなどという悠長なことはできなかった。職人ギルド、商人ギルド、魔術ギルドの三組織から抗議が届かないことを祈るばかりである。
「ともかく、傭兵にできることはもう何もないわけだ」
「そうなりますね。本当にお疲れ様でした」
既に「風の旅人」と「ロバーツ先遣隊」はジルヴァレを発ち、次の依頼を求めて別の街へと向かった。騎士団は王令により、他にもソロの傭兵たちと「瑠璃の雫」は復興支援のためにもう暫く逗留するというが、「太陽の旅団」としては先ほどの始末書が最後の仕事だった。
オルティスに見送られ、一度二人は部屋を出て今後について話し合いながら宿へと向かった。
「あんたはこれからどうする?」
「さてな。ルネから指示があればそっちに向かうが、何もなければ海沿いに南下しながら東でも目指すかな」
ハクロの旅は大陸西部のフロア高原を有するフロア地方から始まった。中央の王都を経由していきなり北端のジルヴァレまで来てしまったが、急ぎの用がなければ東部を一度見に行きたい。
なにせ東部は大陸最大の鉱山にして最高峰ハスキー連峰を有する巨大な工房街、ハスキー州がある。加えて近くにはラッセル湖という、この世界の魔術の源流であるフェアリーが住まう魔法の街まであるのだ。大陸の技術は全て東部から生み出されていると言っても過言ではない。
それに――
「姫様が目指してるっていう『滅びの聖地』とやらも拝めるかもしれねえしな」
年に数回、天候条件が揃った時にのみ目視で確認できるという海を挟んだ向こう側にあるという別大陸。ハクロの目的からすれば寄り道ではあるのだが、ルネが目指している大陸がどんなものなのかは見てみたい。
「バーンズはどうする? 予定がないなら俺たちの馬車に乗って途中まで行くか?」
「あー……うん、そうだな。折角だから相乗りさせてもらっていいか?」
訊ねると、バーンズも即急に対応しなければならない依頼の指示はおりてきていないらしく頷いた。
「ところで、この辺りでCランク以上の依頼をある程度安定して受けられる街ってどこだ?」
「ああ、そういやあんたBランクに1年で上がれって言われてんだっけか? そういうことならこの時期だと、ここから南東に20日ちょい行ったところのルキルって街がお勧めだな。あの辺りは大規模な穀倉地帯なんだが、収穫時期になるとそれを狙ってCランク魔獣の火食鹿ってのが大量発生するんだ。1頭見かけたら30頭はいるってくらい群れで現れて、放置すれば繊維質の物なら火のついた薪まで食っちまうやべー奴らだよ」
「それで火食鹿か」
話を聞くだけなら蝗害に近いものに感じるが、魔獣とは言え鹿は鹿であるため肉も革も需要が高いらしい。雄個体の角は装飾品としても価値が高い他、体内で生成される魔力が角の先に低純度の魔石として凝縮されるため、旅人が身を守るための簡単な魔導具として加工されるという。
そのため作物の収穫時期と合わせてちょっとしたお祭り騒ぎになるらしい。
「依頼は収穫時期の前から毎日貼り出されてCランク以上なら誰でも何人でも参加可能、10頭討伐で1達成っていう特別条件だ。狩れば狩るほど実績として記録されるから最高だぞ!」
「そんなに美味い依頼ならさぞかし参加者も多いだろうな。競争にならないか?」
「ならないこともないが、それよりも農地防衛でそれどころじゃないってのが正直な感想だな。何回か参加したことあるけど、マジであいつら100頭単位の群れで突っ込んできて食い荒らしながら去っていくから、周りを気にしてる余裕はないと思うぞ」
「……毎年相当狩ってるはずだろ、なんでそんな数をキープ出来てるんだ」
「鹿つってもCランク魔獣であることには変わりないから普通に危険で、どうしても討ち漏らしはあるからな。魔術ギルドの魔術師曰くだが、本当の生息地はルキル西部のラキっつー荒涼な高原地帯で、そこで繁殖してるらしい。かなりの多産で、1回に3頭くらいの小鹿を年2回は生んでるんだが、追い出された弱い個体がルキルに雪崩れ込んできてるんじゃねーかって。んで麓でたらふく飯を食いながら生き残った個体がラキ高原に戻って繁殖に参加してるそうだぞ」
「鮭みてえな生態だな」
川で生まれた稚魚が海で成長し、産卵のために生まれた川に戻ってくるという鮭の生態は有名だが、実は一部の鮭は海に行かなくても普通に成長し繁殖できるのだ。諸説あるが、渓流部で餌を十分に摂取できなかった個体はその体質を変化させ海水に適応できる状態にしながら海へと渡り、豊富な餌資源によって渓流部に残った個体と同種とは思えないほど巨大化し繁殖のために遡上する。
例を挙げるとすれば、イワナとアメマス、ヤマメとサクラマス等が該当する。
「まあいい。なんにせよ次の目的地が決まったな」
「姫様には俺から報告しとくわ」
「いいのか?」
「ああ。……それにちょっと、我がまま聞いてもらいたくてな」
「…………」
バーンズはぎゅっと右手を握りしめ、その拳に視線を落とす。ハクロたちが到着する前の第二次討伐戦で目の前で別傭兵団とは言え仲間が喰われたのを引きずっている様子だったが、まだ引き摺っているらしい。
話しながら歩いているうちにギルドに併設された宿へと辿り着いていた。
「そうか」
ハクロはそう頷き、自分にあてがわれた部屋へと向かう。
バーンズはまだ若いが才覚も実力もある。それに精神が追い付いておらず伸び悩んでいるだけだ。今すぐには無理でもいずれそう遠くないうちにまたその二つ名のように勢い付いて進み始めるだろう。
それにこの世界に来る前――現実から目を逸らし、やけっぱちに、逃げるようにただ生きていただけのハクロと比べたら、まだ己に向き合おうとしているだけ大分マシだ。
「おい、リリィ」
「ふぁい?」
扉を開けると、当然のようにハクロの部屋のベッドの上で焼き菓子を食べながら休憩していたリリィに声をかける。
「次の目的地を決めたぞ。バーンズも付いてくるそうだ。出発はそっちの仕事に合わせるが、予定はどうだ?」
「お、分かりました! 今日到着予定の帰還グループに医薬ギルドの職員がいるそうなので、その方に引き継ぎしたらいつでも出られますよ!」
「よし、じゃあ出発は明日の朝だ。今夜中に荷造りしておけ」
「了解です! 次はどこに行くんですか?」
「目指すはルキル――鹿狩りと収穫祭だ」





