最悪の黒-040_魔物
術式により身体能力を高め、日暮れの視界が暗くなり始めた街道を駆ける。両脇は高低差の少ないなだらかな草原となっており、その中にトウモロコシを植えている農場がちらほらと見受けられる。食用か加工用か、飼料用かは分からないが、葉の根元から収穫を控え太くなってきた実が顔を覗かせていた。
「この世界の蒸留酒、美味いんだよなあ」
別にカナル支部の酒場で出されている酒がこの農場のトウモロコシを使っているかは知らない。それでもその味わいはハクロが元居た世界と変わらない、なんならこっちの世界の方が好みにすら感じる。
その技術が異世界からもたらされた物か、この世界で辿り着いた生成方法なのかは、ひとまずどうでもいい。
人の生活圏の拡大による獣害の増加の如何を論じるつもりは毛頭ないが、少なくとも、突然湧き上がって被害をばら撒くような魔物にくれてやる慈悲はない。
「異世界人の手が入っていないところが残ってるかも不明。そもそもいつかは去る世界だ」
多少暴れまわって「役割」持ちに目を付けられるくらいが調度良いかと吹っ切れる。
しばらく駆けると、整備された街道を踏み荒らすように移動する魔物の群れが視認できる距離まで近付いてきた。
魔獣と魔物はこの世界でもしばし混合されがちだが、厳密には異なるものだというのを傭兵ギルドの依頼を受けているうちに学んだ。
魔獣とは、魔術を使用する生物の総称である。この場合の「魔術」とは複雑な術式の構築から単純な魔力放出による自衛まで含まれるため、乱暴な言い方をすれば「人」も魔獣の一種である。なお、豚や牛等の家畜の大半は魔力を扱う力がないため「動物」、魔力を使って虫を集める食虫植物は「魔獣」だ。
一方魔物とは、魔力のみで肉体を構成した生命の総称である。
基本的には知性はなく、生殖器官も存在しない。口はあってもあくまで攻撃手段にすぎず、喉の奥には消化器官すらない。その代わり周囲の魔力を一定数喰らい体内の魔力密度を高めると、眷属と呼ばれる仔個体に似た同種生命を生み出す。また魔力が凝縮して生まれた生命体であるがゆえに治癒速度がとてつもなく早くタフである一方、身体に致命的な損傷を受けると体構造を維持できなくなり、魔力が霧散するため死骸は残らない。
ただし息絶えるまでに魔力を籠めた武具で焼き切るように部位を切断するとその箇所は霧散せずに残存する。それが討伐の証であり、職人ギルドや商人ギルドが喉から手が出るほど欲する希少素材となる。
そして厄介なのが、魔物は稀に地形に水溜まりのように滞留した魔力に何らかの刺激が加わることで大量発生することがある。
その原因は千差万別で、例えば落雷や大雨などの災害による地形の崩壊だったり、別の魔物がたまたま通過しただけだったり、付近で魔術が使用されただけだったりと、多岐にわたる。
地形的に魔力が溜まりやすい区画は定期的に傭兵や衛兵、時には騎士団などが見回り、基本的には区域内への立ち入りは禁じられている。
この数日、カナル付近で大きな災害の報告はない。そのため今回の突発魔群侵攻は外的要因による発生だと考えられる。
「魔力溜まりを刺激するような個体が通過したか、どっかの馬鹿がドンパチやったかは知らねえが」
とりあえずは、群れの侵攻からカナルの街を防衛するのが最優先だ。
「――抜刀、【ムメイ】十本」
魂の奥底まで深く染みついた術式を発動させる。
するとバチリと異音を放ちながら、ハクロの周囲に輪郭が所々曖昧な十振りの片刃の剣が浮かび上がった。
「なんだか久しぶりに使うな」
そう軽薄に笑いながら、魔力操作の応用で剣に触れずに手指のように操る。
目標は魔物の群れの先頭、体高2メートルに達しようかという巨大な猪だ。
刃は真っすぐに隆々とした肉厚な首筋に吸い込まれ――水に触れるかのように抵抗なく魔物を形成する中核器官を破壊した。
次の瞬間、刃が巨大化して後続の魔物が勢いのままに自分から突っ込み、両断される。
「……ッ」
刃を形成する術式を介し全身に大きな負荷として跳ね返る。
なんとなく予想はしていたがやはりか、とハクロは内心舌打ちしながら顔面に軽薄な笑みを張り付けた。
「この世界の魔物と俺の術式、相性が良すぎるな……!」
ハクロの振るう刃の術式とは大まかに、斬った物の魔力を吸い上げ、鋭さがさらに増すというものだ。
元居た世界ではこの世界より魔力が希薄であったため、対象の魔力を根こそぎ吸い尽くしてもさほど負担はなかった。しかしこの異様に魔力が濃い世界の、さらに魔力が凝り固まって生まれた魔物相手だと、術者に対する反動が比べ物にならない大きさになってしまっていた。
「……ッス、ふぅ……! 集中しろ」
