隠れ家的
時系列:
「ひゃくものがたり」だいさんわ後
ある水曜日の昼休みの事である。
「ビッ グニュースよ……!」
「「「「……………………」」」」
いつもの三人組と机を並べてトランプで7並べをしていると、D組からわざわざ隈武がやってきてそう小声で囁いてきた。
「……何だよ隈武の。そういうリアクションは大声でしてこそだろ。何ださっきの変な間は」
「ちっちっち、分かってないね経! ビッグニュースはビッグニュースでも、大きな声では言えないビッグニュースなのよ!」
「だから何だよ」
「それはねー……あ、なに? 経、8で止めてんの?」
「言うなしバカ!」
「……なるほど。藤原が8を持っていたのか」
「ありがとう、隈武さん」
「あーもう!」
駒野が唯一で揃っていなかったハートの8のスペースにジョーカーカードを置き、強制的に彼の持っていたカードを出させる。これでようやくハートの9以降を出すことができるな。
「それで、隈武。一体どうしたのだ?」
「あーあー、もう、他人行儀だなー。宇井でいいわよ。わたしもハルって呼ぶし」
「む、そうか?」
香川が置いたハートの9の後ろにハートの10を置き、改めて宇井に訊ねる。
「あ、そうそう! 聞いてよビッグニュース!」
「……だから何だ」
駒野が鋭い目付きをさらに剣呑にする。ただでさえ悪い人相がさらに狂悪になったが、宇井は慣れているのか別段気にする風でもなく話を進める。
「いい? 大きな声ではいけないけれど……」
「小さな声では聞こえない」
彼が悔しそうにクローバーの3を置きながら茶々を入れる。
が、すぐに宇井の次の言葉でピタッと動きを止めた。
「明日、センダンが開くらしいわ」
「「「……っ!?」」」
いや、彼だけではなかった。
駒野と香川、巨漢コンビもまた彼同様にピタッと動きを止めて宇井の話に耳を傾けた。
「おい隈武の。それは、確かな情報か?」
「間違いないわ」
「……出所は」
「出版委員副委員長にして新聞部部長の3Nの吉川先輩」
「なるほど……しょうけらの吉川さんの情報なら間違いないね……」
「えっと……」
四人が盛り上がる中、私だけは付いて行けないのだが……?
「その、さっきから何の話をしているのだ? 皆盛り上がっているようだが……」
「……む。そうか」
「ハルさんは編入してきたから知らないんだよね」
「そうだな……あれは、留学してきたハルにこそ教えるべきことだろうな」
と、彼はうんうんと勝手に一人で頷いていた。
だから、あれって何。
「けど問題は、開くのが明日ってことよね」
「そうなんだよなあ……」
宇井の言葉に彼は表情を曇らせる。
「何でよりにもやって平日に……」
「ねー。どうする? やめとく?」
「バカ言え隈武の。行かないわけがないだろ」
「さっすが経! 分かってるじゃない」
「……だが授業はどうする」
「サボるしかないかな? 後ですっごい怒られそうだけど……」
「おやおや? 香川クン、君はまさか怖気づいたのかね?」
「まさか。おれも月波学園の生徒。センダンが開くっていうのに黙って見ているわけにはいかないよ」
「だからさっきから何なのだ!?」
センダン? の事はよく分からんが嫌な予感しかしないのだが……!
「じゃあメンバーはこの五人。明日の二時限目終了後に正面玄関に集合ね! あ、ハル。歩きやすい靴で来るようにね」
「いやだからそのセンダンって――」
「じゃあ、わたしそろそろ行くね! もう午後の授業始まるからトランプしまいなさいよ?」
「うーっす」
「ちょっと!?」
もう、一体何なんだ、センダンって……。
「本当に何なのだ、センダンって!?」
「しーっ! ハル! 声デカい!!」
翌日。
私はあれよあれよという間に三人組に教室から連れ出され、正面玄関で先に待っていた宇井と合流させられた。
「何で気がつけば私たちは山道を歩いているのだ!?」
「だから声デカいって!」
「……ここまでくれば大丈夫だと思うがな」
「でも演習林の技官さんがいないわけじゃないし、やっぱり静かに歩いた方がいいと思うよ?」
駒野が鼻を鳴らして嗅覚で周囲を警戒し、香川がその高い視点から辺りを見渡している。
そう、私たちは月波大学農学部付属演習林、通称裏山に真っ昼間から来ていた。
ここに来るのは春先のオリエンテーリング以来だが、相変わらず林道と言っても歩きにくい鬱蒼とした密林となっている。
そんな中、授業をサボって制服で登山をする生徒が五名ほど……。
「うぅっ……せっかくの無遅刻無欠席の記録が……」
「そんなもん、実質的にエスカレーター式で進学できるうちじゃあんま意味ないわよ」
「気概の問題だ!」
「気にしない気にしない!」
笑いながら肩を叩いてくる宇井。
これで碌でもないところに連れて行かれたら本当に怒るぞ……?
