最悪の黒-045_傭兵ギルド長
傭兵ギルド本部は王都西部の鍛冶屋や細工師、加工場が軒を連ねる工房街の入り口にあり、その区画で最も大きく、また大仰な造りの建築物だった。
王都を流れる運河が水濠のようにぐるりと取り囲み、その内側に沿うように高い壁が反り立っている。進入路は濠に架けられた吊り橋のみで、そこを渡ると王都に入る際に潜った時と同等かそれ以上に大きな門が出迎えた。そこを通ってようやく、内部の巨大な石造りの建築構造物へと辿り着く。
「つーか、まんま城じゃねえか」
「で、ですね」
巨大な王城を中心として栄える王都の中に別に城があるというのも妙な感覚だ。
しかも王家が住み権威を示すために建てる煌びやかなものではなく、戦の際に主君を守るため籠城を前提とした堅牢さに重きを置いたな城だ。幾重幾年にかけて補強され供されてきた様相はさながら古の城砦を髣髴とさせ、年期も相まって、華やかな王都の中で場違いなほど圧倒的な威圧感を放っている。
「えーと、昔々ここが王都になる前からあった古城を改築して使ってるそうですよ」
「なるほど、城跡をそのまま使ってるのか。つーことは築五千年かよ、とんでもねえな」
観光地としても取り上げられているらしく、パンフレットを読み上げたリリィにハクロは呆れる。
年代だけ見たら某王墓クラスの歴史的建築物である。実際は何十年かに一度改築と補強を繰り返しているため原型など皆無に等しいだろうが、それでも数千年の時を経てもなおこの地に在り続けているというのは瞠目に値する。
「ハクロCランク傭兵ですね。お待ちしておりました」
正面受付という名の城門から馬車を誘導をしていたギルド職員にタマと馬車を預け、その名に怪訝な表情をされるといういつもの手続きワンセットを済ませると、本部からギルド職員の制服を纏った老齢のエルフがハクロたちの元へと近付いてきた。
几帳面に背筋を立て、眼鏡の奥に感情の読み取りにくい冷たい瞳を押し込んだ彼を見て、ひくりとハクロは頬が引きつるのを感じた。
「ハクロさん、なんだかロックさんとジャンヌさんを思い出すんですけど……」
リリィも気付いたのか、ちょいちょいとハクロのシャツの裾を引っ張る。
すると老エルフはぴしりと華麗な角度で礼をした。
「私はギルド長補佐をしておりますサンセット・ブランシュと申します。お二人がフロア支部のロックとカナル支部のジャンヌのことを申しているのであれば、二人は私の孫に当たります」
「ブランシュ家って実は傭兵ギルドを裏で牛耳ってんじゃねえの?」
カナル支部で支部長の尻を蹴り飛ばしていたジャンヌに加え、フロア村でも細々とした事務作業はロックが率先して動いていた。彼らが兄妹で、さらに祖父がギルド長補佐となればそんな邪推が浮かばない方がおかしい。
しかし当然ながらサンセットは「滅相もない」と几帳面に低頭しながら否定した。
「確かに私は長く傭兵ギルドでギルド長の補佐を務めてまいりましたが、人事において身内贔屓をしたことは一度もございません。あの二人が現在の地位にいるのは彼らの日々の研鑽によるものです」
「そ、そうか」
「それではこちらへどうぞ。メル嬢もどうぞご一緒に」
「あ、はい!」
サンセットに案内され、二人はギルド本部への扉を潜る。
本部内部は構造的にはカナルや道中に立ち寄った村々の支部とそう変わらず、入ってすぐに酒場を兼ねたロビーが展開されていた。正面の壁一面に依頼が記された書類が張り出され、その両サイドに依頼関係の受付が設けられている。
ただしその規模が桁違いであり、ロビーの広さだけならばカナル支部全体の敷地面積に匹敵した。さらに壁や天井の意匠は煌びやかさは抑えつつ、来訪者の襟を自然と正させるような威厳と威圧が感じられる。当然、石畳の床は清掃が行き届いており、靴底を引っ張る感触はおろか土足にもかかわらず泥一つ落ちていない。
「ギルド長室は三階にございます」
サンセットに続いて階段を上る。流石に階段は木造だったが、踏むとギシリと音が鳴った。
「…………」
先を行くサンセットは足音一つ立てていない。
なるほど鴬張りか、と頷く。そして目の前の老エルフもただの事務取扱補佐ではなさそうだな、とハクロは足裏を意識しながら歩みを進めた。
「結構」
「はい?」
踊り場で一度サンセットが振り返り、間違い探しレベルの微笑を浮かべて再び階段を上る。リリィは気付いておらずギシギシと足音を立て続けるが、まあ傭兵ではないのだから構わないだろう。
そのまましばらく階段と廊下を進み、とある一室の前で立ち止まった。
「こちらです」
そのまま小さくノックをし、サンセットは「お連れしました」と扉を挟んで申し付けると間を置かず返事があった。
「入ってくれ」
「失礼します」
サンセットが扉を開け放ち、二人を恭しく迎え入れる。それをハクロは億劫そうに、リリィは緊張の面持ちで中へと足を踏み入れた。
「君が噂のハクロ君だね」
入るや否や、声がかかる。
ギルド長室には恐らくは実践向きではないのだろう観賞用の豪奢な武具や鎧が下劣に見えない程度に置かれていた。しかしそれよりも多く置かれ目を見張るのは、整理した者の几帳面さが伺える書類や魔術書が隙間なく敷き詰められた書架だった。
その部屋の奥の大きな執務机に腰かけ、二人を出迎えたのは金色の鬣が雄々しく逆立つ獅子顔の獣人だった。
