最悪の黒-062_討伐作戦
二日後明朝――まだ日が完全に昇りきっておらず、鼻腔や喉に入り込む冷気が痛覚として感じられる。
作戦決行のための準備を挟み、当初予定していた行軍開始日程をずらしジルヴァレの港を発った。
「着いたぜ」
一行の先頭を歩いていたマウロが立ち止まる。相変わらず裸足で氷上を歩き、わざとらしい小汚い笑みを浮かべているが、どことなく声音に緊張感が混じっていた。
「よし。『ロバーツ先遣隊』は後方で待機。残りは作戦通りの配置に移動開始!」
先日穴の位置をマーキングした危険地帯の手前でバーンズが討伐隊に指示を出す。作戦参加者の中では若い部類でも唯一のAランク傭兵ということで、満場一致で指揮役に抜擢された。
「……本当に一人でいいんだな?」
そしてバーンズの背後に控えていたハクロへと向き直り、開始前の確認する。
何が面白いのかハクロは軽薄な笑みを浮かべながら「ああ」と頷いた。
「前も言ったがヘイトを稼ぐなら一人の方がやりやすい」
「囮なら盾兵でもいいだろうに。せっかく騎士団がいるんだから」
「ただ注意を引き付けるだけならそれが最適だ。だが被弾前提の盾兵戦術だと万一長期戦に持ち込まれたらいつか押し切られる。撤退するにしても、あの氷の礫を受け止めながら盾兵のクソ重てぇ鎧担いで逃げるのは無理だ。だったら最初から身軽な一人が囮をやった方がいい。回避盾兵ってやつだな」
「そんな戦術聞いたことねえよ……」
「ある程度配慮はするが流れ弾には注意しろよ? 作戦要の魔術師連中に盾兵をつけたから、あんたの守りに回す余裕はなくなったからな。俺は回避に専念する分、大きく外れたやつは全部飛んで来るぞ」
「分かったよ」
肩を竦め、溜息交じりに頷くバーンズ。
今回の作戦は指揮はバーンズということになっているが、その立案は彼の背後にいる〝鉄腕姫〟である――という体でハクロが練ったものだ。
ぽっと出のCランク傭兵の立てた作戦と言ってしまうと大人しく従わない傭兵もいるだろうということで名前を借りることにしたのだ。ギルド証のメッセージで念のため確認をとると「良かろう!!」と即答が返ってきた。
そしてルネの破天荒振りは傭兵ギルドはもちろん、王家管轄の騎士団も当然ながら知るところであるため誰も疑わずに「あの王女殿下の作戦かあ」と頷いていた。それはそれでどうなんだ、とハクロは苦笑するしかなかったが、それはともかく。
――ぱんっ
しばらく待機していると少し離れた地点から信号魔術が打ち上がる。
その後遅れて三つ、計四カ所から合図があった。
「配置についたぞ」
「うし、じゃあちょっと遊んで来るわ」
「遊んでって……」
「何事も楽しまなくっちゃなあ」
笑みを浮かべ、まるで街に散歩に出るような足取りでハクロは氷の上を進む。
そしておもむろに魔法によって赤く塗られた氷上に足を踏み入れ――「おら、出てこい」と乱暴に蹴飛ばした。
『オオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!』
瞬間、朝日が昇りきっていない薄暗い視界が薄水色の鱗で覆われた。
蹴飛ばした直後に後方に下がったため掠りもしなかったが、様子見で暴れまわった時とは打って変わった反応速度で飛び出してきた。
「よう、一昨日ぶりだな!」
相変わらず馬鹿みたいにデカい。これなら多少視界が暗かろうが離れた場所に待機している魔術師たちからもよく見えるだろう。
『オオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!』
「はっはー、ご挨拶に二回の威嚇咆哮。全く同じ行動パターンだな。次は氷の礫かな?」
ハクロは軽薄に笑い、ひらりと後退しながら早速亜音速で飛んできた氷の塊を回避した。今回は周囲にハクロ以外にも人がいるため、流れ弾とならないようなるべく意識してギリギリで回避する。
ずどん、ずどんと音を立てながら氷の礫がハクロの周囲にえぐるように突き刺さっていく。
「芸がないなあ。氷の魔物だからって氷ばっかりじゃつまらんぞ。意表をついて炎でも吐いて見せろよ。……ま、それができないからこそ、お前はもう負けてるんだがな」
――キンッ
甲高い炸裂音が周囲に響く。
それと同時に比喩でもなんでもなく、体感温度が二回りは下回った。
『オオオオオッ!?』
アイスサーペントが苦しそうに呻く。そして氷上の体を大きくくねらせて暴れ回るが――それだけだった。何かに拘束されているように、締め付けられているように、氷の上の胴体が上にも下にも動かなくなる。
氷上に穿たれた大穴が凍てつき塞がり、海中へ戻ることができなくなっていた。
「はっはー! 氷の魔物が氷漬けにされる気分はどんな感じだ!?」
軽薄に笑いながらハクロが手指で陣を形成する。
「――水陣《揚清激濁》!」