「ところで、一体どこまで行くんだ……?」
もうかれこれ三十分……いや、もすうぐ一時間経つのか? とにかく、それくらいは歩いている気がするのだが。
「うーん、もう少しのはずなんだけどなー」
「……結構距離があるからな」
宇井から歩きやすい靴で、と言われていたので、いつもの通学用のローファーではなくスニーカーを履いてきたのだが、それでも足首が少し痛くなってきた。歩けないほどではないのだが、少し辛いか?
「……………………」
「うん、よし」
と、彼が不意に立ち止まって頷いた。
「近道をしよう」
「……藤原、貴様オリエンテーリングでの失敗から何も学んでいないだろう」
「今度は失敗しないさ!」
「……その自信はどこからくる!」
「ちょっ!? 明良、声が大きいって!」
「相良も声大きいわよ静かにしなさい!」
「いや四人とも声が大きいと思うのだが……」
「こらー! そこ、誰かいるのか!? ここは大学の所有地だぞ!!」
「「「「「……………………」」」」」
遠くから聞こえてくる野太い声。
「まずい! 技官だ、ずらかるぞ!」
「了解!」
「ちょ、ちょっと待ってくれ! 急に走れな――なっ!?」
「はいちょっと失礼!」
フワッとした浮遊感。
気付けば私は、彼に抱きかかえられる形になっていた。
「ちょ、ちょっと……!?」
「我慢してくれ、足少し痛めて走れないんだろ?」
「……………………」
気付いていたのか……。
「んじゃ、行くか!」
「わ、ちょっ……!」
私を抱きかかえたまま山道を走り出す彼。
さすがは武闘派の妖怪……人化していても、外見からは想像できない凄まじい体力と筋力だな……。
「明良、肩乗せて!」
「……ち」
「舌打ち!?」
「……好きにしろ」
「そうする!」
横を見れば、並走する駒野の肩に宇井が飛び乗ったところだった。そして私たちの後ろを、あまり走るのは得意ではないが歩幅の広い香川が必死になって付いて来る。
「こらー! どこ行ったーっ!!」
遠くから聞こえてくる声をBGMに、私たちは林道を駆け抜けて行った。
「たっはー。疲れた!」
「あのオッチャン、しつこかったわねー」
「だな。十分くらい追いかけて来なかったか?」
ちょっとした滝になっている沢の近くでようやく立ち止まり、休憩とした。香川はすでに息絶え絶えで、宇井を担いできた駒野も息が荒い。
「君は平気なのか?」
「ん? 俺?」
ポケットから引っ張り出したハンカチを沢の水に浸し、絞って水けを除く彼。そのハンカチを持って私の所まで来た。
「まあ疲れてはいるけど、そこはほれ、妖怪のご都合主義的補正かかってっから。足出しな。一応冷やしとくから」
「あ、ああ……すまない」
スニーカーと靴下を脱ぎ、彼から受け取った濡ハンカチで足首を冷やす。沢の冷たい水で十分に冷やされていて、とても気持ちがいい。
「痛むようならそのまま縛っておいていいぞ」
「ああ、すまないがそうさせてもらうよ。これは明日、洗って返す」
「いーって別に、そこまでしなくて。そもそも俺らが無理やり連れ出したようなもんだしな」
苦笑しながら頭を掻く彼。
全く、自覚はあったのだな、無理やり連れだしたという。
「歩けるか? もう少しだけど、何なら負ぶって行こうか」
「い、いや。心配には及ばない。少し違和感があるだけだから、大丈夫だ」
