最悪の黒-052_白き刃
「やっぱ気付いていたか」
「当然だ」
ルネは赤いリボンで隠された目元を鉄の指で示す。
「我が魔眼は魔力を捉える。貴様のような魔力の質、大陸中を飛び回ってきたが見たことがない」
「そうか」
「そういう貴様も、余が気付いたことに気付いていたであろう。いつからだ?」
「最初に会った時だ。どうにも根底を覗かれているようで気味が悪かった」
「はははは! それはすまないことをした! そして余が指摘したことを特段慌てもせず堂々と肯定するその豪胆さ、ますます気に入った!」
ひとしきり笑うと、ルネはハクロとリリィが腰かけるソファの向かいに腰かけた。
改めてルネと視点が合う。足がなく、胴体は浮遊しているし鎧の手足は厳つい見た目をしていたため気付かなかったが、体躯としては小柄な部類のように感じた。
「それで、貴様の中にいる彼女とは会わせてはくれぬのか?」
「……そこまで見えてんのかよ」
ハクロは肩を竦め、言葉に魔力を織り交ぜて手を前に差し出した。
「――抜刀、【シラハ】」
手元に一振りの片刃の剣が顕現した。
その美しさにリリィは思わず言葉を失った。以前ハクロが傭兵ギルドへの加入試験の際に見せた一振りとは異なり鍔も柄も備わっている状態で、さらに切っ先から石突に至るまで混じり気のない純白に輝いて見えた。
話には聞いていたが、リリィも目にするのは初めてだった。
これがハクロがこの世界に訪れた目的――
「こいつは俺の妹で、名をシラハという」
ハクロの言葉に僅かな愁いが籠る。
いつもの軽薄な態度からは想像もつかない、ほんの僅かにバランスを崩せば瓦解してしまいそうな、危うい声音だった。
「俺のせいで刃に魂が封印され、肉体を失っているが――生きている。こいつに新たな体を与え、解放してやるのが俺の旅の目的だ」
「…………」
ルネは鉄の指を顎に添えてじっと刃を――シラハを見つめる。
そして「触れてもよいか?」と鉄腕を差し出した。
「ああ」
ハクロは逡巡することもなくシラハをルネへと手渡す。
それを見て、リリィはムッと眉を顰めた。二か月近くハクロと旅をして、その目的については聞いてはいたが一度もシラハを見せてくれたことはなかったのだ。それが王女相手、さらに一目でハクロの正体を見破ったとは言え、今日会ったばかりのルネにあっさりと明かしただけでなくシラハを触れさせたのが、なんとなく気に食わなかった。
「ふむ」
ルネはシラハの柄を優しく掴み、刃をそっと撫でる。
ことん
「……!?」
「え!?」
「ほう」
途端、ルネの鉄の指先が床に転がった。
ハクロとリリィは驚愕に目を見開き、ルネは興味深そうに刃を改めて眺め、肩をすくませた。
「嫌われてしもうたか」
言って、ハクロにシラハを返却する。
「余にはこの者は人にしか見えぬが、声は聞こえぬようだ。だが何か気に障ることをしてしまったのなら謝ろう」
「……いや、むしろ感謝する」
ハクロは受け取ったシラハを魂の奥底にしまいながら、床に転がった鉄の指先を拾い上げた。
「今のはシラハの十八番――斬るべきものを斬る力だ。あいつが今の姿になって一年以上が経つが、自分から力を使ったのを見たのは初めてだ。……やはり俺の仮説は間違いじゃなかった」
シラハは生きている――そう言って、ハクロは小さく笑みを浮かべる。
それに一瞬だけリリィは薄ら寒い何かを感じ、ぶるりと背筋が震えるような感覚に襲われた。しかし瞬きの間にもハクロはいつもの軽薄な笑みに切り替え、拾ったルネの指先を彼女へと返した。
「その指、俺が直そうか」
「ほう。貴様は魔導具の修理の心得もあるのか」
「俺の血筋は元を辿れば鍛屋でね」
「それはそれは。だが此度は不要だ。これくらいの損傷ならば――この通りだ」
差し出された指先の断面同士を近づけるとグラスに注がれた水のように混ざり合い、そして一瞬の後には元の指の形へと戻っていた。
「随分と面白そうな素材を使っているな」
「いや、素材そのものはありふれた魔銀を主体とした合金だ。だが特定の配合を行うことで余の魔力とより馴染むようになり、軽度の損傷ならば魔力を流すだけで修復されるようになっている」
「なるほどな。いつかその技師と会わせてくれ。俺の目的のためのヒントになるかもしれない」
「ああ、構わない。だがこちらにも技術に関する秘匿義務があるからな。貴様が我が傭兵大隊に有用であると証明出来たら、いずれ紹介しよう」
「そりゃ頑張らないとな」
肩を竦めハクロは苦笑する。
方や傲岸不遜に、方や軽薄に、何やら楽しそうに笑みを浮かべあう。
その光景が何とも言えず、リリィは気に食わなかった。
「さて、次は薬師リリィ。貴様の番だ」
「わ、私ですか!?」
突然呼びかけられリリィは思わず居住まいを正す。だんだん麻痺してきてしまったが、相手は王家に連なる王女様だ。一介の薬師でしかないリリィは本来こうして面と向かって会う機会などなかったはずの雲の上のような存在なのだから仕方がない。
「ああ。さっきも言ったであろう。貴様の番は後だと」
「だ、黙らせるための方便かと……」
「何故余が貴様を黙らせねばならぬのだ」
本当に意味が分からないというように、ルネは首を傾げた。
「余は誰かの話を聞くのが大好きなのだ。余が辿ることは決してできない他の誰かの人生の軌跡を聞くのが大好きだ。そこから海の向こうへ行くための着想を得られるかもしれぬからな!」
ルネは傲岸に、それでいてどこか無邪気に笑う。
それを見てリリィはふうと小さく溜息を吐き、「それでは」と頷いた。
「私は、その、ハクロさんみたいな特別な人生を歩んできたわけじゃないので、それでよければですが」
「リリィよ。陳腐な言い回しではあるが、特別でない人生などありはしない。余にとっては余以外の人生全てが特別であり、傾聴すべき物語だ」
「…………。わかりました。えっと、私はフロア村というところで、師匠のリリアーヌに薬師として育てられ――」
リリィは訥々とこれまでに経験してきたことを掻い摘んで語りだす。それに対しルネは一つ一つに頷き、相槌を打ち、たまに質問を挟みながら聞き入った。
二人の語らいは日がすっかり暮れ、マリアンヌが夕食の準備ができたことを知らせに来るまで続いたのだった。