氷上で暴れまわるアイスサーペントが頭から大量の水を被る。それその物は二日前の夜に試したように碌なダメージとならない。しかしアイスサーペントが含有し、その身にまとう水と風の魔力により濡れた巨体がどんどん凍り付いていく。
「動けるもんなら動いてみやがれクソ蛇! 炎属性を操れないお前は凍らせることはできても氷を溶かすことはできないだろうがな!」
アイスサーペントは水風の属性魔力を操り氷を発生させる。
しかし氷そのものを操っているわけではなく、その精度は万能ではない。
だから、海面を完全に凍らせず、空気穴となる薄い箇所を残した。
だから、海上では己の魔力により氷がまとわりつくため長期間戦えず、すぐに海中へと戻って半日かけて氷を溶かすのだ。
『オオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!』
アイスサーペントの咆哮が轟く。
しかしその身はビクとも動かない。
「海中に戻れねえか!? だろうよ! なんせ今日この場にいるのは大陸最高峰の支援魔術師四人! この海上で溢れかえってるのはお前さんが大好きな水と風の魔力だ! それを使って周囲一帯を凍らせてんだ、ちょっとやそっとの強度じゃねえぞ!」
ああ。
ああ、楽しい。
ハクロは笑う。
やっぱり丁寧に丁寧に下準備をし、相手を完全に手玉に取った戦いはとても楽しい。
大好きだ。
こうして笑っている間にも出鱈目に飛んで来る氷の礫は避け続け、さらに上から水を被せて氷をさらに厚くさせていく。
戦闘時間としてはものの数分だった。
後には巨大な柱のように天に向かって真っすぐ伸びる氷の塊が立っているだけだ。
「つっても、まだ終わりじゃねえがな」
このまま放置しても勝手に氷はより厚くなり、いずれは風属性魔力も供給が遮断されてアイスサーペントは自壊するだろう。しかし万一アイスサーペントが今以上の魔物へと変異した場合、氷の拘束を自力で打ち破るかもしれない。
もちろん、対策済みだ。
丁寧に、丁寧に、準備をしてきた。
万に一つも逆転の火種は残さない。
「バーンズ!!」
「おう!!」
ハクロの合図とともにバーンズが氷柱と化したアイスサーペントの体を駆け登る。
流石の身のこなしであっという間に頭部へと辿り着くと、そこを足場に一度高く垂直に飛び――手にした巨大な銛の切っ先を下に向けて突き立てた。
港の作業小屋から拝借してきた捕鯨用の大銛だ。
それその物は武具とも呼べないような鉄の塊であるが、それを握っているのはAランク傭兵〝爆劫〟である。
大気中には存在せずとも体内には炎属性の魔力は満ち満ちており、それを纏わせた銛は氷をいともたやすく砕きアイスサーペントの喉深くへと突き刺さった。
「『爆ぜろ』!!」
さらにバーンズが術式の起動キーを魔力を乗せた声で唱える。
それに呼応し、銛の口金に括りつけられた大量の保温魔導具用の炎属性魔石が着火した。
ちゅどぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉん!!
爆音と共に衝撃波が全方位に突き抜ける。
下手をすれば吹き飛ばされてしまう勢いだったが、爆心地にいたハクロもバーンズも各々魔力障壁を展開し受け流す。もしかしたら海面凍結の維持に集中していた支援魔術師は防御が間に合わなかったかもしれないが、そのために盾兵を配置したのだ。後衛を守るのが彼らの本来の役目なのだから大丈夫だろう。
キィンと耳鳴りがする中、様子を見守る。
アイスサーペントだった氷の柱は半ばから砕け散っており、その断面からシュウシュウと可視できるほど濃密な魔力が立ち込めている。
一応、海蛇系種の中核器官は喉の奥に位置すると聞いていたため、そこを破壊した。だがもしアイスサーペントが別の位置に中核器官を持っているとしたら、この状態からでも復活することもあり得る。
周囲に配置した魔術師たちも固唾を飲んで見守っているのが伝わる氷上で、ようやくその時が訪れた。
ガラ
氷が一欠片崩れ、転がった。
そこから先はガラガラとバランスを保てなくなった氷の塊が瓦解していくだけだった。
それを確認したバーンズはぐるりと周囲を見渡し――
「退避ー!!」
即座に退却命令を下した。
それを合図に全員が駆け出し、昨日一日かけてそれぞれの待機地点近くまで引っ張ってきた小型船へと乗り込む。
なにせ今立っているのはアイスサーペントの魔力によって生じた氷の上であり、海面その物が凍結しているわけではないのだ。アイスサーペントが消滅した以上、そう時間がかからずに周辺環境は本来の夏の海へと戻るだろう。
事実、既にハクロの足元からはピキピキと不穏な音が聞こえ始めている。
魔力由来と言えど氷は氷であり、海水温は下がりきっている。氷が消滅したからと言って瞬時に戻るわけではないためうっかり落ちたら凍死確定である。
その後数分かけて氷を形成していた魔力が霧散していくのを見届け、討伐隊はジルヴァレの港へと帰還した。





