最悪の黒-059_若きAランク
「ここは……ああ、やっぱりな」
地図に次々に穴の位置を記入しながらマウロがふと頷いた。
「どうした?」
「ああ、前々からそうである可能性が高いって話だったが、どうやら本当に穴の位置は決まってるらしい」
「海流で移動したりはしてねえのか?」
「少なくとも穴の座標は前回俺が調べた時から動いてねえな。潜って確認できるわけじゃねえから分かんねえけど、まあ海図を見る限りこの辺はそこまで深いわけじゃねえから柱でも立てて固定してんのかね。そこ、港に向かって二時の方向にある穴は第二次討伐戦ん時に突き破って奇襲された位置と全く同じだ」
「…………」
指さされてもハクロにはどこも同じに見えるのだが、バーンズは苦々しい表情を浮かべていた。
「……覚えてるさ。『風』のシモンが喰われた時の穴だ」
「…………。そういや、シモンの後ろにいたのがアンタだったな」
バーンズの言葉にマウロは「やっちまったなあ」と呟き頭を掻いた。
「ああ。あいつ、自分の方が体がでけぇからって、風除けになってやるって俺の前を歩いてたんだ。Aランクの俺は主戦力だから少しでも消耗を抑えろってよ。あの時の奇襲は、俺が前を歩いてたら避けられた」
約一月前、二回目の大規模討伐作戦の事を思い出す。
第一次作戦で手痛く敗走した討伐隊は慎重に行軍したが、その時は穴の位置全てを把握できていなかった。マウロを始めとした「ロバーツ先遣隊」も先頭を歩いてはいたが、流石に50人規模の討伐隊が誰一人一歩もルートを踏み外さず進むことなど不可能に近い。
そしてほんの僅かにルートを反れてしまったシモンが穴を踏んでしまい、バーンズの目の前で喰われたのだ。
「バーンズ」
マウロが溜息を吐きながら、癇癪寸前の子供に言い聞かせるように諭す。
「俺のランクはアンタより下だが、それでも傭兵歴は俺のが長い。だから言わせてもらうが、シモンが喰われたのはあいつの自己責任だ。あいつが不注意で道を外れて喰われただけだ。むしろ後続を危険に晒しかねないミスを犯したってことで生き残った『風の旅人』が責められる立場だ。アンタが気を揉むような事じゃねえ。『風』の連中も誰もアンタを責めちゃいない」
「……分かってる。分かってるんだが」
ぎゅっとバーンズが手を握りしめる。
バーンズはAランクという化け物揃いの傭兵の中ではかなり若く、今年でようやく22を数えるところだ。Aランクで同じ年代は誰かと探すと、ルネという正真正銘の化け物しかいないレベルだ。
本来ならば同年代が見習いとして様々なギルドを回りながら学び、己の人生について慎重に選択する頃に誰よりも数年早く正式加入しランク試験を受け、Eランクという他よりも一段上のランクで合格した。
さらに当時傭兵大隊を立ち上げて間もないルネに認められ、ルネ率いる「太陽の旅団」の支援もあって彼女に次ぐ史上二番目の早さでAランクまで到達してみせたのだ。
だがあまりにも駆け足でAランクまで昇り詰めてしまったせいか、本来Aランクに到達するまでに培われるはずの老獪さがバーンズには足りなかった。
Aランクまで達するだけの勢いはあったが、そこから先は伸び悩んでいる――それが現在Aランク位階の80前後をウロウロしているバーンズに対するギルドの評価だった。
もっとも、そのバーンズ並みかそれ以上の駆け足でAランク到達を命じられているハクロがどうこう言える立場ではないのだが。こればかりは時間が解決するのを待つしかない。
三人は気まずい沈黙を抱えたままジルヴァレへと帰還した。
「そんじゃあ俺はオルティスに報告してくるぜ」
そそくさと作戦立案を任されている副支部長の元へと向かうマウロを見送り、「んじゃ俺も!」とバーンズは努めて明るく笑みを浮かべた。
「明日から本格的に討伐作戦が再開されるはず。さっさと飯食って寝るわ」
「ああ」
「あんたも早めに休めよ? ここ、北の果てだから夏は特に日が長いが、実は結構遅い時間だったりするんだぜ?」
言ってバーンズはギルド受付奥にかけられた時計を顎で指す。見ると時刻は19時前を指していたが、外はようやく西の空が赤みを薄れてきた頃合いだった。
なるほど、白夜とまではいかないがこの辺りの夏は夜はかなり短いようだとハクロは頷いた。
ギルド宿の自分の部屋へと戻るバーンズの背中を眺めながら、ハクロは一度診療室に顔を出した。リリィの様子を確認し、余裕がありそうなら夕食に誘おうとでも思ったが、診療室にはまだ5人ほどの患者がベッドに転がされていた。
「なあ、そこのあんた」
「はい?」
パタパタとベッドの合間を小走りで移動していたエルフの女性魔術師に声をかける。
「リリィ……狼人の薬師知らないか?」
「ああ、リリィさん。あの子なら夕食休憩を挟んでまたさっき調合室に入りましたよ」
「まだ仕事中か」
「本当に彼女には助けられました……リリィさんの膨魔薬、本当に無駄なく治癒魔術に必要な分だけ魔力膨張が起こるんですよ。あの若さであの技量は本当にすごいです。よっぽどお師匠様が良い方だったんですね」
そう言ってリリィを褒め称える魔術師の胸には深い青色の雫型ペンダントがぶら下がっていた。恐らく彼女がバーンズ曰く怒らせてはいけないBランクの支援特化傭兵団「瑠璃の雫」のメンバーなのだろう。
そんな彼女が諸手を挙げて評価するとは相当なものなのだろうなと、今更ながらに旅の仲間の第三者からの評価について知ることができた。
「分かった。リリィの作業が一段落したら俺が戻って来たってこと伝えてくれるか?」
「いいですよ。分かりました」
快く伝言を引き受けてくれた魔術師に軽く礼を言い、ハクロも一度宿の部屋へと戻る。
窓の外を見ると、先ほども確認したが、時刻はともかくまだ夜と呼ぶには早い空模様だった。
「……もうしばらく待ってから動くか」
それまで腹ごなしとして取り分けた自分の荷物から保存用の乾パンを取り出し、ジャムと一緒に口に放り込んで水で押し流した。
一時間後。
「ふえー、疲れたー。ハクロさーん、お夜食でも食べに行きませんかー? ……あれ?」
全員分の膨魔薬の調合を終えたリリィがハクロの部屋を訪ねるも、そこには誰もいなかった。





