最悪の黒-024_暦とギルド
「この世界の暦ですけど、一年は372日、12か月で成り立っています。つまり一か月は31日ですね」
ハクロからペン代わりの棒を受け取り、リリィが砂の上に数字を記していく。
数字もまたハクロに馴染みのあるアラビア数字に近しい形状をした十進数が基本となっている。
「暦は王都中央の大時計塔の観測所を基準に、太陽の出ている時間を元に作られていています。昼の長さが最も短い日が1月1日です」
「一日の長さは?」
「24時間とされていますけど、厳密には数分の誤差があるそうです。なのでその誤差を清算するうるう年が5年に一度あって、その年だけは12月が32日まであります。えっと、ここまで翻訳大丈夫ですか?」
「ああ」
砂に書かれた言葉を眺めながらハクロは頷く。現在、ハクロは翻訳の魔導具の内、視覚に関係する機能を切ってある。これにより、聴覚情報では馴染みのある言語で届いているが、視覚ではこの世界の言語を見ることができる。
「暦の説明って、結構専門的な言葉が混じるので、かみ砕いて口にするのって大変ですね……」
「まあ俺も元居た世界の暦について詳しく説明しろって言われても、かなり厳しいな」
厳密には魔術や術式に密接にかかわる内容であるため理解は深いが、それを別言語に翻訳できるよう簡単な言葉に置き換えるとなると、全く別物の能力が必要だろう。
「ちなみに俺の世界では昼夜の時間が同じ日を春分と秋分、日が一番短い日を冬至、長い日を夏至と呼んでいた」
「あ、それはちゃんと伝わってますね。こっちは冬至、つまり1月1日を正月とも言いますけど」
「ああ、こっちも伝わってる」
そのため、こういった知識の共有には時折こういったやり取りが挟まることとなる。
「質問だが、あー、生活における『一年の始まり』は1月1日か?」
「んん?」
「あー、言葉にするのが難しいな。俺の国の言葉では『年度』と言うんだが」
「ネンド……すみません、それは伝わってこないですね」
「つまり年度の概念はない、と」
まあアレは暦をややこしくするだけのシステムであるし、この世界に来た異世界人も煩わしく思っていたため伝えなかったか、伝えようとしたが定着しなかったのだろう。ないならないで困るものでもない。
「例えばだが、ギルドに勤める者に異動がある場合、1年のうちにある期間でまとめてやる時期はあるのか、って話なんだが」
「んー、少なくとも医薬ギルドでは聞いたことないですね。必要な時に必要なだけ医術師と薬師を派遣するので。あ、でも」
リリィはふと思い出したように目線を落とした。
「魔術ギルドで魔術を専門的に修める学徒は、そのカリキュラムの始まりを正月の祝日明けに設定してるって聞いたことがある気がします」
「ああ、それだそれ。なるほど分かりやすい」
元の世界でもそれくらいの分かりやすさで回りゃいいのに、とハクロ苦笑を浮かべた。
「ちなみにそう言うってことは、ハクロさんのいたところでは組織内の異動は一定時期でまとめてやってたんですか?」
「ああ。国によって違うが、俺のとこは4月が区切りだった」
「……なんでそんな中途半端な時期に……?」
「……なんだったかな。税を作物から金銭でのやりとりに転換した時代の名残だって聞いたことがある。秋に作物を収穫して、それを売って金に換えて、税として納めようとすると、どうしても1月区切りだと払う方も受け取る方もスケジュールが逼迫しちまうから後ろにずらしたとか、なんとか。それに合わせて学徒のカリキュラムも4月スタートになったらしい」
「あー、なるほど」
上手いこと翻訳魔術が機能してくれたらしく、ハクロの説明にリリィは納得し頷いた。
ついでにと、ハクロはもう一つ質問する。
「そういや暦の話からは反れるが、この世界の一般教養ってどうやって伝わってるんだ?」
「一般、教養……ああ、生きていくうえで必要な最低限の知識ですか?」
