Happy White Day
時系列:「ひゃくものがたり」本編3年前
私は小柄である。
どれくらい小柄かと言うと、昨年、ようやく見事成人女性入りを果たしたのだが、同年代の平均身長である158.58センチ(2012年度春調べ)よりも、さらに10センチほど身長が低い。
具体的に言えば、145.8センチである。……誰だ、13センチだろうって言った奴。これくらい見栄を張らせろ。
ちなみに、身長145センチと言えば、日本では小学校6年生の平均身長とほぼ同等である。
私小6と同じ身長かよ。
……と、ここまでは自虐ネタ。
実際に生活してると、存外にこの低い身長は不便ではない。確かに高い所にある物は取れないが、そこは踏み台と言う文明の利器(+背伸び)を使えば大抵は何とかなる。そもそも高い所に物を置かないから全くと言っていいほど問題はない。むしろ無駄にでかい奴は着る物の選択肢が少なくて苦労していそうだ。……誰だ慈しむ目で私を見る奴は。
ただ!
ただ一つ、問題があるとすれば――
「あ、タケちゃんおはー(ぽん)」
「……うん、おはよー」
「うーっす、竹中ー。今日は寒いなー(ぽん)」
「……うっす」
「綾さんおはようございますー(ぽん)」
「……おはよう、穂ちゃん……」
……研究室の連中が、挨拶のついでに自分より低い位置にある私の頭をポンポン叩いてくることか。
気安く人の頭ポンポン叩きやがって。あたしゃモグラ叩きのモグラか。
ちなみに、何故叩くのか聞いたところ、
「「「ちょーど叩きやすい位置にあるから」」」
とのこと。
「あの巨人どもめ!」
春休み中も定期的に開かれるゼミを終え、今日も今日とてポンポン叩かれた頭を押さえつつキャンパス内を歩く。いい感じの時間だし、いつも通りお昼は学生食堂にでも行って食べようかと思い、そちらに向かう。
「げ」
が、そこには回れ右をして帰りたくなるような光景が。
「……もうそんな時期か……」
ズラリと食堂の外にまで並ぶ人の列。その大半は学生服を着た若人たちと、その付添と思しきお母さん連合である。
もう三月の半ば。大学合格した高校生たちが見学に来たり、新生活に向けて準備をしたりするのは自明の理。……だからと言って、食堂で新入生サポート説明会を開くな、学生支援課。
説明会のついでに食堂でお昼を食べていこうと考えつくのは当たり前じゃん。ただでさえ昼時はいつも混み合ってるのに行列が外にまで溢れてるじゃないか。
正直、今からアレに並ぶのは勘弁願いたい。
「仕方ないか……」
今日は購買でパンでも買って食べよう。そう決意し、行列のわきをすり抜け、食堂2階の購買部へと向かう。
「はいはい通してくださいねー」
入口に群がる人垣を押し退けて2階へと続く階段を目指す。こういう時、小さいと人の隙間を縫うように移動できるからなかなかに便利。……泣いてないもん。
するすると人の群れを通り抜けて購買で焼きそばパンを購入。その後もするすると食堂の外に出た。
「んじゃ、いただきまーす」
はしたないと分かっていても、お腹は空いている。歩きながら焼きそばパンの袋を破り、こぼれないように齧り付く。
ソースの風味がたまりませんなあ。
「……ん?」
焼きそばパンをもぐもぐやりつつ正門を出る。赤信号に捕まってボーっとしながら昼食を済ませていると、無駄に広い、大学前の道路の反対側で誰かが手を振っているのが見えた。
服装的には高校生。この辺では珍しく学ランだ。あの子も大学の見学にでも来たのだろうか。
しかし……デカいな。
身長180じゃ済まないぞ? 2メートルは流石にないだろうけど、190は確実にある。しかも高身長の連中にありがちな、ひょろっとしたとっぽい体型も相まってか、縦に更に長く見える。
そんな奴が長い腕を大きくぶんぶん振っているもんだから、すげえ目立つ。誰に用があるんだか知らんが、その相手、早く気付いてやれよ。
焼きそばパンの最後の一口をごっくんと飲みこみ、とっぽい彼の待ち人を探して振り返る。
「……あれ?」
誰もいませんよ? まさかあんな目立つ物体を見過ごしたわけじゃあるまいし……あ、青信号。
向き直ると信号は青に変わっており――とっぽい彼がものっそい勢いでこちらに走って来ていた。
「タケちゃんせんぱああああああああああい!!」
