最悪の黒-019_商人の宿
フロア村のあった山間部も抜け、標高もだいぶ下ったこともあってか、昼間の気温はだいぶ朗らかなものになってきた。とりあえずの目的地であるカナルまであと一日といった頃合いだった。
街道沿いに家屋や農場がぽつりぽつりと見られるようになり、その中でも街や村とまでは呼べないが人通りのある集落に立ち寄り、ハクロたちは久しぶりに柔らかな布団を求めて早めの宿をとることにした。
「ふー、久しぶりにベッドで寝れますねー」
「こんな小さい集落に宿があるのか」
「商人ギルド直営の宿屋ですね。職人ギルドの農夫さんたちが育てた作物を卸すときに泊まる施設で、お金を払えば他ギルドの人でも泊まれるんですよ。もちろんご飯出ます」
まだこの世界のシステムに疎いハクロのためにリリィが丁寧に説明する。
「農夫は職人ギルドの所属なのか」
「です。鍛冶屋さんや細工師さんの他にも漁師、鉱夫、あと料理人、接客業なんかも職人ギルドの管理ですね」
「なるほど、ざっくりと生産業でまとめているのか。んで、それらの金銭取引を商人ギルドが請け負っていると」
「そんな感じです。あと民間の資産の預かりも商人ギルドの管轄です。銀行……って、言葉あります?」
「ああ、問題ない」
「余談ですけど、生産が職人ギルドの管轄と言ってもお薬の調合と販売を扱えるのは医薬ギルドだけです。薬は毒にもなりえますからね」
「そりゃそうだ。……ん? そういや、この大陸の物は例外なく王の所有物って話だったが、ギルドもか?」
「もちろんです。それぞれにギルド長と呼ばれる管轄者はいますけど、その任命は王様によるものです。その下の采配はギルド長に任せられていますけど」
なるほど、とハクロは頷く。
翻訳魔術でギルドと訳されているが、この世界、というか国はすべからく王の所有物ということになっている。そのためハクロの世界でいう組合というよりは国営事業機関というニュアンスが近いのかもしれない。もしくは全ての人民は国王の傘下という名目の上で、下々にはある程度自由をさせているのか。でなければ盗賊ギルドなどという不埒者の存在をギルドとまで呼称されるほど大きくなるのを放置しているのは違和感がある。
どちらにせよ、妙にか細く不安定な足場の上に成り立っている国家だな、とハクロは内心肩を竦めた。
「それじゃあ私は宿の手続してきますね」
「ああ、頼んだ」
馬車の荷台から自分の鞄を抱えてリリィがひょいと降りる。それを見送ると商人ギルドの職員らしき狐顔の獣人の男が近付き、馬車の誘導を始めた。
「馬車一台、竜馬一頭ですね」
「ああ」
「こちら、出庫の際に必要な割符ですので紛失にはお気をつけて。積み荷に関してはギルドでも倉に施錠をしていますが、貴重品に関しては持ち歩くようにしてください」
どうやら馬車一台丸ごと収められる倉を貸し出してくれるらしい。それも含めての宿賃なのだろうが、小さな集落にしては随分と至れり尽くせりではないか。
と、そこでこの宿が実質的に国の直営であることを思い出す。国の管轄だからこそ、辺境だろうが要望があれば統一されたサービスを提供できるのか。
不安定な足場ではあるが、それで上手く立ち回っているのであれば利用させてもらおう。
――どうせこの世界に骨を埋めるつもりはないのだ。
「それと、竜馬の識別名称の登録をさせていただきます」
「…………」
「……?」
思わず、視線が泳ぐ。そういえば宿に馬車を預ける時にはそれを引く生き物の識別名称を聞かれると言っていた。
「…………タマ、だ」
「…………」
微妙な表情を浮かべる狐の獣人に、やはりそのネーミングセンスはこの世界でもおかしいらしいと、改めて認識した。





