最悪の黒-036_乾杯
「おう、来たのう」
二時間後。
ハクロの保険や口座新設などの商人ギルドに係る手続きを終わらせた後一度宿に戻り軽く身支度を整え、リリィが採取した薬草を医薬ギルドへ買い取ってもらうなど、細々とした所用を済ませてから傭兵ギルドへと戻ると、酒場として賑わい始めたロビーの一角に大柄な老人がジョッキを片手に腰かけていた。
一瞬それが誰か分からなかったが、途中で折れた左の角と異様に曲がった猫背に「まさか」と気付いた。
「……オセロットか?」
「それ以外の誰に見えるのだね?」
逆に怪訝そうな顔をされてしまい、横のリリィに視線を投げかける。するとすぐに気付いたリリィは椅子に腰かけながらハクロに種明かしをする。
「伸縮の魔術ですね。元々は大陸東部ラッセル湖のフェアリー族の街に入る時に使う魔術です。こういう大きな街で色んな人が出入りする施設の入り口には大抵掛けられてるんですよ。じゃないと、体が大きすぎる種族は入れませんからね」
「そういえば、君は流れ者だったか。儂らオーガ族は北部の山岳地帯から出る者はあまりおらんからのう。南部など、ないところには全くないと聞く」
「ああ、初めて見た」
「不便だのう」
苦笑しながらオセロットは手にしたジョッキを飲み干す。主催も主賓も揃っていないというのに既にだいぶ飲んでいるらしく、テーブルの上にはジョッキから滴る露の跡がいくつも残っていた。
「アイビーは?」
「あいつは未だにジャンヌに捕まっておるよ。まあもう暫くかかるだろうから先に初めて構わんだろう。何を飲むね」
「あんたと同じもの」
「私はリンゴジュースお願いします」
「ああ」
オセロットはひょいと手を挙げ、近くを通りかかったウェイトレスを呼び止める。
彼女をはじめとした給仕担当は傭兵ギルドで雇っているものの所属としては職人ギルドである。そのためこのような山賊の宴もかくやという喧騒の酒場であっても高い品格すら感じられる所作で注文を取ると厨房へと向かった。その先にいる料理人も同様だという。
なるほど、ある意味職人芸だとハクロは感心しながらその背を視線で追った。
「肴は適当に頼んでおいた。もうじき来るだろう」
そう言い終わるや否や、先ほどとは別のウェイトレスが注文したドリンクと一緒に何皿か簡単に摘まめる料理を持ってきた。ぶつ切りにされた魚の串焼き、一口サイズにカットされたステーキ、色とりどりの野菜のピクルスだった。
野菜のピクルスは若者に気を遣ったつもりか、それ以外は「ザ・傭兵」といった味が濃く、酒と一緒に食うのが前提なチョイスだった。もっとも、当のリリィはステーキに目が釘付けだったが。
「それでは、新たな傭兵の活躍を願って、乾杯」
「ああ、ありがとう。乾杯」
「かんぱーい!」
ハクロとオセロットがジョッキを、リリィがグラスを掲げる。
そしてぐいとジョッキの酒を一口含むと、芳醇な穀類の香りと香草の突き抜けるような苦み、そして穏やかな刺激の炭酸が喉を刺激した。味わいとしてはハクロの知る黒ビールに近いが、それよりもじっくりと味わう方向に特化しているように感じた。アルコールもやや強めで、ペース配分を誤ると失敗をするタイプの酒だった。
「……――ふぅ」
まあそんなこと関係なく一息に飲み干すのだが。
元々ハクロは隠れてこっそり人外用の酒を舐めるようなクソガキである。この程度のアルコールでは大した酔いもしない。
「いい飲みっぷりだのう」
にやりと笑みを浮かべたオセロットは気を良くしたのか、さらに追加の酒を通りかかったウェイトレスに注文する。薬師には「ちゃんとお水も飲んでください!」と苦言を呈されてしまったが。
「そちらのお嬢さんも遠慮せずに追加で頼みなさい、どうせ支部長の奢りだ」
「わあ、ありがとうございます!」
酒のつまみばかり並んで寂しいだろうと気を遣ったのか、オセロットがリリィにメニューを差し出す。
それを喜びで尻尾をふわりと揺らしながらリリィは受け取り、ついでにハクロも横から覗き込んだ。見ると、商人宿の時とは比べ物にならない品揃えだった。やはりある程度大きな街だと物流も潤沢で、出せる物も増えるのだろう。
「えへへ、それじゃあ私はトマトとベーコンのパスタにしよっと。ハクロさん、なにか気になるものはありますか?」
ちらりとリリィがハクロに視線を送る。
どうやらハクロの世界にもあった料理がないか気になるのだろう。卵かけご飯さえも克服した今のリリィであれば、この世界ではゲテモノ扱いされていた品も抵抗なく食べられるかもしれない。
「ふーん、そうだな」
ざっと見た限り、肉や野菜、麺類だけでなく海産物を使った品も多い。冷凍技術に関しては魔術を使えばハクロのいた世界よりもよっぽど手軽に輸送できるだろうから、鮮度も問題ないだろう。
「それじゃあ、ホシナマコのなますと、カゲイカの肝和え、ユキミタラのモツの香草醤漬け」
「ひぇっ!?」
「ほう!」
ハクロの選んだ品々にリリィは目を回し、オセロットは弛んだ目元をカッと見開き、追加でさらにアルコールの強い酒を注文した。
そしてリリィはあまりの生臭さに一口も手を付けることができず、一人でパスタの皿を大事に抱えながら食べていた。





