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こぼればなし  作者: やまやま
壱 こぼればなし
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ある雨の夜

 これは、幽霊なんてミリも信じていなかった私が、夜の闇について知ることになったきっかけのお話。




「――えー、というわけで、産休に入られた山本先生に代わって赴任された、瀧宮梓先生です」

 ある日の全校朝会。

 頭の毛が寂しくなってきた教頭が、なんだか苦虫を噛み潰したような表情で口にしたそんな簡単な紹介によって体育館のステージに立った新任の先生の第一印象は、「なんか赤いなあ」だった。

 目を刺すような強烈な夕焼けを彷彿とさせる赤。

 それは普通の中学校生活を送っていたら、校内ではまずお目にかかれないであろうゆったりとした和服――着流しというのだろうか――を身に纏いながら、夏前だというのに首をすっぽり隠すタートルネックをインナーとして着込み、時勢柄すっかり視界に馴染んだ黒いマスクを着用するというアンバランスさ。さらに後頭部で雑にまとめられた長い髪の毛は、かなりきつく色を抜いたような薄い亜麻色をしていた。

 有体に言って、今時こんなお手本みたいなヤンキーおる? ってやつを和風アレンジしたような恰好をしていた。

 そりゃ髪の毛の寂しさと比例するように凝り固まっている頭の教頭が嫌な顔をするわけだ。私だってもし街中でこんなのと出くわしたら、その先にどんな大事な用があっても踵を返す自信がある。

 しかもそんな新しい先生が、二年女子体育を担当していた山本先生の代わりだという。この時ばかりは私を「体育係」なる、体育の授業前に授業場所を確認する担当に押し付けたクラスメイトに内心恨み言を吐かざるを得なかった。どう足掻いても私とがっつり絡むことが確定してしまった。

 などと思考を巡らせていたら、件の瀧宮先生が壇上でマイクをとった。

「紹介のあり した瀧宮です」

 おや? と私は少しばかり小首を傾げた。

 瀧宮先生がマスクを外さずにマイクに向かったのは、まあいい。けれどその声がスピーカーを通って私の耳に届いた時、なんだかノイズが奔ったというか、少しガチャついた音が混じったように感じたのだ。単純にマイクかスピーカーの調子が悪いのかなとも思ったが、教頭の不機嫌そうな声は綺麗に体育館に響き渡っていた気がする。

「今日から二年生女子の体育を担当することに りました。半端な時期での赴任となりましたが、皆さんよろしくお願い ます」

 ああ、まただ。また、ノイズが奔った。機械の不調か、マイクに口が近いのか知らないけど、気になる。

 しかし周囲のクラスメイト達は、そんなことよりも服装が気になるのか、単に新しい先生という生き物に興味が持っていかれているのか、そのノイズを気にした様子はなった。




 意外というかなんというか、いざ授業が始まってみると瀧宮先生はあっという間に生徒たちの人気を集めていった。授業中は黒にピンクのラインの入っただぼっとしたジャージを愛用し、その上から肩に赤い着流しを羽織るという相変わらず謎なセンスはともかく、目の前に立つと思いのほか小柄なのだ。身長155cmの私と同じくらいか、下手したら私よりも背が低いくらい。

 それでいて、尋常ではないくらい運動神経が良い。バレーをやらせたら当然のようにネットを軽々と超える高さからアタックを放ち、バスケをやらせたら当たり前のようにダンクシュートを決める。体育館の隣のコートで授業を受けていた男子が面白半分で握力計を握らせたら、ぐるんと針が一周して測定不能。

 ここまでくると何か人間に似た別の生き物なんじゃないかという気さえするが、追い打ちをかけるように、快活かつざっくばらんな語り口調の座学は悔しいことに先任の山本先生よりも分かりやすかった。

