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こぼればなし  作者: やまやま
弐 最悪の黒
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最悪の黒-023_語学

「随分と長風呂でしたねー」

 共同浴場から戻ってきたハクロを、リリィはダブルベッドを一人で占拠して学術書をうつ伏せで読みながら迎えた。

 入浴の際に着替えたらしく、部屋着らしい薄いワンピースを着ていた。腰から背中にかけて大きく穴が開いている獣人仕様で、そこからふさふさの毛に覆われた尻尾がはみ出ている。……そして同時に、彼女の肉付きは薄くとも健康的な背筋が覗いていた。

 そうだ、これの問題もあったと頭痛が再発する。

「リリィ、お前からはこの世界について色々と教えてもらって助かっている」

「え、急にどうしました?」

「だから俺も一つ教えてやる。家族関係でもない男女が宿で一つの部屋に泊まるのは、ありえない」

「……???」

 駄目だ、何一つ響いていない。

 思わずハクロは天井を仰いだ。

 そう言えばフロア村にはリリィと同じ年頃の少女を見かけなかった。いや、見た目だけならエルフのご婦人はそう変わらないのだが、彼らは良くも悪くも長寿種族だ。繁殖本能が薄いため、そういった知識が伝わりにくいのかもしれない。

 思い返せば盗賊崩れ共に捕まった後、特に何かされたわけではないがすんなり立ち直っていた。この多感な年頃にあのような目に遭ったら男に対しトラウマでも芽生えそうなものだが、よもやそういった知識がなさ過ぎてその余地すらなかったのだろうか。

 いっそ抱き潰して男の恐ろしさを教え込んでやろうかとも思ったが、その瞬間、彼女との旅はここで終わる。旅の道連れをこんなところで失うわけにもいかないし、リリアーヌの信頼を裏切るのはハクロにとってあり得なかった。


 つまり、軽く詰みである。


「…………。リリィ、いつものよろしく」

「あ、はーい。今用意しますね」

 なんだかどうでもよくなってきたので、リリィに日課を頼む。それを受けて、リリィもベッドから起き上がり自分の鞄をがさがさと漁った。

 フロア村を出立して今日まで、こうした落ち着いた時間があればハクロはこの世界の文字について学んでいた。

 まるで初めて英語について学んだ幼少期を思い出すが、まだまだ若者に部類される年齢であるハクロと言えど、当時と比べて頭が固くなっているため全く新しい知識の定着は難航――は、全くしていなかった。

 なんせこの世界の文字というのが、母音5文字を含む26文字で構成されており、かなり崩されて独自の形状となってはいるが、ローマ字の面影を色濃く残していた。

「それにしても不思議ですねー」

 リリィが取り出したのは薄い木箱と砂の入った袋だ。袋の中身を箱の中へとひっくり返すと、何度でも書いたり消したりできるホワイトボードならぬサンドボードとなる。言葉を覚え始める幼年期に誰もが世話になったという知育セットだそうだ。

「何がだ?」

「言葉自体は全く違うのに、文字だけは似てるなんて。『お金』」

「……恐らく、文字も異世界から持ち込まれたんだろうな」

 文字を持たない原住民の言葉を既存の文字に当てはめるのは開拓時代にはよくある話だ。

 少なくとも日本人がこの世界に来ていたことはあるとハクロは確信しているが、流石に日本語とかいう正気を疑う言語までは定着しなかったようだ。元々この世界にあった言葉との相性もあるだろうが、発音も最初にあった言葉に後から当て嵌めたようで、さほど差異はない。

 ……異世界くんだりまで来て、ここまで元居た世界の面影を感じるというのも、少々気味が悪い気もするのだが。

「『約束』。そういえばこっちの文法に近い言葉ってハクロさんの世界にありました?」

「あるぞ。まあこれに関しては俺の母国語が異端ってだけで、そんなにバリエーションに富んでいるわけではないがな」

 強いて言うならばbe動詞や冠詞がないためロシア語に近いのだろうか。

 一方単語はどうかというと、例えば「猫」という言葉をこの世界の文字(をローマ字に当てはめて)書くと「MALP」となる。そのレベルで言語構成が違うため、そういった基礎的な部分でやや苦戦していると言えばしていた。

「最初は自分の名前さえ書ければいくらでも誤魔化せると思ったんだがなあ」

傭兵ギルド(ロベルト=ファミリー)に身を置く以上、依頼報告とかで書き物の必要性はありますしねえ。『規則』。いつまでも報告書を私に丸投げするわけにもいかないでしょうし。全く、私がついてこなかったらどうするつもりだったんですか」

「字を読めないし書けないふりをするつもりだったが、それだといつかカモにしようとする馬鹿な連中に当たりそうだな。こればっかりは俺の想定が甘かったな」

 そう考えると、最初に出会ったのがリリィで、その師がリリアーヌであったことは運が良かった。この上ない最良の巡り合わせだった。

「『報酬』」

 会話の合間にもリリィが口にする単語を砂に書いていく。

 とりあえず、傭兵ギルド(ロベルト=ファミリー)で依頼を請け負う際に必要になりそうな言葉を優先的に学んでいくこととしていた。

「いやあ、ハクロさんは物覚えが良くていいですねえ。フロア村のチビたちにたまに教えてましたけど、あいつら全然やる気ないんですよ。『難易度』」

「まあガキは遊びまわるのも仕事のうちだからな。……そういや、エルフの幼少期間ってどれくらいなんだ?」

「んー、長命種族っていっても、子供時代の長さはそう変わりませんよ? 『責任者』。早い子だと大体10から12歳で精通と初潮を迎えて性成熟して、その後の青年期がとても長いんです」

「…………」

 いや言い方、と一瞬砂に書く文字が止まりかけたが、気合で出かかった言葉を飲み込む。薬師としてそういった知識はあるが、あくまで仕事にかかわる知識でしかなく、そこから己の貞操観念へ繋げるプロセスが全く存在しない。その結果がこの相部屋である。

「『採取』。ちなみにドワーフ族はエルフ族ほどじゃないですけど長命で、こちらは高齢期が長いんです。ですから見た目はお爺ちゃんお婆ちゃんが多いんですよ」

「……それだと、働けなくなった老人どもを養うのが大変そうだな」

「あはは、まさか! あの種族、馬鹿みたいに頑強の上に働くこととお酒が生甲斐ですからね。働くのをやめる時は亡くなる時です。『護衛』」

「それはそれでどうなんだ」

 おそらくそういった「性質」なんだろうが、まあそこを突っ込むと話がややこしくなる。なんせこの世界であってもそれを説明する言葉が存在しないのだから。

「さて、復習はこの辺で、今日はなんの勉強にしましょうか」

 昨日までに教わった単語を砂上に書き記し、リリィから合格をもらったところで彼女はとんとんと砂を整え、ハクロに尋ねる。

「そうだな、この世界の暦について教えてくれ」

「了解です」

 筆記が一段落したら、後は雑談を兼ねた世界の仕組みについてを聞く。これまでも馬車に揺られている暇な時間は、仮眠の他はこういった口頭での学習時間に充てていた。

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