「ぎゃああああああああああっ!?」
奇声をあげ、両手を大きく広げて迫りくる巨人。
すんでのところでそのタックルを横に飛んで交わすと、その巨大な不審人物は私の後ろにあった生垣にズボッと頭から刺さった。
抜けないのか、無駄に長い足をバタバタさせている。
「ちょっとアンタ!? 大学受かって浮かれてんのか知らないけどいきなり知らない女にタックルかましたらただの変質者よ分かってんの!?」
動悸の止まらない旨を抑えつつ、生垣から下半身を生やした変質者に罵声を浴びせる。身動きが取れない今のうちに大学職員か警察でも呼んでやろうかと画策していると、ふと、不審者の先程の奇声を思い出した。
「……タケちゃん先輩?」
タケちゃんとは、小学校からの付き合いである私、竹中綾のあだ名である。今でも仲のいい友人たちからはそう呼ばれているが……こやつ、何故私のあだ名を知っている。
「ますます怪しい通報したろか」
「…………っ!!」
不審者が何やら喚いている。が、生垣の向こう側の口から発せられている声は妙にくぐもって聞き取れない。いや図体デカいんだからいい加減自力で抜け出せよ。
「…………」
何となく気になって正門を通って生垣の裏側に回る。するとそこには案の定、さっきの不審者の頭が生垣から生えていた。非常にシュールである。
「で? なによアンタ。私に何の用?」
一応ケータイを110にセットし、発信ボタンに親指を添えつつ訊ねる。
「わー、やっぱりタケちゃん先輩だー」
「…………」
こいつ、緊張感というものがないのか? 私いつでも警察呼べる状態なんだけど? へにゃっと目尻を下げて笑うその男は何だか無害そうな雰囲気はあるが、用心するに越したことはない。
しかし……この、めっちゃ喜んでる大型犬みたいな笑い方、どっかで……?
「何アンタ、私とどっかで会ったことあったっけ?」
私は今大学3年生。あと半月もすれば4年生になる身だ。高校時代の後輩もみんな卒業してしまっているため、こいつのような現役高校生の知り合いなどいないのだが。
「俺ですよ俺ー」
へにゃ、どころか、ふにゃって感じで目尻を下げて笑う。いや、この笑い方には見覚えはあるんだけど……いやいや、まさか……。
「……ウメくん……?」
「正解ですー。梅原陵です。中学校ぶりですかねー?」
顔いっぱいで嬉しさをアピールする、かつての後輩。
大よそ6年ぶりの再会した彼に私は、
「嘘だっ!!」
「ええっ!?」
問答無用で罵声を浴びせかけた。
「嘘だ嘘だ! 私は信じない!」
「ちょっ、何で!?」
「だってだって! 私の知ってる中学1年生の頃のウメくんは私と身長がそんなに変わんなかったはずもん! ちっちゃくて可愛い子犬みたいな男の子で美術部のマスコットキャラだったはずだ!」
「俺だって6年も経てば成長するよ!?」
「貴様ウメくんの名を騙るとは不届千万! 警察に突き出しちゃる!」
「それだけはヤメテ!?」
ウメくんを名乗る不埒者に我慢ならず、私は待機させていた親指に力を込める。
が。
「君たち、ちょっと支援課まで来ていただけます?」
「「あ」」
騒ぎを聞きつけた大学職員に捕まってしまった。何故か私まで。
かくかく しかじか
1時間後、やけに強面な大学職員による事情聴取から解放され、私とウメくんはとぼとぼと並んで歩いていた。
「酷いよタケちゃん先輩……何度言っても信じてくれないし……」
「ああ、何かゴメン……」
事情聴取の際、ウメくんは高校の生徒手帳・保険証・原付限定運転免許証・地元図書館の貸し出しカードなど、ありとあらゆる身分証明を提示し、私に自分は本当に梅原だと説明した。最初は私も思い出とのギャップに頑なに事実の容認を拒んでいたのだが、その特徴的な笑い方は間違いなくウメくんのそれだったし、部活中彼に愚痴ったテストの点数まで掘り起こされてしまえば、さすがに認めざるを得なかった。
なお、大学職員には「久しぶりの再会に感極まった彼が生垣に突っ込んでしまった」と説明したら溜息交じりに納得してくれた。事実だし。
「てかさ、デカくなり過ぎでしょ。今いくつよ」
「192ですー」
「確か私が中3の時140くらいで、そん時私と同じくらいだったから……50センチオーバー!?」
「そうなりますねー」
成長期の男子ハンパねえ!!
