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こぼればなし  作者: やまやま
弐 最悪の黒
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最悪の黒-166_鉄の手脚

 ハクロの構えとも言えない構えを前にして、対するルネは真っ向から迎え撃つような、いっそ晴れやかな気分になるほどの堂々とした姿勢をとった。

 両脚を肩幅よりやや広めに開き、左腕を前に突き出し、右腕を矢を番えるように腰溜めに握った。

 それを見た瞬間、ハクロは内心で舌打ちを打つ。


 ――やりにくい。


 ルネには生来、両腕と両脚がない。それを補って余りある魔力操作技能により、鎧の手足を己の肉体のように操ってはいるが、本来その必要すらないのだ。

 鉄の拳を握ることも、鉄の脚で大地を踏みしめることも、不要な動作だ。

 彼女にとって最も効率的な物理的な攻撃手段は、その圧倒的な硬度と質量で殴打すればいいだけなのだ。

 しかしルネは五体満足の戦士のように、伽藍洞の手足を構える。

 たったそれだけで「正攻法のような徒手空拳で攻められるかもしれない」という選択肢が生まれてしまった。

「来ないのか?」

 口端を楽し気に持ち上げながらルネが訊ねる。

「そう言えば、貴様は後手(カウンター)を得意としているのだったな」

「…………」

 ハクロの戦い方は一度バーンズとの手合わせに立ち合った際に見られている。

 もちろん手段はそれだけではないが、ハクロの戦術の大きい割合を占めているのも確かだ。

「ならば余から行こう。見事打ち返してみよ!」

 ぐぐ、とルネの姿勢が低くなる。

 そしてバキっと石畳が割れる音とほぼ同時に、ハクロの目の前に金色の彼女の髪の毛が舞った。

「――ッ!」

 寸でのところで体幹を右にずらし、振り抜かれた鉄の右腕の直撃を避ける。

 さらにその右腕の内側に沿うように剣を振り上げ、切っ先が弧を描いた。

 しかし、そこにルネの体はない。

「ちっ!」

 ズレた体幹を左脚を軸に戻し、牽制として右足で蹴り払いつつ体勢を直す。

 だがその蹴りも空を掻くばかりだった。

 二歩、三歩と下がりながら視線をルネに向ける。

「やりにくい……!」

 心の内に留めていた悪態が零れる。

 ルネの体は鎧の手足よりも心持ち後ろ側に浮遊していた。

 鎧の手足に相応の胴体がくっついていたら確実に届いていた一撃だったはず。しかし彼女にとっては常識的なリーチの概念が存在せず、刃が空を斬るだけだった。

 つい数刹那の前、浮遊する両手脚のやりにくさについて思考していた直後にこれである。視覚的に拳が迫ってくるのが見えてしまうと、どうしてもその体格に合わせた踏み込みになってしまうのだ。

「――なら!」

 剣を持った右腕を後方に引き絞り、左手を左脚を前側に突き出す。

 先程のルネの拳を剣に持ち替えた構えだった。

 左足の裏に術式を込め、返すように石畳を割る踏み込みで剣を突き出す。


 剣術における突きは、その刺突の速さと鎧通しの鋭さに加え、視覚的に剣先が届く距離が判別しにくいという利点がある。


 しかし――

「ここだな」

「っ……!」

 視界が存在しないルネにとって、その利点は完全に無いに等しかった。

 切っ先がルネの体に届く寸前に振り上げられた鉄の左膝がハクロの腕を跳ね上げる。

 突きは悪手だと直前に気付き、右足で速度を止め無理やり腕を持ち上げていなかったら骨を圧し折られていた。

「はっはっは! 流石の貴様も余との戦いはやりにくさが勝るようだな!」

「うるせえ」

 吐き捨て、ハクロは剣を下段から逆袈裟に斬り上げるよう構える。

 それと同時に大きく踏み込み、ルネに肉薄する。

 顔を覗き込むような距離感。常識ではありえない間合いだが、刃を振るうことだけが剣術ではない。

「お?」

 ルネが愉快そうに笑みを浮かべ、胴体を後方へ退かせた。

 斬り上げと見せかけ、真っ当に柄がついていれば石突に当たる部分を突き出すことによる殴打。それを当然のように躱されたが、さらにそのまま刃も振り上げる。


 そこに込められた水の術式を振り払うように。


「むっ」

 ルネの眉根が微かに動く。

 術式はそのまま刃と化して剣のリーチを伸ばし、ルネを斬り裂くように発動した。

 その直後、ハクロのすぐ横に置き去りにされていた鎧の右手が動き、防護術式が起動する。ハクロの魔術はその防壁により打ち消されてしまったが、その全てを消し飛ばすには発動時間が足りず、ワンピースの肩口が糸一本分ほど裂けた。

「……くく」

「…………」

 鎧の手足が弧を描きながら後退したルネの体へと戻り、指先がほつれた生地に触れる。

「これは余の気に入りの一着だったのだがな」

「そんなおべべで傭兵やってるのが悪い」

「いいや。今日より、より気に入りの一着となった! 余に刃が届いたのは貴様が初めてだ!」

 声高らかに闘技場にルネの笑い声が響く。

 その様子を見ながら、ハクロは改めて剣を構え直した。


「もう一段階上げてもよさそうだ! ハクロよ、貴様に余の力の一端を披露しよう!」


 その瞬間、ルネの魔力が暴風に舞い拡がる大火のように破裂した。

 先程までの威圧感など、完全に締めきれずに漏れ出る古びた蛇口の水に過ぎなかった。


 ハクロの額を冷や汗が流れ、それすらも蒸発するように掻き消える。

 否――ように、ではない。

 眼球から、鼻腔から、口唇から、水分が徐々に失われていくのが感じられた。


 渇き痛む眼球を必死で動かし、何が起きているか見逃さないよう視線をルネに向ける。


 彼女の操る鉄鎧の腕により、胸の前で指印が組まれている。

 さらによく見ると、ルネの口元が動いていた。


「『燃え立つ炎』『苛烈なる陽よ』『熱き力で生命を繋ぐ』」


 まずい、とハクロは瞬時に駆け出した。

 ルネの人智を超越した魔力操作技能を以てしても、手指の動作と詠唱による術式制御が必要な魔術。

 その装填の余波だけで体中の水分が蒸発していく馬鹿げた破壊力。

 絶対に発動させてはいけない。


「『導きの道は闇を裂き』『天を照らして世界を導く』」


「と、まれボケ……ぇ!!」


 ルネを中心に魔力風が逆巻き、肌がひび割れ血が滴る前に瘡蓋も残らず砕ける。

 それでも剣を振り下ろし、術式の妨害を試みるが――


 ガキンッ


 刃が止まった。

 止めたのは、振り上げられたルネの鉄の脚だった。


「『輝く力は地を育みて』『暖かき(かいな)で護り包まん』」


「……っ!」

 陽炎のように霞む視界の隅に魔力が奔る。

 円形の闘技場の縁を取り囲むように魔力その物により陣が形成されていく。


 その向こうに、リリィが何やら叫びながらこちらに手を差し出しているのが見えた。

 相当狼狽えているようだが、どうやら外は魔術の影響は一切ないらしい。

 そのことに多少の安堵を覚えつつ、ハクロは陣が結ばれるのを見ていることしかできなかった。

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