「そうか?」
心配そうにしながらも、彼は立ち上がって歩き出す準備をする。
本当に……いつも無茶をするくせに、こういう時は優しいんだな……。
「さて」
「ん?」
私も立ち上がり、冷やしている方の足には靴下を履かずにスニーカーだけを履く。
「ここまで来たんだ。こうなったらとことん、そのセンダンとやらに付き合ってやる。それで、次はどこへ行けばいいのだ?」
「お? おう! とりあえず、林道に沿ってまっすぐ。しばらくすれば古臭い建物が見えるはずだから、そこが目的地だ」
「このペースなら、昼前には到着するわね。計画通り!」
「……ふん」
「楽しみだなー」
笑いながら立ち上がる宇井。駒野と香川も休憩を終えて歩く準備に入った。
そして鬱蒼と草木の茂った林道を歩くこと数分。
いっそ清々しい気分の中、歩くこと数分。
ようやく彼が言っていた通りの古い建物が見えてきた。
「えっと……何て書いてあるのだ?」
山小屋にも似た小さな建物。その入り口には『栴檀』の文字の書かれた看板が立てられている。
「センダンって読むのよ。花の名前ね」
「センダン……栴檀、か……。なるほどな……」
花の名前だったのか。
「しかし、暖簾が出てないな……まさかデマだったのか?」
「うーん、そんなことはないと思うけど……」
彼と宇井が話しながら扉に手をかける。するとそれだけで、スッと勝手に扉が開いた。
「開いてますよ? そんなところに立ってないで、さっさと入ったらどうです?」
「おわっ! 女将さん、いたんかい!」
「あら? その制服、高等部の方?」
中から顔を出したのは、棒に布のような何かを巻いた物を手にした、全身白ずくめの女性だった。白い着物に白い襷で袖を括り、白い前掛けを付けている。さらに幻想的な白髪を纏めている簪もまた、純白だった。
「高等部の子がこんな時間に来るなんて。もしかしてサボり?」
「へへっ、まあ、そんな感じっす」
「全くもう……お店を開くたびにこうサボる生徒が出るんじゃ、ろくに運営できないじゃない。理事長に怒られる」
「だったら定期営業すればいいじゃないっすか。ま、無理なのは知ってますけど」
「ん? あなた、前にもここに来たことがあるのかしら?」
「うっす。俺だけじゃなくて、ここにいる駒野と香川、それに隈武のも。中等部一年の時っすけど」
「うーん? ……あ、ひょっとして、あの悪ガキ三人組? わあ、大きくなったわね! どうやら外見だけみたいだけど!」
「酷いなおい!?」
「それに何? 今度は留学生さんも巻き添えにしたの? 確かあの時も編入してきたばかりの香川君を巻き添えにして、本当に節操なしね、君ら。あの時も授業サボって来たのよね? ものすごい先生に怒られたって聞いたけど、本当に反省しないわね」
「……女将も相変わらずだな」
「うーん、懐かしいわね、この悪口の嵐……」
「あははは……」
苦虫を噛み潰したような表情の駒野と苦笑する宇井と香川。どうやらこの四人は前科持ちだったようで、白い美女も呆れきっている。
「まあいいわ。ここまで来ちゃったんだし、どうせならお腹一杯食べて行きなさい。どうせこの後説教タイムなんだから、それに備えなさいな」
「「「「はーい」」」」
「え? お腹一杯……?」
ここ、食べ物を出す店だったのか?