「成長痛が酷くて大変でしたー」
「くっ……私も一度でいいからそのセリフ言ってみたかった……!」
「何でこっち睨むの!? 成長痛なんて痛いだけだよ!?」
「がぁっ!?」
「うわっ!」
殴り掛かった私を一歩後ろに下がって回避するウメくん。くっそ! 一歩でかなり後ろに下がりやがって!
「……てかさ、何でアンタ制服着てんの?」
私の記憶が正しければ、ウメくんは19歳。学年的には大学1年生のはずだが。
「いやー、お恥ずかしい話、一浪しちゃってー」
「あー」
そう言えばウメくん、勉強がてんでダメだったもんなー。時は経っても本質は変わりなしか。
「……え、でも当時のウメくんの学力を鑑みるに、この大学はだいぶレベル上なんじゃ……」
「です。でもどうしてもこの大学行きたくて、頑張りました!」
そう言ってふにゃっと笑い、ウメくんは真新しい学生証を私に見せた。今日ここには学生証の受取りに来ていたらしい。
「ふーん、でも何でまたうちに?」
確かにうちは学力的にはほどほどのレベルだが、学部全体を見渡すといまいちパッとしない印象がある。就職率もそんなに高くないし。
疑問に思って訊ねると、ウメくんは笑って答えた。
「はい! タケちゃん先輩に会いに!」
「ふーん、私に会いに…………………………………………私に会いに!?」
ホワッツ!?
「え、どゆこと!」
「あ、ちょっと待ってー」
ウメくんのセリフの意味が不明すぎて問い質すも、しかし彼はマイペースにごそごそと自分の鞄を漁っていた。
「はい、これー」
「……何?」
渡されたのは、可愛いリボンで綺麗にラッピングされた小さな袋。気になって開けてみると、中にはカラフルな半透明セロハン包装紙で包まれたキャラメルがたくさん入っていた。しかも形が不揃いの所を見るに、どうやら手作りっぽい。
「え、何」
「今日はホワイトデーだよー。バレンタインのお返しです」
「ああ、バレンタインの……」
…………ん?
「バレンタインっていつの!?」
中学校を卒業してから6年間会っていないのに中学校時代の後輩からお返しもらった!?
どゆこと!?
「ほらー、タケちゃん先輩が卒業する年のバレンタイン。もう部活は引退したのに美術部全員にチョコをくれたじゃない」
当時を思い出したのか、ふにゃっと嬉しそうにウメくんは笑った。
た、確かにそんな記憶があるが……高校受験大詰めで、願掛けに塾で大量にばら撒かれていたキットカットを集めて部活に持ってったんだけど……。
「???」
「…………」
お願いウメくん……そんな無垢な目で私を見ないで……!
「それで俺、初めて女の子からチョコをもらったから、嬉しくって!」
「心が痛い!」
「え?」
「い、いや!? ナンデモナイヨ!?」
ま、まさか、それが嬉しくて私を追いかけて大学まで来たとか言うまいな!?
「それで、それが嬉しくって、タケちゃん先輩を追いかけてこの大学を選びましたー」
「どんぴしゃだった!!」
何という女だ竹中綾! あんなに無垢で可愛い男の子(今は無駄にデカいが)の人生を、無料配布されていたキットカット1つで狂わせてしまうとは……! しかも1浪までさせてこんな学力ばかりのパッとしない大学に……!