 そんな評判が生徒たちを通して職員室にも伝わったのか、生徒が室内にいようが「生徒の模範となるような服装を」だの「もっと地味な髪色にしろ」だのねちねちかつ大声で注意していた教頭も、期末試験の頃には「心が狭い」だの「陰湿」だのと陰口を叩かれるようになり、すっかり肩身が狭くなっていた。

 私も第一印象で抱いた警戒心を多少なりとも解き、いつの間にか「次の体育は何をやるんだろう」とほんの少しワクワクしながら「体育係」として職員室へと足を運ぶようになっていた。

「今日もバレーをやる らネットの準備をお願いね」

 だけど音響機械を通してもいないのに関わらず、たまに言葉にノイズが入るのは、一体何なのだろうとずっと疑問だった。




 ある金曜日の夜のことだった。

 夜勤に出る母を見送った後、私はスマホで音楽を聞きながら宿題を片付けていた。中学も二年ともなると、小学校の時は得意だった科目でもそろそろ難解になって躓く物も増えてきた。今日も今日とて英和辞典と睨めっこしながら、週明けの範囲のページの和訳に四苦八苦である。しかも週明けの日付けと私の出席番号は同じであるため、高確率で指名される。授業で恥をかかないためにも最低限予習はしておかねばならない。

 と、その時、ドワッ! とワイヤレスイヤホンを貫通する大きな音が窓の外で轟いた。

 何事かと顔を上げてカーテンを開くと、窓を打ち破らんばかりの勢いで大粒の雨が降り注いでいた。

 はて、妙だぞ。夕方に見た天気予報では、昨日からの灼熱の如き晴天は週明けまで続くと言っていた。こんな大雨が降るとは聞いていない。

 そしてふと私は不安になった。母は傘を持たずに仕事に行ってしまったのではないだろうか?

 スマホから流れる音楽を停止させ、私は足早に玄関へと向かった。そしてそこには案の定、母の愛用のチェック柄の傘が傘立てに刺さっていた。

 私は時計を見る。

 時刻は午後11時を回っている。母のシフトはあと4時間ほどだが、この大雨がそれまでにやむとは思えない。そして母の職場までは歩いて15分程度の距離だ。

 私は部屋に戻り、いそいそとラフな部屋着から濡れてもいい格好に着替え、さらに上から雨合羽を羽織り、下駄箱から長靴を取り出す。これで準備万端。私は自分の傘と母の傘を手にし、意を決して大雨の中に身を投じた。

 ズドドドド! と、ここは戦場か何かかと苦言を漏らしたくなるような音を傘が発する。念には念を入れて雨合羽を着てきて良かった。傘だけでは防ぎきれない雨粒によって被弾し、雨合羽の裾は水に濡れてテカテカと光っている。いつもなら15分で着くはずの母の職場まで、「うおおおおおおっ」と深夜テンションで唸り声をあげながらもゆっくりとしか進めず、たっぷり30分かけてようやく辿り着いた。

 母の職場の建物はほとんどの窓が暗くなっていたが、二階の一室だけは煌々と明かりが灯っていた。おそらくあそこが母がいる事務室なのだろう。いざ行かんと建物の敷地に足を踏み入れると「ちょっとそこの君」と声をかけられた。

 まあ当然と言えば当然だが、この建物の守衛であった。

 こんな夜遅く、しかも大雨の中尋ねてきた不良少女に守衛のおっさんはあからさまに不審な表情を浮かべたが、母の名前と所属、そして傘を届けに来たと伝えるとおっさんは苦笑を浮かべ、建物へと招き入れてくれた。

「二階の電気ついてるとこにお母さんがいるからね」

 親切にもおっさんはそう言いながら階段まで案内してくれた。それに対し私は普段使わない位置の表情筋を酷使して外向けのにっこりスマイルでお礼を述べ、小走りで電気のついている部屋へと向かった。