と、翻訳魔術を介して届いた言葉を自分でかみ砕き、頷く。
「基本的には集落の大人が子供たちに教えます。大きい街では魔術ギルドの若い魔術師が修行の一環として派遣されてまとめて面倒を見ますけど、フロア村くらいの規模だと大人が交代で自分たちが教えられることを教えますね」
「薬師になるくらいの専門知識は?」
「んー、医薬ギルドと、あと文官や武官などの王家に仕える人たちの場合は少し特殊なので、とりあえずそれ以外についてでいいですか?」
「ああ」
頷くとリリィはサンドボードの表面を整え、ギルドに所属するまでの流れを記していった。
「他のギルドの場合、子供たちは大体12歳くらいで色んなギルドに仮所属しながら渡り歩いて、簡単なお手伝いをしながら専門知識を教わりつつ自分の適性に合った所属を探します。15歳くらいまでにはどこに就くかを決めて、そこで初めて見習いとしての肩書がもらえて正式所属、本格的な修行を始めます。特に問題なければ18歳くらいで一人前として認められます」
「丁稚みたいなもんか」
「ん? はい、ですから、見習いです」
「……そうか、丁稚は見習いと翻訳されてるのか」
翻訳魔術を使用して会話していると、こういうことも稀にある。
そして色々なギルドを渡り歩けるということは、丁稚というよりもより具体的な就職先を見据えた職業体験というニュアンスに近いようだ。
「それで医薬ギルドと文官武官は特殊って言いましたけど、ここに所属するにはギルドでそこそこの地位にある人からの推薦が必要です」
「推薦?」
「よくあるパターンだと、魔術ギルドとか僧侶ギルドの中でも優秀な人が推薦を受けて、医薬ギルドの見習いとして所属を移すことがあります。王家に仕える人たちの場合は、例えば騎士団の場合は傭兵ギルドとか、文官は魔術ギルド、商人ギルドからも入れるって聞きました。あとさらに特殊な例になりますけど、職人ギルドからの引き抜きで王家お抱えの職人さんになる人もいるとか」
「リリィは?」
「あ、ごめんなさい、私の場合はもっと特殊です。私は本当に小さい頃から師匠に薬師としての知識を教え込まれてたので、仮所属期間をすっ飛ばして師匠の推薦で医薬ギルドに所属しました。ふふん、実は私、一人前の薬師と認められた最年少記録保持者なんですよ!」
「……おお、実はすごい奴なんだな」
薬師とはハクロの元の世界で言う内科医に当たる職らしいが、それを10代中頃でギルドに認められるとは、かなり異例なことなのだろう。
「……ん、ちょっと待て」
リリィから聞いたことを脳内で整理するうちに、一つ、違和感を覚えた。
王家に仕える者たち――文官や武官についてだ。
「文官や武官連中は例外なく優秀で、各ギルドの推薦があって移籍するんだよな?」
「はい」
「それは、衛兵もか?」
「…………。はい、衛兵は騎士団の直轄ですが、一応、王家に関わる組織です」
「カーターも?」
「…………」
「…………」
気まずい沈黙が流れる。
二人の脳裏に、無精ひげを生やした中年エルフの顔が思い浮かんだ。
「……言わんとしていることは分かりますけど」
怪訝な表情を浮かべるハクロの視線から、リリィは思わず顔を背ける。
あのちゃらんぽらんでどうしようもない髭エルフも、つまりは優秀であると判断され、どこぞのギルドから推薦を受け、その地位にいるということだ。
「い、一応槍の扱いはかなりの物らしいですよ?」
「出立の日、仕事サボって見送りに来てたぞ」
「…………」
「……元居たギルドに降格っつーか、もっと単純に解雇っつーか、そういう制度はねえのか」
「あるんじゃないですかね……」
あっても出来ないほどにフロア村が人材不足なのか、アレで意外とそつなく仕事はこなしているのか、なんとなく前者な気もするが、フロア村から遠く離れたこの宿でいくら考えても答えなど出てこなかった。





