最悪の黒-053_太陽の旅団
「私この傭兵大隊の子になります!!」
「手のひら返しが早いな」
その日の夜。
「太陽の旅団」でそのまま夕食を馳走になり、さて今夜の宿はどうするかという話になったがルネの「そんなもの、我が居城に住まえばよかろう!!」という一言の元、二人は二階の空き部屋にそれぞれ放り込まれたのだった。
ギルドを交えた正式な入隊手続きは明日ということだったが、王都での宿の心配をしなくていいというのは大変気が楽になるので厚意に甘えさせてもらうこととした。
元は職人ギルドの徒弟向けの集合住宅である。各部屋には最低限の家具がそのまま残されており、さらにその手入れもマリアンヌを始めとした職人ギルドから雇われた使用人たちが日々手入れを行っているため不快感なく使用できる状態だった。
そしてハクロが自分の部屋としてあてがわれた一室で一息入れていると当然のようにリリィが尋ねてきて、ハクロが寝転がるよりも先にベッドに飛び込み先の宣言を下した。
「だって見ましたか!? 部屋ごとにトイレとお風呂があるんですよ!?」
「そうだな」
ハクロの感覚としては集合住宅の各部屋にトイレと風呂があるのはまあ普通なことなのだが、トイレはともかくコスト面を考えると、風呂は共同浴場を設けて入浴時間が指定されている方が効率が良いためそっちの方が一般的なのだろう。そう考えると、この建物は徒弟向けとは言いつつもある程度年季を経た中堅手前の職人たちが住んでいたのかもしれない。
「それにマリーさんのご飯も美味しいし、ルネ様はとってもいい方ですし!」
まあ決め手としてはそこなのだろうなと、ハクロは苦笑する。
確かにマリアンヌが作る料理は美味かった。それ一つ一つは極上の品とは言い難いものではあるのだが、料理店で出されるものより温かみを感じるのだ。夕食で本当に出てきたでかいハンバーグもトマトソースのスパゲッティ――パスタではなくあれはスパゲッティだ――も、味付けとしては初めて食べたものだったが何故か懐かしさを覚える一皿だった。
そしてリリィとの語らいという名の面接試験でも感じたことだが、ルネは普段の高圧的な言動からは想像できないほど聞き上手なのだ。本人が言うところの「人の話を聞くのが好き」というのも真実なのだろうが、ルネの知識量はハクロをして感嘆に値した。その上で彼女は話し手が「ここでこういう質問をされるとスムーズに話を展開できる」という要点をあらゆる分野において熟知しているのだ。
仮にも王女に対して抱く感想ではないのだろうが、仮に彼女がハクロの元居た世界で夜の接客業についていたら、その話術だけで指名人気を総浚いしていたかもしれない。
つまりリリィはすっかり「太陽の旅団」に胃袋も耳も篭絡されてしまったということだ。
「まあ何にせよ、旅費について頭を悩ませる必要がなくなったのはでかいな」
「ですねー。傭兵大隊で受けた依頼なら移動費も宿代も傭兵大隊で負担してもらえるのはいいですねー」
「個人での依頼受領も禁じられてるわけじゃねえし、懐が寂しくなることはなさそうだ」
後はロアーに言われた通りBランクを目指しつつハクロが傭兵大隊にとって有用であると実力を以って証明し、ルネの目指す「海の向こう」へ渡る準備に口出しできるようになるのが当面の目標になるのだろう。いくらルネ直々にスカウトされたからと言って、いきなり傭兵大隊の理念であり中枢部分に参画できるほど甘くはない。
スケジュール的には駆け足ではあるが、コツコツと実績を積み上げるという基本は変わらないのだ。
「……まあ一つ気になることはありますけど」
と、リリィがハクロのベッドからもぞもぞと起き上がり、微妙な表情を浮かべる。
「夕食の席にいた傭兵大隊メンバーが妙に少なかった……というか、全然いなかったのは何なんでしょうね……」
「…………」
それについてはハクロも気になっていた。
この集合住宅は八階構造の中央棟、五階構造の東西棟を有したコの字型をしている。中央最上階はルネの執務室として占拠されており、それ以外にも中央棟のほとんどが資料室や倉庫、一階は食堂や室内訓練場として利用されている。そのため居住スペースとしては東西の二棟の二階から五階までが使われているのだが、それでも部屋数としては五十以上はあるはずだ。使用人たちもそこで寝泊まりしているとは言え、それでも三十部屋は傭兵大隊主要メンバーである傭兵にあてがわれているはず。