無理に一本に魔力を集める必要はない。ほんの数頭分の魔物で容量がはち切れそうなら、分散させて数に変換すればいい。無論一本あたりに割ける操作リソースは落ちるが、数は力だ。
「……あいつはそういう戦い方が上手そうだったな」
らしくもない弱言が口からこぼれ出たが、それには気付かず、膨れ上がった一振りから魔力を再分配する。
「――抜刀、【ムメイ】百二十本……!」
肥大化した刃が散らされた雑魚の群れのように分かたれる。
これまで一度も踏み入れたことのない規模の術式制御に神経が焼き切れるかとも思ったが、不思議と負担自体はあまり変化がない。この世界の魔力濃度に肉体が慣れてきた結果か、精神性にも変化が起き始めているのかもしれない。
「……どうでもいいな!」
極端な話、ハクロがこの世界でどうなろうと、どうでもいいのだ。
目的を達し、元居た世界に帰り、「彼女」を開放さえできれば、それでいい。
そしてその指標はハクロの魂の奥底に根付き、文字通り眠り続けている。
「おぉおおおおおおおおおおっ!!」
吠えるように喉を涸らし、刃のように腕を振るう。
そのイメージが術式を通して刃へと伝わり、百二十本の刃が雨粒のように街道を駆ける魔物の群れへと降り注いだ。
「…………」
ハクロと魔物の群れの距離は数十メートル。ここまでの道中にいた雑多な魔物を巻き込みながら膨れ上がった群れはやはり倍ほどの数になっていたが、その全てが刃の雨に貫かれ、絶命した。
百本以上の刃を通して魔力が吸い上げられ、ハクロに負荷として返ってくる前に術式を解除し制御を手放す。すると行き場を失った魔力が衝撃波のような暴風を生み出し、周囲を一薙ぎにするように駆け抜けた。
「うおっ」
思わず目鼻を腕で覆う。流石に飛ばされるようなヘマはしないが、あまり褒められたやり方ではないなと自戒した。周囲に家屋の類がなくて良かったと胸を撫で下ろす。薄い窓くらいならば一枚残らず粉砕されていただろう。
「おおう、本当に一人で片付けおったか」
シャツに被った土埃を払い落としていると背後から声がかかった。
振り向くと、メイスを杖代わりにオセロットがえっちらおっちらと歩いてきたところだった。
「遅かったな」
「年寄りに速度を求めるでない若造」
「街を出るまではむしろ機敏な部類だっただろうが」
「もう歳だ。長くは続かんのだよ」
言いながらオセロットはわざとらしく膝や腰を手で擦って見せた。
ハクロは肩を竦め、「それにしても失敗だった」と街道に視線を戻す。
「何がだ?」
「急ぎだったから討伐の証を残す余裕がなかった。全部丸ごと吹き飛ばしちまった」
「ああ、それなら問題ない」
クツクツとオセロットは笑みを浮かべた。
「突発魔群侵攻対応に証は不要だ。本来ならば防衛に携わった者全員に報酬が振り分けられるが、まあ今回はほぼほぼ君の総取りだろうなあ。報告と足止めをした若い三人にいくらかと、同行した儂とあとは防壁を築いたアイビーにお気持ちが入る程度だろう」
「おっと、そいつは悪いな、独り占めしちまった」
「構わぬよ。儂は金に困っているわけではない。ギルドが辞めさせてくれぬ故、傭兵を続けているだけだ。それに――」
オセロットは顎を撫でながら、意味深に呟いた。
「突発魔群侵攻の単騎制圧はAランク傭兵では割と聞く話だ」
「…………。そうかい」
思わず視線を逸らす。
ある程度の地位は欲するところだが、あまりにも高いところに祀り上げられると身動きが取りにくくなるため勘弁してほしいというのが本音だった。いっそのこと上れるところまで駆け上り、奔放に振舞った方が楽だろうか。
「さて、帰るか。報告までが依頼だ」
「ああ」
踵を返すオセロットに続き、ハクロも歩を進める。
それと同時にフラリ、と足取りがもつれた。
「おっと?」
「うん?」
思わず前を歩くオセロットの大樹のような脚に手をつく。それでバランスを崩すことなどありえない体格差だが、珍しいハクロのふらつきにオセロットが怪訝そうに顔を覗き込んだ。
「どうした? どこか怪我をしたか、調子でも悪くしたか?」
「いや、これは……」
「そう言えば、顔色が赤いな」
「ああ、だからこれは多分」
オセロットから手を放し、両足の裏を意識して地面に立つ。しかしどうにも視界が回るような浮遊感で体幹が定まらず、足運びが思うようにいかない。
「うん、酔っ払っているな」
思えば、つい数分前までジャンヌ(と、ついでにアイビー)を交えて三人で浴びるように酒を飲んでいたのだ。その直後に全力で駆けて暴れ回れば、こうなる。
「…………。ふ、ふはははは!!」
オセロットは顔のしわが全て伸びる勢いで大笑いした。





