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こぼればなし  作者: やまやま
弐 最悪の黒
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最悪の黒-173_約束

 ぱちりと瞼が持ち上がった時、周囲が随分と薄暗く感じた。

 上半身を起こして確認しようとしたが、節々がギシリと鈍い音を立ててそれを邪魔する。

「…………」

 奥歯を噛み締めて痛みに耐え、魔力の巡りを意識して痛覚の緩和を試みた。それが以前よりも滑らかに流れるように感じるのは心理の俯瞰状態でルネと対話ができたからだろうかと自己解析する。

 痛みが多少引いたところで再び体に力をこめる。

 しかし体は泥に浸かっているかのように重く、全く持ち上がる気配がない。

 流石に妙だと思ったが、これはもしかしたら治癒魔術の反動ではないかと思い至る。治癒魔術はこの世界では珍しく、人体魔力で発動させる。しかも多くの場合は術者が患者の魔力を用いて施す場合が多く、その発動難易度は単純な攻撃魔術より格段に高い。

 外部から体内の魔力の流れを無理やり整えられ、新陳代謝を強引に押し上げるという性質上、重傷であればあるほど術後の反動は大きくなる。


 つまり今起き上がれないのはその反動――要するに、尋常ではないほど疲労している。


「…………」

 体に込めた力を抜き、自重と虚脱感に任せてマットレスに沈み込む。

 辛うじて首は動くし、頑張れば手も動かせないことはない。

 何故だか半端に腹部までずり落ちている毛布を引っ張り上げようとしたが、ぐい、と抵抗があった。

「…………」

 視線を足元に向けると、ぼさぼさとした赤毛の少女が突っ伏しながら毛布の反対側を掴んでいた。

 ティルダだった。

 どうやら眠っているらしく、肩のあたりが規則的に上下している。

「……んごっ」

「…………」

 少し離れたところから間の抜けた鼾が聞こえた。そちらを見ると、室内に置かれたソファに横になってバーンズが腹を掻いている。こちらも熟睡しているようで、口の端から涎が零れかけているが気付いていないようだ。

 その時になって、ようやくここがハスキー州都拠点の自室だと気付く。

 治癒魔術をぶち込まれたことで外傷は癒え、単純に疲労だけで眠っていたため医務室は追い出されたようだ。

 湖都に数か月籠ってようやく帰ってきたと思ったら、荷解きも終わらぬうちに訪ねてきたオセロットにそのままギルド支部に連れて行かれてランク試験を受ける話になったため、随分と久しぶりに見る間取りだった。長い間留守にしていたにも関わらず埃一つなく、寝具からもかび臭い匂いがしないのは、傭兵大隊(クラン)で雇っている通いの使用人たちの維持管理の賜物だろう。

「……あ」

「…………」

 きぃ、と静かに扉の蝶番が軋み、開かれる音がした。

 そちらを見ると、薄い水色の瞳――リリィと目が合った。

「……、……っ。……。…………」

 驚きに目を見開き、安堵し、くしゃと泣きそうな表情を経て、眉を吊り上げ頬を膨らませる。

 百面相のように表情をコロコロと変えながら足音を立てないよう歩み寄り、リリィは手桶とタオルをサイドチェストに預けてぐいと顔を覗き込んできた。

 睫毛と睫毛が重なりそうになるほどの至近距離に、流石に怯んで首を仰け反らせる。しかし首の後ろに敷かれた柔らかな枕は後頭部を押し返し、元の位置まで戻されてしまった。

 ゴチンと額同士が軽くぶつかってしまい、じわりと傷みが奔る。

 それはリリィも同じだったようで若干の距離を開けたが、それでも至近距離には違わない。

「…………」

「……二人が起きちゃいますから」

「…………」

 互いにしか聞こえないような囁き声。耳元の産毛をなぞるようなむず痒さを感じ、首を横に傾げてもう少し距離を取ろうと試みる。しかしそれが逃避と捉えられてしまったのか、結果として失敗だった。

「…………」

 ベッドに上半身を乗り上げ、両腕を首の後ろに回されてしまう。頬と頬が触れ合い、ふわりと薬草が混じった洗髪剤の香りが漂ってきた。

「…………」

 おい、と振りほどこうとするも、自力で起き上がれない身であることを思い出す。相手は細身の少女とは言え、一人分の体重が自分から覆い被さってくるとそれだけでどうしようもできなくなる。

「…………」

「…………」

 そのまま互いに無言で数秒。

 一体何がしたいのかと首を捻ってリリィへと視線を向けると、彼女もこれからどうしたらいいのかと困惑しているのが表情から見て取れた。

「…………」

「…………」

 もう一つ二つほど拍を置いてから、すう、と意を決したように大きく息を吸う音がした。

「私、ちゃんと見てました。■■ さんが戦うところ」

「……?」

 ざり、と耳障りなノイズが混じる。

 自覚がなかったが聴覚に何らかの後遺症が残っているのだろうか、と眉を顰めた。

 リリィはなおも囁くよう言葉を続ける。

「最初は傷つくところが怖くて……見れませんでした。でも、それじゃダメだって……ティルダさんに支えてもらって」

 訥々と語るリリィの声に違和感はない。

 聴覚の障害ではないらしい。

「でも私は……、■ク■さんが傷つくのを……ただ見ていることしかできないのは……本当に、本当につらかったです」

 ざり、と異音が混じる。

 耳鳴りがした。

 まただ。

「もうあんな戦い方……自分を傷つけるような戦い方……やめて、ください……」

「…………」

 リリィの乞い願うような言葉にどう返せばいいか、一息挟んだ。

 どう返すのが最善か、思考してしまう。

 しかし結局、その懇願を受け入れることは出来ない。

「……無理だな。俺はこれからも、戦い方は変えられない」

「…………」

 ルネとの戦いを経て、心理の俯瞰という新たな領域への足掛かりを得ることができた。

 あの空間は存在根源――魂に関わる空間であると直感した。先の見えない水の彼方か、はたまた水底かはまだ分からないが、そこに求める物があるならば、手を伸ばさないわけにはいかない。

 例え肉体が負荷に耐えられず、自壊するとしても。

 それが己の。

 己の――

「……?」

 思考にノイズが混じる。

 不快な耳鳴りと共に、何かが途切れたような違和感があった。

「…………。……分かりました」

 ぎゅ、とリリィの手が背中で握られるのが伝わってきた。

「私は戦えません。ハ■■さんの戦い方に口出しできるような立場にないです。でも……あなたの旅の目的を応援する、仲間です」

「……リリィ」

「だから約束してください。どうしようもない時は傷ついてもいいです。失敗してもいいです。負けてもいいです。でも……かならず、帰ってきてください」

「…………」

 やれやれ、と自嘲するように肩を竦める。

 勿論身じろぎ一つできない状態であるため、気持ちの上で、だが。

 目の前に現れた可能性に目が眩んで、随分と一人で走りすぎてしまっていたらしい。進歩はいいが、時には退いて、仲間を頼ることも必要だ。


「ああ……約束しよう」

「約束です――ハクロさん」


 気付けば、耳鳴りは治まっていた。

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