だというのに、食事の場に現れたのは使用人がほとんどで、傭兵はハクロとルネしかいなかったのだ。
「……部屋は結構選べましたよね?」
「やめろ、これ以上不安要素を示すんじゃない」
ハクロは聞こえないふりをするがリリィは構わず言葉を続ける。
「そもそも傭兵大隊って商人ギルドから会計管理人を雇うのが普通なんですよね……? ルネ様、ご自分で書類仕事をしてましたが……」
「やめろやめろ、聞きたくない。実は王女率いる傭兵大隊が万年人手不足で本拠地は常に傭兵が出払っていて不在なんて、そんなはずないだろう。使用人だけはしっかり相応の人数が揃っていただろ」
「なかなかの推理力だ!!」
スパーン!! と部屋の扉が開け放たれる。
流石にギルド長室のように壁ごと破壊されることはなかったが、当然、乱入してきたのはルネである。
日中に来ていた豪奢なワンピースから多少、心持ち、気のせいでレベルで落ち着いた色合いのノースリーブのシャツに着替えている。完全にオフなのか、鎧の手足も身に着けておらず胴体だけ浮遊している姿はちょっとしたホラーである。……脚はともかく、普段使いの腕にまで書類仕事をさせているのではあるまいなと一瞬そんなことが頭を過ったが、きっと違うだろうと首を振った。
「我が傭兵大隊には余の眼鏡に適った者しか勧誘しておらぬ! 傭兵、魔術師、職人、使用人全てが一等級の者たちだ。しかし! それ故に! 『太陽の旅団』は傭兵ギルドに登録されている傭兵大隊の中で最小規模! 職人及び使用人20名を含めても50に届かぬ少数精鋭だ!」
「てめぇふざけんなよ!? 傭兵大隊は百人規模って話じゃなかったのか!?」
「世界には例外というものが存外存在するのだ! この余のようにな!」
「やかましい!」
「今宵この本拠地に使用人しかいなかったのも貴様の予想通りだ! 我が傭兵大隊は海の向こう側を目指すため、常に莫大な資金を湯水のように使っている! その資金繰りのために所属する隊員たちは常に大陸中を駆けずり回って依頼をこなしているのだ!」
「あんた王女だろ!? 王家直轄事業として金出させたらどうだ!?」
「これはあくまで余の進む道なのだ。大切な民草の血税に手を出せるわけがなかろう」
「そこしっかり線引きしてんのか……」
「そして余の運営指針にのっとり隊員に依頼を割振った結果、我が傭兵大隊に所属する全26名の傭兵のうちAランクは余を含め8名、Bランクは17名という粒揃いとなった! 当然残り1名のCランク以下とは貴様の事である!!」
「俺が一番下っ端かよ!?」
「ロアーにも言われているのであろう? 1年以内にBランク、3年以内にAランクへ昇れとな」
ニィ、とルネは傲岸不遜な笑みを浮かべる。
「安心しろ。我が傭兵大隊におれば3年と待たず、1年でAランクまで押し上げてやれる」
「ンな無茶な!?」
「余が出来たのだ。この世ならざる術を持つオトズレビトたる貴様にはそれくらい出来てもらわねばな!」
だが、とルネが一喝挟むと廊下の方からギュン! とワイングラスを三つ、それにボトルワイン二種類と無駄に豪奢な椅子が浮遊しながらハクロの部屋に入ってきた。
「ひぎゃっ!?」
ついでにこっそり外に出ようとしていたリリィが巻き込まれるようにベッドの上まで連れ戻される。
「それも全ては明日からだ! 今宵は余の晩酌に付き合ってもらうぞ! これは我が傭兵大隊の通過儀礼である!」
「あ、あのぉ……私はお酒が飲めないので帰らせていただ――」
「片方はノンアルコール、つまり葡萄ジュースだ」
「――く、わけにはいかないんですね……」
ついでとばかりに追加で小さなテーブルとチーズの盛り合わせ、揚げた細切りの芋が盛られた皿がやってくる。あれよあれよという間にハクロの部屋は酒場もかくやという様相に成り果ててしまった。
「カナルのジャンヌ副支部長から聞き及んでいる。貴様、いけるクチなのだろう」
「あのアマ……!」
傭兵ギルドの情報網の速さが今だけ煩わしく感じた。
しかし恨み言を口にしたところで、魔力操作によりワインのコルクを開けたルネは早くもグラスに注ぎ始めている。よっぽど良い銘柄なのか、それだけでハクロの鼻腔に芳醇な香りが漂ってきた。思わず喉が鳴る。
「……分かった、一杯だけだぞ」
「そう来なくては!」
当然、一杯で済むはずもなく。
ルネの卓越した話術によりずるずると晩酌は続きボトルは何本も飲み干され、やっと解放されたのは親子月がどちらも沈み東の空が明るくなり始めた頃だった。





