最悪の黒-038_誤解
ハクロとリリィがカナルの街に滞在して一週間が経った。
リリィは年若いがリリアーヌ仕込みの知識と狼人の嗅覚で症例に聡く、また明るい性格から患者から数日で慕われるようになり、本来流れの薬師が請け負う薬の調合だけでなく簡単な診察も任されるようになっていた。
一方ハクロはと言えば、こちらも流れ者がいきなりCランクを授かったとして一部で話題になり、やっかみ等の鬱陶しい絡みを受け――その全てを酒の飲み比べで捻じ伏せた。
明るいうちは日帰りで完了できる簡単な狩猟依頼をメインに受け、ギルドに戻ると跳ねっ返り共を酔い潰し酒代をせしめ、一部もぶれることのない足取りで宿へと帰る。それを連日のように繰り返しているうち、ついにハクロに突っかかる者は一人もいなくなった。
「来ると来るで鬱陶しかったが、酒代を自分で払わないといけないのが悲しいところだな」
「低ランク帯で君が何と呼ばれているか知っているかね? 『背の高いドワーフ』だそうだ」
クツクツと笑いながらオセロットはグラスの蒸留酒をぐいと飲み干す。それを見ながらハクロは「心外な」と肩を竦めた。
「それならあんたは『角のあるでかいドワーフ』だな」
「ふむ、その流れで行くと彼女は『髭なし女ドワーフ』かもしれん」
二人は視線をテーブルに着くもう一人へと向ける。
今日も今日とて大ジョッキのビールを喉の奥に流し込むジャンヌは几帳面に背筋を伸ばしており、その姿勢の美しさはもはや芸術の域に達していた。異様なほど強烈な猫背のオセロットとの対比が凄まじいことになっている。
「俺たちが言うのもなんだが、よく飲むなあ」
「私は元々飲める口です。肩を並べられる人が今までいなかっただけで」
「それは?」
今日は少し嗜好を変えてワインを注文していたハクロはグラスを揺らしながら、テーブルに突っ伏しなにやら「おふぇふぇふぇふぇ」と奇怪音を発している四人目を指さした。
「支部長は酒と酒席が好きなだけで酒には弱いので、眼中にありません」
今日は大変珍しく業務時間内に仕事を終えたアイビーが同席していた。しかし一杯目のビールを時間をかけて飲み終えたあたりで顔が赤くなり、二杯目の果実酒で呂律が怪しくなり、三杯目を注文しようとして完全に酔い潰れた。
「ところでハクロさん」
「ん?」
「連日連夜ここで飲んでいますが、貯蓄の方は大丈夫なんですか?」
「ああ、問題ない」
ワイングラスを揺らしながら軽薄な笑みを浮かべ、ハクロが答える。
「昨日までは俺に絡んできた馬鹿どもに払わせてたからただ飯ただ酒万歳だったし、滞在費はリリィの稼ぎで事足りる。オセロットが同行してくれるおかげでBランク依頼にも足を伸ばせて、リリィに小遣い渡せる程度の余裕すらある。安息日を挟んでもあと五日もあれば予定の金額に到達するはずだ」
「であれば私が口出しすることではありません。奥方が仕事で稼いだ分を旦那が吞み潰していないようでしたので安心しました」
「流石にそんなことはしな……なんだって?」
全く予想していなかった単語に、思わず聞き逃しかけた。
「奥方と旦那?」
「……? ハクロさんとリリィさんはご夫婦ではないのですか?」
「違うが?」
「儂は旅の道連れと聞いておるがのう」
「もしくは護衛と護衛対象」
「…………」
静かにジョッキをテーブルに置いたジャンヌが、心持ち、ほんの少し、眉を残念そうに落とした。
「流れ者のハクロさんがうら若き薬師のリリィさんと婚姻を結ぶため、身分を手に入れる旅をしているのではないのですか?」
「なんだそれ、どっから出てきた話だ」
「私の中から湧き出ました」
「じゃあ妄言だな」
ばっさりと切り捨てると、ジャンヌは「はああああああああ」と今日まで聞いたことのない溜息を吐いてテーブルに肘をつき、粗雑に足を組む。一瞬前までの芸術のような姿勢は微塵も残らず崩れ去った。
「やってられませんね」
「知らんがな」
「私の趣味は人間観察です。ロマンスの気配があればなお良いです」
「勝手に期待されても困る」
「お詫びに今日の飲食代はあなたの奢りです」
「なんでだよ」
ジャンヌの理不尽に思わず鼻を鳴らす。確かにリリィはハクロとの距離感が近いが、それは彼女がそういった知識が学術方面に偏りすぎていて、恥じらいの感情が恐ろしく希薄なのが原因だ。このままではいかんとハクロも悩んでいるが、どうしても男から教えられるにものは限界がある。
「どうすればいいと思う?」
酒の勢いで二人に相談するも、オセロットは「爺にはどうにもできんのう」と苦笑を浮かべるだけだった。
「若い女性向けの春画集でも買ってやればいいのではないですか?」
ジャンヌに至ってはこれである。
「誰が買うんだ、誰が」
「あなた以外に誰がいるのですか」
「絶対嫌だ」
あと買ったところで「変わった資料画ですね」と言われそうだ。
そんな酒の席特有の間延びした空気の中――
「……ッ!?」
突如テーブルから顔を上げたアイビーがこめかみに人差し指を突き立て、指先に浮かばせた魔法陣を叩き込んだ。
「なんだ?」
魔法陣は一瞬しか見えなかったが、さっきまで顔を赤くして言葉とは言えない音を発していたアイビーがしゃきんと――しゃきんと、気だるげな――表情を浮かべていることから、気付けや覚醒を強制的に付与する術式だと当たりをつける。
それを見たオセロットとジャンヌもまた各々グラスとジョッキを置き、正面扉の方に視線を向けた。
「ほ、報告!!」
数秒と間を置かず、バタンと大きな音を立てて扉が開かれる。
息も絶え絶えで飛び込んできたのは、見覚えのあるエルフの少年と猫顔の獣人の少女だった。
いつも三人組で行動していた彼らだったが、もう一人、エルフの少女の姿がない。
「突発魔群侵攻です!」





