最悪の黒-016_性質
「すまないね、勝手に話を進めて、勝手に拗らせて」
「いや。……いや、そうだな。あらかじめ話くらいはしておけ」
「申し訳ない」
小さく詫びるように瞳を伏せ、リリアーヌはカップを一口傾ける。リリィが淹れた紅茶はまだ熱く、唇と舌をじんわりと温めた。
「エルフに育てられても、狼人は狼人らしい」
「あ?」
聞きなれない言い回しにハクロは小さく首を傾げる。それを見たリリアーヌは困ったように苦笑を浮かべた。
「恐らくこれも、君の世界にはないものだろうね。いや、この世界にもソレを言い表す言葉はないけど……そうだね、とりあえず無難に性質、とでも呼んでおこうか」
性質、とハクロは翻訳魔術を介して耳に届いた言葉を心の中で反芻する。
「この世界には大まかに七種族の人類がいるとは言ったね」
「ああ。エルフ、獣人、ドワーフ、ホビット、フェアリー、オーガ、あとドラゴンだったか」
「ドラゴンについては知性があると言われているから人類に便宜上数えられているけど、まあその辺は魔術ギルドの学者共が延々と議論しても決着がつかない議題だから、とりあえず置いておくとして」
そう前置きし、リリアーヌは続ける。
「ドラゴンを除く六種族は性格や行動理念に著しい偏執性があるんだよ。例えば、私たちエルフの持つ性質は『保守』で、ホビットは『奔放』といった具合にね。……あー、元々存在しない言葉を説明するのはやっぱり難しいね。君の翻訳魔術は上手く機能してくれているかな?」
「まあ、言わんとしていることは伝わっている。要するに奔放なエルフは少ない、保守的なホビットも同様ってことか。俺のいた世界でもそういうのはあったぞ。ある地域には真面目で勤勉な者が多いとか、ある地域では社交性が高く口達者が多いとか」
「んー、少し、いや……だいぶ違うね」
リリアーヌは少し困ったように眉根を下げ、一つ一つ選ぶようにハクロの言葉を訂正した。
「少ないじゃなく、いないんだよ。もちろん個性としてその偏執性に多少の強弱はあっても、全員が全員、例外なく一つの方向を向いている。奔放なエルフはいないし、保守的なホビットは存在しない」
「は……?」
「君がここ数日で会った中では、傭兵ギルドのロックが分かりやすいかね。アレは典型的な保守的なエルフだ」
「……カーターは?」
「アレはちゃらんぽらんに見えて、家族以外を自分の家には絶対に上げないよ。私もあいつの家の中は見たことがない」
「保守的って、そういうのも含まれるのかよ」
「程度の違いはあっても、絶対に存在しないなんてことはない偏執性さ。この世界の個性とは、そういう種族の性質の上で成り立っている。……かく言う私も、己の自己満足を理由に古い古い慣習を弟子に押し付けて旅に出させようとしているしね」
ようやく回りまわってその話に辿り着いたところで、リリアーヌがもう一つ前置きを挟む。
「性質についていきなり覆すようで申し訳ないが、獣人族の場合は少し特殊でね。彼らに関しては部族ごとに個別の性質を持つ」
「あの嬢ちゃん……リリィは、狼人族だったか?」
「ああ。狼人族の性質は『固執』さ」
固執――つまりは、異様なほどに強い愛着。そして固執した対象に対する絶対的な肯定思想だ。例え本人がどれだけ狼狽え、混乱していたとしても、固執する対象が一言命じれば己の意志に関係なくその通りに行動してしまう。
「さっきのやり取りを見て何となく分かるだろうけど、あの子は私に固執している。親代わりとしては可愛いものだが、薬師の師としてはどうにかしないといけないものでね」
「患者に固執するかもしれねえってことか?」
「……君は本当に聡いね。一を言うと十を悟る。そうだね、薬師を長いことやっていると、いつか重い病を抱えた患者と出会うことになるだろう。長く接しているうちにその患者に固執してしまうかもしれない。それが完全に悪いこととは言わないが、その患者を助けられなかった時……あの子は、どうなってしまうのか」
私はそれがとても怖いんだ、とリリアーヌは溜息を吐いた。
「狼人族は獣人族の中でも嗅覚と聴覚が特に鋭敏でね。本来なら薬師という職はその能力を十二分に発揮できる。薬の配合から患者の異変の感知まで、なんにでも役立てられる。実際、あの子は私でも気付けなかった患者の異変を嗅ぎ分けて、私に伝えてきたこともある」
「そりゃすごい」
ハクロがいた世界でも患者の体臭の変化から病気を探知するため犬を訓練する試みがあるというのを聞いたことがある。それを知能が高い人類がやってのけるのかと、素直に感心した。
「でもね、医薬ギルドの蓋を開けてみると、狼人族の薬師はほとんどいない。別に極端に人口の少ない部族ってわけでもないのにね。私が知る限り、リリィだけさね」
「……能力はともかく、狼人族の性質が薬師に向いていないからか」
「医薬ギルドで登用に制限をかけているわけじゃないが、その性質上自然と篩にかけられていった結果だろうね。でもその性質さえなければ――狼人族は、あの子は、とびきり腕のいい薬師になれる」
もしもリリィが性質を克服し、リリアーヌへの固執から解放され旅に出て、いつか弟子をとり、その弟子を旅に出させたら――なんて、長命種の癖で気の長い未来について考えていた。けれど実際はリリィはその性質に縛られたままリリアーヌに固執してしまい、旅に出よと言われただけで酷く狼狽してしまった。
自分の期待に応えられなかったからと言ってリリィをどうこうする気はリリアーヌには微塵もない。それでも、その思惑を差し引いても、こんな老いぼれに縛られず広い世界を見てきてほしいという母親としての願いもまたある。
「まあ何にせよ」
ズ、とハクロはカップの中身を飲み干した。
「俺の出発にはまだ時間がある。あんたの言う通り、見ず知らずの世界の旅に道連れという存在はは頼もしい。だが本人の意思を捻じ曲げてまで欲しいとも思わん。どうするかはあの子が決めることだし、あんたはきちんとあの子と話し合え」
「……そうだね。私も、あの子の固執をあてにして、『行け』と言われたら『はい』と答えるかもしれないと言葉を端折りすぎた」
「それに逆に考えれば、あの子が考えなしに了承しなかったってことは、固執の性質が僅かでも揺らいでいるのかもしれんぞ」
「…………。なるほど、そういう考えもあるか」
「あんたの教育は無駄じゃなかったってことだな」
そうだといいね、と、リリアーヌはだいぶ温くなったカップの中身をくいっと傾けた。