「バカだねー、あんた。帰りはタクシー呼ぶつもりだったのに」

 そうして傘を届けた私への第一声が、それであった。

「そもそも中学生がこんな夜遅くに一人で歩いてきて危ないでしょ。せめて家出る前に連絡くらいしなさいよ。もう、ホント、バカなんだから」

 二度も、二度もバカと言われてしまった……。

 いや確かに、冷静に考えれば相手は大人なのだからタクシーぐらい気軽に呼べるのだ。それに母の言う通り、事前に連絡すべきだった。何のためのスマホだというのだ。音楽を聞くためだけの機器ではない。

「まあでも、傘届けてくれてありがとね」

 そう母は苦笑し、私の雨合羽のフードを外してタオルで頭を拭いてくれた。傘やフードすらすり抜けた雨粒によって、私の前髪はしっとりと濡れていたことにようやく気付いた。

「とりあえずあんた、仮眠室で寝てな。こんな雨の夜に一人帰すわけにもいかないんだから、シフト終わったら一緒に帰ろうね」

 言うと、母は私を事務所の奥の畳敷きの小部屋に案内してくれた。

 そこに慣れた手つきで布団を敷き、私はあれよあれよという間に横にされてしまった。

「帰る時になったら起こすから、それまで、おやすみ」

 悪戯っぽく笑い、母は私の頭を優しく一撫でし、事務所へと戻っていった。




 目が覚めたきっかけは、急に背中に氷柱でも押し付けられたかというような奇妙な寒気に襲われたからだった。

 私は声にならない悲鳴を上げて跳ね起き、寝汗の不快感を感じながらスマホに手を伸ばす。

 時刻は日付をまたいで、午前2時過ぎ。母のシフトが終わるまで1時間を切った頃だった。もう一度寝直すのも嫌な感じがして、母が一人いる事務所の方へと向かった。

「…………」

 母はデスクに座りながらパソコンのキーボードの上に手をつき、こっくりこっくりと舟を漕いでいた。それを見て私は苦笑交じりに、女手一つで私を育ててくれている感謝と悪戯心を込めて、母の目の前で大きく手を鳴らそうとした――その直前。