「……なんか……ゴメン……」
「え? いや、うん? はい」
何だかよく分かってない感じに頷くウメくん。
「タケちゃん先輩?」
「ごめん、今ちょっと自己嫌悪中……すぐに復活するから少し待ってて……」
「あ、はい」
心配そうに顔を覗き込むウメくんを手で制し、深呼吸する。
そして改めてウメくんと向き合うと――彼は、いつになく真剣な表情を浮かべていた。
「ウメくん?」
「あの、それで……!」
「え、うん」
「…………」
とっても大きな深呼吸。
そして意を決したように、ウメくんは私にこう尋ねた。
「タケひゃん先輩、今、彼氏ときゃいみゃしゅか!?」
「…………」
コイツ噛みおった。
ズンとした暗い空気をまとって膝を抱えてその場に座り込むウメくん。何だかすげえ落ち込んでるっぽいので、手の届く位置に下りてきた彼の頭をポンポンと撫でてやった。
「そ、そう落ち込むなって。で、えっと? 私の彼氏の有無か? そんな空想上のイキモノが存在するわけがないだ――」
「それ本当!?」
「うわっ!?」
冗談抜きで3倍くらいの高さにまで上がった彼の瞳は、すっごいキラキラしていた。
「い、今のセリフにそんなに嬉しくなるような要素があった!?」
「うん!」
「うおっ! 笑顔が眩しい! お前気持ちの浮き沈みが激しいな!?」
「タケちゃん先輩!」
私のツッコミをスルーして。
ウメくんは、
「俺と付き合ってください! 中学の時から好きでした!」
と、のたまったのだった。
「……は?」
綺麗に腰を90度折り曲げた綺麗なお辞儀。
私の手には、彼から貰った手作りのキャラメル。
そしてウメくんが言った、「付き合って」とか「好き」とか、そんなセリフ。
えと。
つまり。
「これそういう意味かああああああああああ!?」
もう一度手の内のキャラメルを見て絶叫。
「気付いてなかったの!?」
「気付いてなかった!」
「い、いくらなんでも中学の頃にもらったチョコのお返しをするためにここに進学したとか思ってないよね!?」
「思ってた! 超思ってた! だってウメくんだもん! 我らがぷりてーはにーウメくんならあり得ると思ってた!」
「タケちゃん先輩たち裏で俺のことそう呼んでたの!?」
「だってだってだって! だってウメくんだし!」
「タケちゃん先輩、俺をどういう目で見てたの!?」
「わー! わー!?」
「俺、タケちゃん先輩がずっと好きで、頑張って勉強して同じ学校に!」
「わああああああああああっ!?」
「先輩!」
あまりにもド直球。
私は恥ずかしくなって両手で顔を塞ぐも、とても大きな手で手首を掴まれ、顔を晒されてしまう。見上げると、首まで真っ赤になったウメくんがすごく真剣な眼差しでこちらを見ていた。
「ウメくん……」
「俺、頭悪いから……タケちゃん先輩が行った高校には行けなかったけど……でも、頑張って、1浪しちゃったけど、同じ大学に来れて……それで……」
「……アンタね……私が大学で彼氏作ってたら、どうするつもりだったのよ」
「…………」
照れ隠しの、苦し紛れの詰問。
しかしウメくんはキョトンとした顔で「それは有り得ないと思ってた」とかほざきやがった。
「アンタも大概酷いな」
「ご、ごめんなさい……?」
「んで、どうするつもりだったの?」
「…………」
「考えなしかよ」
「でも……想いだけは、伝えたくて……」
「…………」
コイツ……。
両手首を抑えられ、形勢的にはウメくんの圧勝なのに、今一歩が踏み出せない感じ。ああ、やっぱりウメくん、デカくなったのは体ばっかりで、何も変わってないわ……。
「それで、その……タケちゃん先輩……」
「ん?」
「返事は……?」
「…………」
あー。
いやまあ、6年間想い続けて大学まで追ってきちゃったウメくんの忍耐力と行動力にはさすがにビビったけど……というか、ぶっちゃけ、愛が重いとか考えちゃったけど……。まあ、何ていうの?
