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こぼればなし  作者: やまやま
弐 最悪の黒
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最悪の黒-057_薬師の役割

 ジルヴァレ支部内で応急的に設置された診療室は戦線を離脱した傭兵と騎士でぎゅうぎゅう詰めだった。

 その数12名――ベッドは足りておらず、比較的軽傷の者はソファに腰かけて処置を待っている状態だった。

「これは……」

「戦線処置の現場は初めてかね」

 診療室まで案内したミルザと名乗った壮年の医術師のエルフはボリボリと右頬を奔る三本傷を掻きながら溜息を吐いた。

「す、すみません……」

「いや、その歳で戦線を知っているのがどうかしている。すまない、気にしないでくれ」

 ミルザはどこか疲れきったような褪せた灰色の瞳を細めながら謝罪を口にする。

「ジルヴァレが雪に閉ざされてから物資も人員も限られている。しかし俺たちはここにあるもの全てを使ってこいつらが今日負った怪我を無理やり()()、明日戦線に立たせるのが仕事だ」

「直す……」

「当然、今この現場にいる患者の全員が外傷である。薬師である君に手術の真似事を押し付けるつもりはない。まあそもそも悠長に手術などしていられる状況でもないがな。極限まで逼迫した現場で医術師の俺にできることなど診断と応急処置くらいのものだが、薬師たる君にはできることがある」

「は、はい!」

「良い返事だ」

 言って、ミルザは傷を掻く手を下ろして羽織っていた白衣のポケットに突っ込んだ。

「今この場には所属は違えど優秀な治癒魔術師(ヒーラー)が3人いる。故に魔術による強行治療でこいつらが明日戦線に立てるようにする。君たちが来る時に持ち込ませた物資から何となく察していると思うが、君には膨魔薬の調合を頼む」

 膨魔薬――読んで字の如く、魔力量を一時的に膨張させる薬品である。

 そもそも治癒魔術とはそれ単体で治療として成立させるには極めて困難な物である。術者の技量はもちろんだが、治療を受ける側にもある種の才覚が必要になるのだ。


 治癒魔術の本質とは生命力――すなわち、魔力の前借りである。


 本来時間をかけてゆっくりと正常な状態へと戻っていくはずだった傷病を魔術により急速に回復させるため、患者はかなりの量の魔力を消費される。過去には衰弱した状態の患者に無理やり治癒魔術を発動させた結果、残り幾何かの魔力が根こそぎ失われ死亡した例もある。

 それを防ぐため、治癒魔術を使用する際は膨魔薬と呼ばれる特殊な魔術薬が併用される。

 その成分及び調合方法は医薬ギルド(エミリア=グループ)により伏されている。理由は至極当然であるが、一時的とは言え魔力の膨張は服用者に大きな負担となるからだ。用量を誤れば命の危険にも繋がるという指定危険薬品に認定されており、取扱いには特別な資格を有する薬師と治癒魔術師(ヒーラー)の同席が必要になる。

 それでいて材料単体で見れば民間療法として滋養強壮に良いとされている薬草や食材として知られているものばかりであり、知識があれば子供の小遣いでも揃えることができる。そのため薬師の間ではより一層慎重な秘匿が為されていた。

 リリィもまたリリアーヌにより調合の手ほどきは受け、取扱いの資格も取得しているているが、己の手で作り出す膨魔薬が目の前で治癒魔術に使用される経験は初めてだ。


 ミルザは紙束をリリィに差し出す。中を見ると、現在収容されている怪我人たちのカルテだった。

「元々大それた名産品もない小さな港街だ。強いて言うなら小型の鯨を捕って脂と肉を好事家向けに売り出しているくらいか? 診療所の規模も小さく、膨魔薬の材料の在庫はもちろん、取扱える薬師もいなかった。それでも魔物発見の報が入ってから依頼を受けた傭兵団(チーム)に同行していた薬師が薬を持ち込んでくれて、それでなんとか保たせていた。だが先日補給に行った時に他の傭兵団(チーム)と一緒に街から締め出されてしまってな」

 それからは怪我人の治療に魔術が使えず、討伐作戦は一時中断していたらしい。ミルザも縫合や薬の塗布くらいしか出来ることがなくなり、苦い思いをしていたそうだ。

「調合室は隣に用意してある。材料と器具もまとめて運び込んでいる。他に聞きたいことがあれば何でも聞いてくれ」

「はい!」

 ぎゅっと拳を握りしめ、リリィは頷く。その威勢のいい返事にミルザは薄い灰色の瞳をふっと細め、怪我人たちに向き直った。

「おら、休みは今日までだぞお前ら! 明日からまた死にに行くのがお前らの仕事だ! ただし苦労して俺たちが救った命を俺に無断で死なせることは許さんからな!」

「っしゃおらぁ!!」

「ようやく暴れられるぜ!!」

「任せてください! あのクソ蛇ぶちのめしてきてやりますよ!」

「折角縫った傷が開くだろうが安静にしろボケ共!!」

 傭兵ギルド(ロベルト=ファミリー)ロビーもかくやというほどに活気づき、それにミルザの怒号が飛ぶ。その光景に苦笑しながらリリィは診療室を後にし、隣室に用意された調合部屋へと向かった。


 内側から施錠ができるその部屋は、ミルザの指示により徹底的に清掃と消毒がなされていた。元々は別の何らかの用途で使われていた一室だろうに、ここまで綺麗に整えられているのを見ると自然と背筋が伸びる思いがした。

 扉に鍵をかけ、入り口に置かれていた消毒液で手指を清める。さらに綺麗に洗濯された薄い手袋をはめ、口元をマスクで覆った。髪は事前にまとめて帽子の中に突っ込んでから来ている。尻尾も革袋に詰め込んで万が一にも毛が飛び散らないよう細心の注意を払っていた。


 部屋の中央には調合に使用する薬研と乳鉢、天秤、さらに目盛りがついた口の広いガラス瓶、加熱の魔導具が用意されている。

 さらにジルヴァレに来る際に買い込んだ薬の材料の詰め込まれた大きな箱も持ち込まれていた。この中身全てが膨魔薬の材料――ではない。製造方法の秘匿のため、調合の際はギルドで指定されているダミー用の薬草を購入するよう指定されているため、実際に膨魔薬として使用するのは三割にも満たない。本当ならばさらに余った材料も全て使い切り、別の薬として調合しどれをどれだけ使うか露呈しないよう気を配らなければならないのだが、この物資の限られた状態では調合室を薬師が施錠することで製法の拡散を防ぐことが許されている。

「さて、やりますか……!」

 まずはカルテを確認する。膨魔薬は基本的に備蓄が禁じられているため、作りすぎたら処分しなければならない。これからどれくらい作戦が長引くか分からず、また補給線の回復の目途が立っていない状況では粉薬一摘まみだって無駄にはできない。

「一番重傷なのは……ウナイさん、エルフ、男性、146歳、体重68キロ、血中魔力量294㎜P。患部は左大腿部の裂傷、左中指、薬指、小指の凍傷。この年齢と体型の適正魔力量は350から400だから、だいぶ低下しちゃってる……」

 膨魔薬の調合の難しい所は、種族はもちろんだが体型と治療する傷病の具合で一つ一つ配合を調整しなければならないことだ。また特定の薬草や食材に対しアレルギー反応が出る者に対しては代替素材を用いる必要がある。今回カルテを確認した限りではアレルギーについては考慮しなくても良さそうなので多少気が楽だった。

 それが今回、12人控えている。

「ふぅ……!」

 マスクの裏側で大きく息を吸い込み、リリィは一つ目の材料を箱から取り出した。

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