 私の視界に、夜闇に反射して窓に映った部屋の様子が目に入った。

 窓には、相変わらず舟を漕ぐ母と、その隣に立つ私――そしてもう一人、私の後ろに立っていた。

 血の気が引くというのはこういうことなのか。頭のてっぺんからお腹のさらに下へと向けて、体温が急激に沈んでいくような感覚に襲われる。

 私は反射的に振り向く。

 しかし当然、何もいない。

 私はギチギチと奥歯を力いっぱい噛みながら、もう一度窓の方へと視線を向ける。

 見間違いであれ――そんな力ない小娘の願望など鼻で笑うかのように、やはり一人、いる。

 頭を垂れ、黒く長い髪をだらりとさせた、多分、女。ずぶ濡れの白いワンピースから伸びる腕は、血が通っていないかのように青白い。

 私は心臓の鼓動を荒くしながら窓へと駆け寄り、力いっぱいカーテンを引っ張って窓を隠す。

 はあ、はあ、はあ、と息切れをしながらゆっくり振り返る。

 やはりそこには、うたた寝をする母しかいない。

 見間違い。

 そうだ、見間違いだ。

 私は窓に背を預け、ずるずるとへたり込んで天井を見上げた。


『ネエ 見エテルヨネ ?』


 ぎょろりとした血走った目の女が、私の顔を覗き込んでいた。

 呼吸の仕方を忘れる。

 瞬きが出来なくなる。

 私は、女から視線を外せなかった。

『見エテル 見エテル ! ヤッパリ 見エテル !』

 女は何が嬉しいのか、歯並びがガタガタの口を耳元まで釣り上げて、笑っていた。

 人生十年と少し。

 私は今日ここで()()()のか。

 何故か私はそう悟った。

 死ぬのではなく、消える。

 跡形も残さず。

 塵一つ、記憶一つ残さず――消える。

『ヤッタ ! ヤッタ ! コノ子 見エテル ! アハハハハハハハハ !』

 女が笑いながら、私の顔に向かって手を伸ばす。

 その青白い手のひらが、見開かれた私のまつ毛にまで届こうかという――その瞬間だった。


「うちの教え子に手ぇ出してんじゃねぇぞ」


 じゅおっという、熱い鉄板に水滴を落としたような音と共に、女の首から上が随分とまあ寂しいことになった。

 私は、訳も分からず見開きすぎて痛くなった瞳を、生まれて初めて自分の意思で瞼を動かして瞬きをし、眼球を癒す。

 そして次に目を開けた時に見えたのは、目を灼くほどに強烈な夕日を彷彿とさせる、赤い着流しだった。黒いマスクで口元はいつも通り隠れているが、普段下に着ているタートルネックはなく、露出した首元には赤く爛れた火傷のような痕がくっきりと浮かび上がっている。

 彼女は何かを殴り飛ばしたかのように、強く拳を握りしめていた。

 瀧宮、先生……?

 そう呼びかけようとしたが、舌も口もろくに働かず、職務放棄してあうあうと意味不明な音を発するだけだった。

 それを見た瀧宮先生は、目を優しく細めてゆっくりと拳を解き、手を伸ばす。

 先ほど迫ってきた手のひらとは雲泥の差、いや、比べるのも烏滸がましいほどの温もりと安堵感を抱かせてくれる手指が、そっと私の頭を撫でる。

 その瞬間、あ、という間もなく、私がギリギリ握りしめて留めていた意識が、ふわりとした不思議な感覚と共に、どこかへと飛んで行った。




 気が付くと、私は自分の部屋の布団で目が覚めていた。スマホを起動して時刻を確認すると、土曜日の13時。朝どころか昼である。窓の外を見ると昨日の豪雨が噓のように灼熱の太陽が昇り、道路のアスファルトもすっかり乾ききっていた。

 私は首を傾げながらリビングへと向かうと、お昼のワイドショーを見ながら母が「ようやく起きたな、この寝坊助め」と笑っていた。

 昨日……というか、今日の夜について尋ねると、母は「あんた仮眠室で爆睡してて、揺すっても起きないかったんだから。仕方なく母さんがおぶってタクシーで帰ってきたんだよ」と苦笑しながら答えた。

 仮眠室で爆睡……ということは、私は夢でも見ていたのだろうか。それにしては妙に鮮明で、骨身に染みる恐怖だったが。

 私はなんだか腑に落ちないままテーブルに着く。するとお腹から「くうううう」と何とも愛らしい音が聞こえてきて、またしても母が苦笑いを浮かべながら「ちょっと待ってな、そうめん茹でてくるから」と台所へと向かった。

「それにしても、あんたいつの間にか本当におっきくなったねえ。タクシーまで運ぶの本当に重くて大変だったんだから」

 食べ盛り育ち盛りの娘に対してなんたる言い草だこの母親は。




 週明け。

 私はいてもたってもいられず、朝一で職員室へと駆け込んだ。

 そして挨拶もそこそこに、すぐに目につく赤い着流しに向かって小走りで駆け寄った。

「あれ? 体育は一時間目じゃな よ、慌てん坊さんめ。でもそうだね、今日は期末テストも終わって暇だし、ドッジボールでも ろうか」

 などと相変わらずノイズ交じりの声で呑気にそう口にした瀧宮先生に、私は土曜日の深夜のことについて尋ねようと詰め寄る。

 しかし。

「クスクス……」

 マスクの下に悪戯っぽい笑みを浮かべながら、瀧宮先生は口元に指を一本添える。

 不思議なことに私の口はそれで自由に動かなくなり、あの夜のことについて口にしようとすると舌が回らなくなった。その他のこと、例えば「ドッジボールですね、分かりました」いう言葉はすんなりと声に出た。

 一体これは何なのか。

「ふふ、皆に 内緒だぜ?」

 瀧宮先生は、ただ笑うだけだった。

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