「…………」
「タケちゃん先輩?」
ウメくんの手を払い、落さずに持っていたキャラメルの包みを、黙って広げる。不格好な直方体に切られたその濃い黄色のキャラメルを口に運ぶ。
あ、コイツちょっと焦がしやがったな。焦げ臭い……というか、焦げてカラメルソースみたいな味になってる。
でもこれはこれで、いいアクセントになってて……美味しいな。
「これが答え……じゃ、ダメ?」
悪い気は……うん、しないね。
「…………。……! タケちゃん先ぱおぐぅっ!?」
私の行動の意味を察したのか、ウメくんは両手を大きく広げて私に抱き付こうとした。が、その前に肘鉄を鳩尾におもっくそ叩き込んでやる。
「調子に乗んな。体格差を考えろ、不用意に抱きしめたら可憐な私は押し潰されてしまう」
「……肝に銘じておきます……」
高さ的に綺麗に極まったせいか、ウメくんは跪きながら顔を青くして何度も何度も頷いていた。それを私は、ちょっとやり過ぎたかな、とキャラメルを噛みしめながら思った。
「だから、抱きしめる時は私からな?」
「……! タケちゃん先ぱっぐふぅ!」
「学習しろ」
再び抱きしめようとしたウメくんの脳天にチョップを入れる。
思っただけで、反省はしてないが。
「タケちゃん先輩」
「んー?」
痛みから復帰したウメくんは、さすがに学習したのかいきなり抱きしめては来なかったが、拳を握りしめてふにゃっと笑いながらこう力説した。
「俺、春からこの大学楽しみです!」
「そ、そうか。まあ学生の本分は勉強だからな? 留年したら捨てるぞ」
「……! き、肝に銘じておきます!」
若干笑みを引き攣らせながら、ウメくんはこくこくと頷いた。
と、その時、車のクラクションの音が聞こえてきた。見れば、少し離れたところの路肩にシルバーの軽自動車が停車していた。
「あ、お父さん」
「あー、迎え?」
「です! それじゃあタケちゃん先輩! 今日はこれで!」
「おー」
ぶんぶんと大きく手を振りながら、ウメくんは車に乗り込んだ。
その後、それだけでは飽き足らず、窓から乗り出してまで手を振って怒られたウメくんを見送りながら、私は改めてキャラメルを噛みしめた。
「さて……とりあえず……」
ケータイを取り出し、私はお母さんに連絡を入れた。
「あーもしもしお母さん? 私、院に進学しようと思うんだけど、いいよね?」
なお、アパートに帰って鏡を見たら、歯に焼きそばパンの青海苔がくっついていてショックを受けたのは、また別の話。
* * *
「……って言うのが馴れ初めでさぁっ!!」
「はいはい……その話、もう何度も聞きましたよ……」
大学の夏休み。論文研究もおおかた目途が付いたので、ウメくんと一緒にちょっとした旅行に来ていた。その帰り道、本当は寄る予定はなかったのだが、かつての研究室の後輩である穂ちゃんが働いているという学園の下宿が近くにあるということで、酎ハイとツマミを買い込んで押し掛けてやった。
「もう私はご馳走様ですよ……。お二人の馴れ初め、一体何回聞かされたと思ってるんですか」
「さあ? 5回くらい?」
「お酒を飲むたびに聞かされたので、20を超えた辺りから数えるのを止めました……」
ちびちびと私が買って来た缶酎ハイを飲む穂ちゃん。
「私、もう寝ていいですか? 明日も仕事なので」
「えー。まだ9時じゃーん」
「もう9時です。下宿の管理人の朝は早いんです」
「穂ちゃんが早起きできるとは到底思えないんだけど? どうせ毎朝弟くんに叩き起こされてるんでしょ」
「…………」
図星だったのか、黙り込む穂ちゃん。
社会に出たのにこの子も全然変わってないなー。
ちなみにウメくんはお酒に弱く、缶を半分空けたところで落ちてしまった。今は私の膝を枕にして静かに寝息を立てている。
「どうよ、寝顔も可愛いでしょ! 写真見る? あげないけど!」
「いりませんよ」
「でもウメくん一途よねー! 私を追いかけて浪人してまで同じ大学に来るなんて!」
「……はいはい。私としては、梅原さんと一緒にいたいと言うだけで、院どころかドクターにまで進学しようという綾さんの方がよっぽど脱帽ですが」
「羨ましいか」
「もういいです……」
溜息交じりに、穂ちゃんはちびっと酎ハイに口を付けた。
「何にせよ、お二人が変わらず平和そうで何よりです……」