「あら? 留学生さん、知らないで連れてこられたの? 全くもう……よっと」
言って、手にした棒に布を巻いた何かを入り口の上にかけた。
そこには、『栴檀食堂』の文字が。
「ようこそ、わざわざ栴檀食堂においで下さいましてありがとうございます。ゆっくり食べて行ってくださいね」
「ここは元々、演習林の木の伐採とか、整備とかで奥地まで来るときに技官さんたちがお昼ご飯を食べる時に使っていた食堂だったんだって。そんな理由で作られた食堂だから、不定期開店なのよ」
「もっとも、今じゃこの通り荒れ山同然だからな。整備も滅多に入らないし、不定期開店がさらに間隔が開いちゃって、幻の食堂なんて言われてんだ」
食堂らしく券売機で食券を買い、氷室と名乗った店主に手渡しした。川魚の天ぷらとざるそばのセットで、値段は七百円と普通の食堂のメニューよりはるかに高かったが、皆に勧められてそれにすることにした。
「でも何ぜわざわざ授業をサボってまで? ここの食堂が不定期開店で珍しいってことは分かったが……」
「……まあ、珍しいだけではこんな山奥までは来ない」
「それもそうだね」
駒野が呟き、それに苦笑しながら香川が相槌を打つ。
「それではなぜ?」
「まあそれは食べてから考えてね、留学生さん。はい、川魚の天ぷらとざるそばお待ちどう」
「あ、どうも、氷室さん」
「氷室さんなんてよしてくださいな。私はただの食堂のおばちゃんだよ。こんな山奥で店を出してるから女将さんなんて呼ばれてるけどね」
ちょうどタイミングよく氷室さん……ではなく、女将さんが料理を持って来てくれた。
「すごい……」
「ところで留学生さん、箸使える? フォークもあるけど?」
「あ、お構いなく」
「そうかい? まあ日本語綺麗だし、大丈夫そうね」
下宿で夕飯のおかずとして何度か天ぷらが出た時があったが、この天ぷらは別のベクトルでとても美味しそうだ……。何というか、美しい。これぞ和食、という感じだ。
「はいはい、どんどん行くわよ」
そして次々に残る四人分のメニューをテーブルに並べる女将さん。
「えへへ、わたしは山菜の天ぷらうどん♪」
「俺は川魚の天丼! これが一番美味いって先輩連中も言ってたぜ?」
「……シカ肉の焼き肉丼。大盛り」
「おれはイノシシ。一回食べてみたかったんだー」
四人の料理も、どれも目移りしそうなほど見た目からして美味しそうだった。
「んじゃ、全員揃ったところで! 頂きます!」
「「「「頂きます!」」」」
「はい、お上がりなさいな」
まずは天ぷらを一口。天つゆに少しだけ浸して、と……。
サクッ!
「……っ!?」
つ、次はおそばを……!
どうにも麺類を啜るのは苦手だけど、頑張って……。
ズ、ズッ……。
「……っ!!」
こ、これは……!?
「……はっ!?」
気付けば食べ終わっていた。
天カス一つ残っていないし、おそばの汁まで飲み干してしまっていた。
そして口の中に広がる、何とも言えない至福の名残。
「はぁ……美味かった」
「もう最高……」
「満足だね……」
「……うむ」
彼も宇井も香川も、駒野までも満足げに微笑んでいる。皆汁一滴、ご飯粒一つ残すことなく平らげている。
「はいはい、お粗末様。皆一心不乱に食べてたわねー」
「うっす。だって言葉にできないくらい美味いもんな! こんな山奥まで来て食う甲斐があるってもんさ」
「うーん、何て言うのかな? 時間が飛ぶ美味しさ?」
「お、言い得て妙」
確かに、一生懸命食べ過ぎて時間が飛んだような感覚だった。そして美味しいという記憶は残っているのだが、どのように美味しかったかという記憶はほとんどないこの悲しさ……。
「そう言えば俺たちも最初に来た時は美味すぎて記憶飛んだな」
「……今回は、前よりは味わえた」
「うーん、ようやくこの美味しさを楽しむ余裕ができたって感じ?」
「そんな感じ」
ワイワイと意見し合う四人。そうか、もう一度来なければしっかりと味わうことができないのか……。
「それなら、また来ないといけないな」
「お。ハル、分かってるねー!」
「また来ようね!」
「来てもいいけど若人よ、あんまり授業をサボるんじゃないよ?」
「……それなら休日に開いてもらいたいものだが」
「私の都合によって開いてるからね。それは運次第ね」
「経って運悪いから、なかなか休日開店に巡り合えない気がする」
「んだと香川!?」
「はいはい止めなさい、デカい図体して子供なんだから」
「へーい」
「すみません……」
二人のじゃれ合いに仲裁する女将さん。その光景が何だかすごく板についていて、私は何だか自然と笑みが零れた。
本当に……たまに無茶苦茶なことをしてくれる四人だけど、愉快な奴らだよ、全く。
たまにはこんな日があってもいいのかもしれないな。
「それでは、縁があったら、またのご来店を」
食堂を出て、学園に説教されに戻る私たちを笑顔で見送る女将さん。
暖かな木漏れ日の指す山の中、私はふっと空を見上げて呟いた。
「本当、平和だな」