最悪の黒-044_王都へ
「あー、ついに見えてきちまった……」
タマの手綱を握りながら、ハクロはげんなりと吐き出すように呟いた。
目の前に広がる盆地中央に犇めき合うように聳える塔のような建物の集合都市。その周囲には塔とは比べるべくもないが遠目から見てもしっかりとした頑丈な家屋が立ち並んでおり、この距離からでも人の動きが分かるほどの活気で満ちていた。
「やっと着きましたねー」
御者席からのぼやきを耳にし、荷台で学術書を読んでいたリリィが顔を出す。
「ハクロさんも年貢の納め時ですねー」
「クソがよお」
悪態を吐くハクロにリリィは苦笑を浮かべる。ここまでの道中で飽きるほど繰り返されてきたやり取りも、今日で終わりだ。
二人がカナルの街を発ってから一か月が経過していた。
「――刃に宿りし栄光を心に」
一週間、なんだかんだと行動を共にすることが多かったオセロットはただそう簡単に傭兵の挨拶を口にするだけで、特に感慨のようなものを匂わせることもなくハクロの出立を見送った。
どうせこれからハクロの名は様々な理由で聞こえてくるのは目に見えているため、そんなものはいらんだろう――そんな風に面白がっているのが垂れ下がった瞼の隙間から見て取れた。
「ちっ――盾に燈りし賞賛を背に」
だからハクロも悪態を吐くようにそう挨拶を返すだけでさっさと馬車に乗り込み、カナルの北側の関所から旅立った。
本来ならばカナルから王都までは馬車であっても20日ほどもあれば余裕をもって到着できる。にもかかわらずハクロは道中の集落や村に一つずつ丁寧に立ち寄り、傭兵ギルドの支部があれば依頼を受け、リリィに薬師としての仕事がないか確認するよう促し、だらだらと無用に旅費を食い潰しながら移動した。
無駄な足掻きであることは分かっている。
しかしそれでも面倒ごとに巻き込まれるのは望むところではない。
「もう諦めたらどうですか? それに案外悪い話じゃないかもしれませんよ?」
「俺がぶちのめした『明星の蠍』はBランク以上で発生する規約が鬱陶しくて盗賊ギルドにすり寄ったらしいぞ。そんなの、ぜってぇ面倒臭いの確定してんじゃねえか」
当然ながらBランク以上で得られる利権も大きいだろうが、相応の地位に在る者には相応の働きが必要だ。その逆も然りであり、実力に見合わないランクをうろうろされては後進に迷惑がかかる。
とは言え、必要があればいずれかの地位に就く気はあったものの、流石に今回は展開が急すぎる。きっかけがきっかけだけに仕方がないとは言え、こんなに早くギルド本部に目を付けられるのはハクロとしては不本意でしかない。
「医薬ギルドのリリィ・メル薬師です」
「……傭兵ギルド、ハクロCランク傭兵」
王都関所でそれぞれギルド証を衛兵に提示し、手続きをする。流石にカナルとは比べ物にならない厳正なチェックがかけられ、当然ながら問題になるようなものは一つも積んでいないため早々に解放された。
「王都へようこそ!」
にこりと微笑む衛兵。
彼らは職務に従い真っ当に出迎えの挨拶を口にしているだけなのだが、ハクロはそれすらも気に食わずに「けっ」と内心唾を吐き捨てる気持ちで手綱を握った。
「おー、おっきいですねー」
そんなハクロの内情を知ってか知らずか、リリィはきょろきょろと田舎者丸出しで家々や商業施設、さらに遠くに聳える塔のような王城に目を輝かせている。
「来たことあるんじゃねえのか」
「一回だけですよ。それにあの時は薬師の試験受けるためでしたし、緊張でちゃんと見て回れなかったので」
そう苦笑するリリィにハクロは肩を竦める。
確かに遠目からでも圧巻の大都市だったが、いざ中から見渡すとその規模に軽く眩暈を覚える。ハクロの生まれた街は地方都市ではあったが現代建築にのっとった大規模構造物群は見慣れたものだ。しかし王都はそれに匹敵するどころか軽く上回っている。特に塔がいくつも寄り合わさったような王城など、最も高い所は某赤い電波塔にすら届きそうに見えた。
さらに道一つとっても機能美にあふれている。馬車が余裕をもってすれ違えるだけの幅で四路線確保されており、両サイドには歩行者用の道との間に鉄格子が嵌められた排水路まで整備されていた。当然、路面は綺麗に磨かれた石畳であり、馬車に伝わる振動もごく僅かだ。
「臭いもほとんどないな。馬車が生活基盤なのにどうなってんだ」
異世界人と思われる賢者とやらが持ち込んだ衛生理念により、この世界の公衆衛生はハクロのいた世界にも引けを取らない高水準を保たれていた。トイレはよっぽど貧しい家でない限りどこにでもあり、中世で主流だったという窓から投棄など一切ない。風呂やシャワーが家にない者も公共浴場へ行けば格安で利用できるため、なんなら公共浴場がない地方の方が浴室の普及率は高いらしい。当然それらに要求される下水道もほぼほぼ配備し終わっているという。
それを実現しているのが科学に代わってやけに高度に発達している生活用魔導具なわけだが、どういうわけか移動に係る動力源は家畜が主体。カナルの街でも運搬用家畜や魔獣は一カ所にまとめて管理されるなど最大限配慮されてはいたが、それでも風が吹き抜ける時はほんのり獣臭さが漂っていたはずだ。
「聞いた話だと、王都には路上の馬車馬の排泄物を片付けるためだけのお掃除の職人がいるらしいですよ。さらに排水施設と公共畜舎はどこも浄化の魔導具が標準配備されてるらしいです。高価だし維持管理に専門知識が必要になるので地方までは普及してないんですけどね」
「至れり尽くせりかよ」
まあこの規模の人工都市ではそういった配慮を提供してもなおリターンが大きいのだろう。
王都の美しく洗練された造りは彼らによって支えられているのだ。
「それでハクロさん、宿はどうします? しばらく王都に滞在するなら多少高くてもしっかり目の宿を探しましょうか?」
何故か少し期待に満ちた表情で訊ねるリリィ。確かに今二人の貯蓄は潤沢が過ぎるほど潤沢であり、王都の格式高い宿に長期宿泊しても大したダメージにはならないだろう。今の懐事情であれば一人一部屋確保したうえでルームサービスが配されている宿だって手が届く。
「却下だ」
だがしかし、そんな提案を呑むつもりはない。
「そんなに長期間滞在するつもりはない。せっかくギルドの宿を使えるようになったんだからそっちに泊まるぞ」
「えー」
不満げに口を尖らせるリリィ。カナルの街では傭兵ギルドの宿泊場はやや治安に不安があったが、流石に王都のギルド宿は年頃の少女を放り込んでも問題ないだろう。そもそも散財する趣味もなく、わざわざ高い宿を二部屋取るのも面倒だ。
「つーわけで、このまま傭兵ギルドに行くぞ」
「はーい」
そう言って、ハクロは関所で無料で配られていた小冊子を頼りに馬車の進行方向を切った。