「私が今代の傭兵ギルドを取り仕切っているロアー・スヴェトラーノフだ」
「……どーも」
ぶっきらぼうにそう返しつつ、ハクロはギルド長――ロアーに対しどう出るべきかいまいち掴みかねていた。
一般的に獣人族は獣の体構造が多いほど勇猛で、人の体構造――この場合はエルフ――が多いほど理知的である傾向にあるという。
そして目の前の獣人の男は鼻の先から指に至るまで金色の獅子の如き様相であり、年期の入った軍服のようなマントを羽織り、二足歩行する生き物と同じ姿勢で椅子に腰かけていなければ猛獣と変わらないほど「獣」が強い。
しかしながら卓に肘をつき、ゆったりとした微笑みを浮かべているその所作は洗練されており、猛々しさよりも麗美という印象が強かった。
「二人とも座ってくれ。そして楽にしてくれて構わない。サンセット、茶を頼む」
「畏まりました」
そして彼を補佐する立場にあるというサンセットもまた優美に礼を返し、茶の用意のため一度ギルド長室を後にした。
「さて」
ロアーに促され、ハクロとリリィは応接テーブルのソファへと腰かける。
「カナル支部のアイビーから話は聞いているよ。フロア地区で無法を働いていた当ギルドの傭兵団を一掃し、さらに正式加入後間もなく突発魔群侵攻を単身鎮圧した有望な新人がいると」
「…………」
「本来ならば流れ者である君の正式加入は本部で判断するべきところだったが、まあそれについては君の戦果を考えたら些細なことだ。アイビーに少しばかり注意する程度で構わないだろう」
「そーかい。ギルド証剥奪もあり得るかと思っていたから安心だ」
「は、ハクロさん……!」
ギルド長相手にもいつもの口調を崩さないハクロにリリィが恐る恐る肘を突くが、当のロアーは全く気にする出でもなく「構わないよ」と微笑んだ。
「別に畏まる必要はない。我々は王陛下の元に皆平等なのだから。ギルド長の役職は陛下の采配を滞りなく染み渡らせるための肩書に過ぎない」
「だ、そーだ」
「むむぅ……」
「まあもっとも、肩書には相応の力が求められるし、その逆もまた然りだろうが」
ロアーはそこで言葉を区切る。それを見計らったようにノックの音が聞こえ、その向こうからサンセットが「お持ちしました」と声がかかる。招き入れると、サンセットが紅茶のセットと茶菓子を載せたワゴンを押しながら入ってきた。そしてそのまま慣れた手つきでカップに紅茶が注がれ、三人の前に並べられた。
「さあ、遠慮せず飲んでくれ。サンセットの淹れる茶は傭兵ギルドの自慢の一つなんだ」
「恐れ入ります」
几帳面な角度で礼をし、サンセットはワゴンを押して部屋を後にする。それを見送りながらロアーが一口紅茶を傾け、それにハクロとリリィも続く。
ふわりと豊かな茶葉の香りが熱すぎず温すぎない適温によって口いっぱいに広がった。渋みも適度に入れられたミルクによって包み込まれており、ほんのりとまろやかに感じる程度の砂糖の具合も心地好い。
「確かに、美味い」
「ふふ、そうだろう」
「……あふぅ」
ここに至るまでずっと緊張の面持ちでいたリリィもふわりと尻尾が動きかけた。ここがギルド長室でなければぶんぶんと振り回していただろう。
「さて、なんだったか」
カップをソーサーに戻し、ロアーがわざとらしく話を戻す。
確かに紅茶は美味いが、わざわざハクロに本題を切り出させるやり方にもう一つ警戒が積み上がった。
「力には相応の肩書を、って話だ」
「ああ、そうだったね」
微笑み、ロアーは両の掌を明かすように腕を広げた。
「ハクロ君。君ほどの実力者が僅か二月弱前まで全くの無名で流れ者として生きてきた、という話の如何はこの際問うまい。僧侶ギルドに問い合わせても『ハクロ』という名のエルフ系種族で黒髪の青年は存在しないと返答があったことも、まあ些細なことだ」
「…………」
僧侶ギルドは冠婚葬祭といった行事を取り仕切るほか、戸籍の管理や陳情整理などの役場のような役割を持つ。またよっぽど後ろめたい出自でない限り、出生と同時に戸籍登録を行うのが普通だ。それが為されなかった者は流れ者として人里にも立ち寄れず魔物のはびこる世界のどこかで生き抜くか、運が良ければ盗賊ギルドに拾われ名もない手駒として使い潰されるか、どちらかだ。
ハクロのように大手を振って手柄を立て、光差す表社会に取り入られるなど滅多にない。
だが滅多にないが、ないこともない。
「アイビーは君の不明瞭な出自を気遣い、私の目から遠ざけつつ着実かつ穏便に傭兵としての地位を用意しようと企んでいたようだが、だがしかし、力ある者は否応なしに相応の舞台というものが用意されてしまうようだな」
「……そんな殊勝なこと考える珠かね、あいつが」
「君にそう悟らせなかったのなら、彼女の地位は当分不動だろう」
Aランクとはそういうものだよ、とロアーは小さく笑った。
「まあ先も言ったが、そのような前提などとりあえずはどうでもいいんだ、ハクロ君」
「ああ、そうだな。どうでもいい」
頷き、ハクロは紅茶を一口傾ける。
多少温度は下がったが、それでもその珠玉の味わいは不変だった。
「実力ある者には相応の肩書を――ハクロ君には今後、Aランク試験を前提とした依頼を優先して回してもらおうと思っている」





