最悪の黒-029_受付嬢
中に入って最初に耳に届いたのは、男たちの腹の底から響くような笑い声、それから酒の入ったジョッキをぶつけ合う音だった。
ハクロのいた世界の大衆居酒屋もかくやという喧騒が正面ロビーに満ち満ちていた。
傭兵はその日暮らしで街から街へと渡り歩く者が多いらしい。依頼があればその地へ赴き、金を受け取り酒と飯を食らい、また次の依頼を求めて旅に出る。そのため、ある程度大きい街の傭兵ギルド支部は酒場や宿が併設されていることもあるという。カナル支部もその典型例のようだった。
本来ならば、商人ギルドのギルド員ならば無償で中継集落の宿を利用できたように、傭兵であればここの宿にタダで止まることができた。しかしハクロは正式な傭兵ではないし、そもそも荒れくれ者が多い傭兵共の宿にリリィを泊めることに抵抗があったため、端から選択肢になかった。
「左側が完了受付だったな」
酒と何かの脂で靴底が引っ張られるのを感じながら、受付の奥でぼんやりと書類を整理している制服らしきワンピース姿のエルフの受付嬢へと声をかけた。
「依頼の完了手続きはここでいいか?」
「ん? あー、はいはーい」
ぷっくりとした色気のある厚い唇から気だるげな溜息を吐きながら顔を上げる。そして「ん」と何か言うでもなく手を差し出してきたため、そのやる気のなさに苦笑しながらハクロは推薦状を手渡した。
それを見て、受付嬢は怪訝そうに眉を顰める。
「……ギルド証はー? 紛失ですかー?」
「正式な発行もまだの見習いだよ。それはフロア支部からの推薦状。フロア村のロックから荷物を預かってる」
「はあ」
予想はしていたが、ハクロくらいの年頃で見習い未満というのはまずいないのだろう。怪訝そうに差し出された推薦状の封を切り、中身を確認して、億劫そうに口を尖らせながら荷物を受け取った。
「ああ、いつものこれかー。ロックさん本当にマメだなあ、定期報告なんて年に一回まとめて送ればいいのにー」
カウンターの引き出しから鍵束を取り出し、その中の一本で荷物に掛かっていた鍵を開ける。
中身はきっちりと紐で綴られた紙束で、この世界の文字を学び始めたばかりのハクロから見ても随分と几帳面な書体で「5024年5月期報告書」と書かれていた。
「はいはい、受領しましたよーっと」
パラパラと中身を確認し、トンと適当に拍子に判を押す。
そして鍵束を引き出しに戻すと、数枚の銀貨と紙切れを取り出してサラサラとペンを走らせた。
流石に何と書かれているか読めなかったので、翻訳魔導具の視覚情報機能をオンにすると、どうやら依頼完了に関する簡易的な証明書のようだった。
「はいどーぞ。ギルド証が正式発効されたら受付に渡してくださいー。見習い時の実績も反映されるんで」
「はいよ。ついでに一個聞いていいか」
「……なんですかー?」
証明書と報酬の銀貨を受け取りながら聞くと、受付嬢は面倒くさそうに顎を手の甲の上に置きながら溜息を吐いた。
「今の見習いの状態で受けられる依頼ってあるか?」
「……そこの掲示板のFランク依頼なら受けれますよー。報酬は時給銅貨10枚前後ですけどー」
ちらりと掲示板に目をやると、街の掃除や職人ギルドと商人ギルドの荷渡しの補助などの極々簡単な内容ばかりだ。そして物価としては銅貨一枚でトースト用の白パンが二枚か三枚買える程度であるため、ハクロのいた世界のアルバイト程度の報酬のようだ。
依頼の内容に選り好みするつもりはないが、拘束時間とこの街の滞在費用を考えると少々心許ない。これから王都まで向かう路銀を貯蓄したいためもう少し割の良い依頼を選びたいところだが、こればかりはどうしようもないか。
「はあ、諦めて小銭を稼ぐか」
リリィの貯蓄と、彼女が採取した薬草がどれくらいで引き取ってもらえるか分からないが、数日の足止めは覚悟しなければならなそうだ。
と、ハクロの嘆きをぼんやりと眺めていた受付嬢が「というかー」と口を挟んだ。
「ここでギルド証発行すれば良くなーい? そうすればEランク以上の依頼受けられるし。推薦状も見た限り、あんた結構やるんじゃーん?」
「ロックには、流れ者の俺だと王都でしか登録できないって言われたぞ」
「あー、ロックさん真面目だからー。ま、フツーはそうなんだけどー。でもいいよー、ここでランク試験受けて発行してもー。ちょうど試験官やってくれそうな人いるしー。今日はもう時間ないから、明日になるけどー」
「……受付がそんなこと決めていいのか?」
「んー? あー……」
気だるげな様子で首を傾げると、受付嬢は面倒くさそうに「あれどこやったかなー?」とぼやきながら引き出しの中を漁った。しわくちゃになった報告書らしき書類や表紙にシミのできた何かの書籍など、どうやって収納されていたのか分からない物々がカウンターに積み上がっていく。
そしてようやくお目当ての物が見つかったらしく、受付嬢は「あ、これこれ」と顔を上げた。
「どーもー。改めまして、カナル支部の支部長、アイビー・ラドクリフでーす。しくよろー」
制服の胸元に木彫りの名札を押し当て、彼女は気だるげな笑みを浮かべた。





