最悪の黒-025_暦と歴史
話を戻し、髭エルフの事はとりあえず放り投げておいて、暦について続ける。
「一年が12か月であるとした根拠はあるのか?」
「んーと、ちょっと待っててください」
一言断り、リリィは先ほどまで読んでいた学術書を手繰り寄せてページを捲った。
ハクロも横から覗き込んだが、視覚情報の翻訳機能を切ったままでは流石にまだ読むことは難しい――というか、どうにもこれはある種の魔術書に近い構造のようだった。
ただ文字を連ねて書き記した文献とは違い、特定の魔力と術式で構築された書物。そうすることで情報を圧縮し、ごく短い単語で何倍もの意味を付与させている。例えば「ある晴れた日の午後の事だった」という言葉を、この世界の文字で魔術書として圧縮して記すと「SHLY」と四文字で済む。
当然ながらその解読には専門知識と魔力操作の技能が必要になるわけだが、この魔術書自体は一般庶民でも手が出せて、かつその気になればよっぽど学がない者でなければ解読可能な程度の難易度らしい。ハクロのいた世界で言うところの大型書店の専門書コーナーにある小難しい本程度の扱いと理解した。
ちなみに、今リリィが手にしている魔術書はいわゆる「百科事典」であった。深い知識を得るには少々心許ないが、広く様々な知見を得るには十分な一冊ということで、魔術ギルドの見習い魔術師なら誰もが一度は頼ったことがあるベストセラーなのだそうだ。
「ああ、ありました」
学術書を捲ってお目当てのページに辿り着いたリリィは顔を上げた。ほらここ、というように学術書を開いて見せてきたのは、村で子供たちに勉強を教えていた時の癖だろうか。見せられても何が書いてあるか分からないが、とりあえず好意だけは受け取って苦笑交じりに視線を落とす。
「親子月の子供の方、エルノアの満ち欠けが12回でおおよそ一年だからだそうです」
この世界には目視可能な衛星が二つある。そのうちの小さい方はエルノアというらしい。
「ちなみに、でかいの方の月の満ち欠けは年に何回だ?」
「親の方、つまりレーラは9回ですね」
「なるほどな」
大きい方の月ではなく、わざわざ小さい方を基準にしたということは、暦を設定したのもまた異世界人である可能性が高い。12か月の方が馴染みが深いのだから。
「……なんというか、俺のいた世界の知識が浸透しすぎていて薄気味悪いな」
思わずそう独り言ちる。
国を跨げば文化や常識が異なるというのは当然ありえることで、逆に全く異なる地域で似たような文明が同時期に起こるということもままある。人類が火を使い始めた時代なんかもそうだと考えられている。
しかしこの世界に関して言えば、どうにも元からあった文明にハクロの世界の知識を多分に混ぜ込み整えたような居心地の悪さがある。それもかつて異世界人がこの地にやってきたということがほぼ確定しているのだから、なおさらだ。
そんなことを今この時代を訪れているハクロが言ってもどうしようもないのだが。
「他に何かありますか?」
「そうだな。小さな暦……週という概念はあるか?」
「ええ、ありますよ」
とんとんと砂の表面を整え、リリィがその上に書き記していく。
「週、つまり7日で区切られた周期ですね」
「…………」
もはや、何も言うまい。
七つの天体が存在しないのに七曜一週間をどのように根付かせたのか、興味すら出てきた。
「そもそも暦とは祭事を司る僧侶ギルドの管轄なんですけど、曜日もまた僧侶ギルドに遺されている七人の賢者にあやかっているとのことです」
エルフの賢者――光により法と信仰を整えた聖女リディア。
ドワーフの賢者――炎により道具と発展を整えた鍛冶師レオン。
オーガの賢者――水により薬と安息を整えた癒し手エミリア。
ホビットの賢者――地により経済と盤石を整えた商人セロ。
フェアリーの賢者――風により叡智と自由を整えた魔術師マグリナ。
獣人の賢者――闇により多様性と守護を整えた戦士ロベルト。
そして、ドラゴンの賢者――六属性を内包し、それらを秩序立てた龍王ツルギ。
「これら七賢者が世界を整える際に用いた六属性を元に太陽、炎、水、地、風、闇の日が設けられ、さらにそれらを取りまとめた龍の日を一巡として、一週間としています」
「ふむ」
なるほどそう来たか、とハクロは頷く。
魔力の基本となる四大属性、さらにそれらの上位属性である光と闇、さらにはそれらよりも原初に近しい概念である混沌と秩序を、この世界に存在する七種族に当てはめたようだ。ツルギというのがこの世界の王家の家名というのはリリアーヌと語らった際に聞いていたが、どうやら各ギルドが冠する名も、辿れば彼ら賢者が元であるらしい。
となればその七人が異世界人であり、現在この世界に根付いている機関の元を作った人物なのだろう。各種族の出生ということは、異世界人は異世界人でもいわゆる転生者なのかもしれない。
「……ん? それなら、ゾルフという名の賢者はいないのか?」
暦の話題からまた少しずれるが、気になったので一つ疑問を挟む。
王家であるツルギは別として、残る六人の賢者の名を冠する組織が現在のギルドの前身なのだとしたら、一人足りない。
そう疑問を挟むと、リリィもまたどう答えたらいいか分からず「ああ、はい」と曖昧に頷いた。
「なんぜ盗賊ギルドは犯罪組織ですから。歴史だけは古く数も多いので便宜上ギルドと呼ばれてるだけで、王家に認められているわけじゃないんですよね」
「そりゃそうだ。つーか、そんなに歴史があるのか、犯罪組織のくせに」
「王家と六ギルドが今の体制になって数千年が経つと言われてますけど、その頃にはすでにあったとか。手を変え品を変え名を変えて、つるりぬるりと存続し続けてるらしいです。まあ彼らに関しての都市伝説は掃いて捨ててもまた湧いてくるレベルですので、気にしても仕方がないというか」
「…………」
しれっと挟まれた情報に、ハクロは思わず顔を上げた。
「今の体制になって数千年、だと?」
「え? はい」
しかし当人は何か変なことを言っただろうか、程度の反応で首を傾げるだけだ。
「今年でツルギ歴5024年になります」
「…………」
これにはさすがに呆気にとられる。
「ツルギ王家になって5024年、それとほぼ同時に現行のギルドが設立しているって認識でいいか?」
「は、はい」
「その間、一度も革命や変革はなく?」
「カクメイ、ヘンカク……」
またか、とハクロは内心舌打ちをする。
「今ある組織のやり方が大きく変更になることだ」
噛み砕いて翻訳魔術を介すも、リリィはいまいちピンとこないようで「うーん」と小さく唸った。
「そういった話は聞いたことがないですが……」
「この世界の歴史書、どうなってんだ」
「歴史書……というと、歴代王家やギルド長の名鑑のことですかね」
「……まあ、歴史上一度もターニングポイントとなるような事が起こらなかったのなら、そうなるだろうが」
だとしても、不気味が過ぎる。
この世界の人口の大部分を長寿かつ保守的な「性質」のエルフが占めているとは言え、天下泰平の歴史を五千年以上保っているというのは異常だ。しかもその世界を七人の賢者を名乗る異世界人が築いたというのもまた、言いようのないおぞ気すら覚えた。
「……神にでもなったつもりか」
そうぽつりと呟いたハクロに、リリィは小さく眉を顰め、訊ねた。
「カミ、ってなんですか?」





