最悪の黒-033_山猫と蔦
その細身で片刃の剣を、リリィは覚えていた。
あの日、リリアーヌの好きな香草としても使えるアテルマという薬草を採取しに草原へと採取に出かけ、そして「明星の蠍」と呼ばれた盗賊崩れの傭兵に捕まった。
このままではどこぞに売り飛ばされてしまうと絶望しかけた時――ハクロが、現れた。
後になって、異世界からやってきた直後だったということを知ったが、囚われの身だったリリィをその一振りの剣で盗賊崩れを一掃し、助けてくれたのだった。
その時の剣はハクロと共にリリアーヌの診療所へと運び込んだが、いつの間にか消えていた。
それがまさか魔術で作られた物だったとは、今この瞬間、何もない空間から現れるのを目にするまで想像もしていなかった。
「ほう、見たことのない魔術だのう。流れ者の我流か、はたまた……いや、それはどうでもよいか。それよりも――」
岩の椅子に腰かけたまま、オセロットと呼ばれた老オーガが興味深そうに剣を眺める。
「随分と美しい刃だ。鍔も柄もないとは無骨が過ぎるが、いや、それもまた不完の美として刃がより際立っておる」
「随分と慧眼だな」
「芸術を嗜むのが老後の楽しみだったのでな」
しわの深い口元をゆっくりと持ち上げ笑みを浮かべ――よっこいせ、とオセロットは立ち上がった。
山が動いた。
そう錯覚するほどの存在感が放たれる。
立ち上がっても相変わらず猫背が酷く、ほとんど前かがみのような姿勢だが、それが余計に猛獣のような風格を醸し出していた。
「そしてその剣は美しさだけではないな? ああ、ああ、抜き放たれ、対峙するだけで奮い上がりそうだ」
「いいんだな? ――全力で」
「応とも。儂に全力を魅せてくれ」
ず、と柱のようなメイスが持ち上がる。
リリィの胴回りよりも太そうな巨大な鉄棍が地を離れ、オセロットの肩へと担がれた。
それと同時にハクロは剣を構え――ることはなく、だらりと弛緩したように腕ごとぶら下げる。
あまりにも無防備で、隙だらけ。
しかし否、とオセロットはメイスを握る手に力を籠めなおす。
あれこそがこの男の構えであり、全力なのだ。
先手必勝ではなく、後手確殺。
攻撃を誘い、受け止め、捌き、彼我を見極められない未熟者は何をされたか分からぬまま斬り捨てられる。
強者であれば出方を窺い、撤退すら選択肢に上げるだろう。
だがしかし――この試しの場においてはその誘いに乗るのが礼儀である。
「おぉおおおおおおおおおおッ!!」
獣のように吠え、メイスを振りかぶる。
ゴキゴキと背骨から異音が響き、背筋が真っすぐに伸びた。
背が丸まり、岩の椅子に腰かけてなおハクロよりも高い位置にあったその巨躯が真価を発揮する。
四メートル近くある背丈からさらに振り上げられ、民家の屋根よりも高い位置に持ち上げられた柱のような鉄の塊。それその物の重量と、オセロットの尋常ならざる腕力によって加速したメイスは真っすぐに振り下ろされ――
「そこまでー」
「「……ッ!?」」
突如地面から湧き上がるように生えてきた蔦に搦め捕られ、オセロットもハクロも、身動き一つ取れなくなった。ぎしりと軋ませながらメイスもまた宙に浮くように静止している。
「その一撃はちょっと看過できないかなー。こんな試験なんかで貴重な人材を失うわけにいかないしねー」
そう気だるげに二人に割り入ったのは、いつの間にかリリィの傍から離れていたアイビーだった。
「オセロットさーん、テンションあがりすぎー。ちょっと試すだけでいいんだってばー」
「むう……」
どこか気まずそうに視線を逸らし、オセロットはぶちぶちと蔦を引き千切りながらメイスを肩に担ぎ直す。そして再びどっこいしょ、と岩の椅子へと腰を下ろした。
背は丸まり、先ほどまでの強烈な猫背に戻った。
「…………」
それを見届けると、ハクロもまた器用に指先で剣を操り蔦を斬り捨て、拘束から自力で脱した。
「……当たり前のように二人とも私の魔術千切るじゃーん」
ぶう、と不服そうにアイビーは口を尖らせるが、ハクロは据わった視線を投げつける。
「支部長は事務取扱責任者に過ぎないんじゃなかったか?」
「それと私が戦えるかどうかは話が別でしょー?」
それはそうなのだが、とハクロは鼻を鳴らす。
どうやらとんだ食わせ者だったらしい。
「それで、試験結果は?」
「んー、そうだねー」
悩むポーズを取りながら、既に内心決めていたのだろうアイビーは笑いながら結果を告げた。
「とりま、Cランクでどーお?」
「何?」
一瞬、オセロットが顔を顰め口を挟みかけたが、それよりも早くアイビーが言葉を続ける。
「通常の見習いがEかFスタートだから、結構破格だよー?」
「ギルドの身分が保証されるならなんだっていい。受けられる依頼の選択肢が今より増えるならランクに拘らん」
「無欲だねー。まあでも、あんまり実力に見合わないランクでうろうろされると下の子たち困っちゃうから、気が向いたらまたランク試験を受けてねー」
「ああ」
頷くと、ぱん、とアイビーは手を叩いた。
「それじゃあこれで試験しゅーりょー、おっつおっつー。ギルド証の発行にちょっと時間かかるから、お昼ご飯食べてからまた来てねー。契約とか難しい話はその時にやるよー、説明は副支部長にお願いするけどー」
「働け支部長」
呆れ、溜息交じりに肩を竦めるハクロ。そして壁際でポカンとしていたリリィに声をかけると、彼女を連れて訓練場を後にした。
「……どういうつもりだ」
「んー?」
後に残されたアイビーにオセロットが話しかける。
「試験を止めたことー? だってあのままだったら、死んでたかもしれないじゃーん。オセロットさんが」
「それはどうでもよい。ああ、どうでもよいのだ。だがあの男がCランクだと? 馬鹿を言うな、どれだけ低く見積もってもB、なんならAでも問題ない」
「んー、実力的にはそうかもしれないけどー、さすがにいきなり高ランク帯スタートは危ないからねー」
言って、アイビーはあくまで気だるげに笑う。
「ぽっと出の流れ者の新人が、一般的な傭兵の最終目標ランクであるBをいきなり授かったら、色々と面倒なことになりそうだしねー。Aランクなんてもっての外だよー」
「それこそ面倒よのう。実力があるのだから相応の名を与えてやれば良いものを」
「本当はCだってちょっと怖いくらいだよー。でも彼くらいの実力でDにいられても困るというかー。なんにせよ、まずはコツコツ実績を積んでからだねー」
「そういうものかのう」
オセロットは組織の億劫さに溜息を吐き、肩に担いでいたメイスを地面へと下ろした。
その衝撃を足を通じて全身で感じながらアイビーが「それにしても」と笑った。
「オセロットさんの背筋が伸びたの、久々に見たなー。まだまだAランクでやっていけるんじゃない?」
「冗談だろう。儂は隠居先で娘婿と孫と一緒に子供向け陶芸教室を開いて、そのうちぽっくり死ぬのが夢なのだ。B+ランクでさえ荷が重いというのに、あんな魔獣よりも魔獣のような魑魅魍魎の巣に戻れるか」
「あ、ひどーい!」
あまりにもあんまりな〝山猫〟・ロウアンの物言いに、カナル支部長〝蔦の魔女〟・ラドクリフは不満げに口を尖らせた。





