最悪の黒-159_思わぬ訪問者
「ただいま帰りましたー!」
拠点の扉を抱えた木箱で押しながらリリィが元気よく声を張る。
陽炎が昇る路地から扉一枚挟んだだけで本当に季節が遡ったように感じられるほど室内は涼しく、これはこれで苦手な者は多いだろうなと苦笑しながらハクロも続いた。
「……あれ?」
手押しの荷車に木箱を積み上げたティルダのために扉を抑えていると、彼女は小首をかしげた。
「もしかして……誰もいない?」
「そういや反応がないな」
「テレーゼ先生は診療所だと思いますけど、バーンズさんとエーリカさんは依頼ですかね?」
「……技術二人もいないのは珍しい」
「ついに名前すら呼ばなくなったな」
心持ち声音が浮ついているのがまた酷い。これに関してはティルダが拠点に戻るたびに駄犬のように玄関まで迎えに来るオデルとセスに責任がある。その行為自体は世間的に好まれるものだとしても(なんならリリィとバーンズもハクロに対してよくやる)、受ける側が割と本気で嫌がっているのを察せないのが悪い。
「ああ、そういやギルド証に何か来てたっけか」
ふと思い出し、ポケットの奥深くに仕舞い込んでいたギルド証を引っ張り出し、メッセージ機能の術式を久しぶりに発動させた。
なにせ湖都を覆う結界魔法は異様に強固で、中にいると外界とつなぐ魔術が悉く弾かれてしまう。ギルド証も例外ではなく、三か月ぶりに湖都の外に出た瞬間に数百件もの通知が一気に押し寄せたのだ。
流石のハクロもその全てに目を通す気力と時間もなく、まだ全ての確認は済んでいなかった。
――ゴンゴン
その時、扉を力強く叩く音がした。
「あれ、お客さんですかね」
傭兵大隊関係者ならノックなどしない。リリィは「はーい」と明るく返事をしながらドアノブに手をかけた。
「失礼。こちらは『太陽の旅団』――ああ、間違いなさそうだ」
扉を開けてすぐ、深いしわの刻まれた大きな顔が覗き込んでいてリリィは一瞬息を呑む。
しかし地の底から響くような低く太くもどこか優しさを感じる声音、顔を一直線に走る傷跡や折れた右角、そして何より直角に折れ曲がっているのではと心配になるほどの猫背を見て「あっ」と声を上げた。
「オセロットさん!?」
「やあ、薬師のお嬢さん。息災かね?」
ハクロたちの旅が始まってすぐの頃に滞在したカナルの街で二週間ほど行動を共にした老オーガの傭兵がそこに立っていた。
「オセロット?」
「久しぶりだ、ハクロ。あー、すまんが中に入れてくれないかね? 老骨にハスキー州の熱気は毒だ」
「あ、どうぞどうぞ!」
リリィが扉を抑えて招き入れるとオセロットは慎重に頭をドア枠に潜らせる。
すると扉に付与されていた伸縮の魔術が発動し、猫背で縮こまった状態でもハクロよりも高かった背丈がエルフ大まで小さくなった。
「ふう。夏のハスキー州は久しぶりに来たが、なんだか記憶よりも暑い気がするよ」
「何か飲むか? 俺たちも今戻ったばかりだから水くらいしか出せねえが」
「はっは。大丈夫だ。これからギルド支部に顔を出すからな、溜めているのだよ」
「何をですか?」
「さて、酒力かな」
相変わらずドワーフのような物言いのオセロットに肩を竦めながら、ふとハクロはエントランスを見渡した。しかしどこにもティルダの姿はない。知らない客人の訪問に脱兎で逃げたようだ。
こちらもこちらで相変わらずだと苦笑し、とりあえずオセロットを共用スペースのソファへ案内する。
「空調……最高デスね……」
そこには先客の黒毛の獅人の女が伸びていたが、ハクロはベルトを掴んで端に押しやった。





