最悪の黒-155_新作発表
青い光が燈るランプを荷台で掲げながら馬車を走らせていると、ほどなくして視界が深い霧で覆われた。リリィ以外は三か月ぶりの光景だったが、リリィとタマはもはや慣れたもので、全く速度を緩めることなくガラガラと車軸を鳴らしながら直進する。
そのまましばらくすると徐々に視界が晴れていき、魔石の森が湖畔の風景へと塗り替わった。
「……眩しい」
「数か月ぶりの直射日光デスからねー」
荷台から外の風景を眺めていたティルダが目をしょぼしょぼとさせながら呟く。
湖都は魔石自体が魔力反応により仄かに発光していたし、頭上を見上げれば水面越しに太陽光が降り注いでいた。
とは言え7月に入り、カニス大陸でも南方寄りに位置するラッセル湖周辺は春は面影もなく通り過ぎ、夏真っ盛りである。その陽光は湖都の内側から感じていたものとは比べ物にならないほどに強い。
「不健康極まりねえインドア作業も今日で一段落だな」
湖都の外に出た途端急に蒸し暑くなった気温に肩を竦めつつ、ハクロはシャツの袖を捲った。
なんせジオフェルン直々に魔導具に手を加え、湖都の出入りの認可が下りたのだ。書斎整理自体はほぼ完了しているとは言え、残りの作業のために湖都に引きこもらずによくなったというのはとても大きい。
「ワタクシとしてはこれからの季節は湖都に引きこもっている方がありがたいのデスがね」
苦笑しながらザラは尾の毛並みを指先で整える。
黒毛の獣寄りのいで立ちに加え、僧侶ギルドの僧衣にしろ魔術ギルドのローブにしろ、どちらの服装も蒸れそうだ。
もっとも、彼女は飴屋という行商人の面の皮も持ち合わせる上、その時々で過ごしやすい格好をするくらいの豪胆さくらいは持っていそうだが。
「……あれ?」
そのままとりとめのない話題を交わしながら馬車に揺られることしばらく経った頃。
御者台側から外を眺めていたティルダが何かに気付き、小さく声を上げた。
釣られてハクロとザラも前方に視線を向けると、数か月前は人気のほとんどない湖畔沿いの街道の先に、何やらちらほらと人影が確認できた。
否、ちらほらどころの話ではない。馬車が進むにつれて人の気配はどんどんと濃くなっていき、一行が目指していた湖畔沿いのギルド宿周辺にはちょっとした露店市が形成されていた。
「こんなところに?」
「あ、そっか。ハクロさんたちは初めてでしたね」
手綱を握っていたリリィがはたと目を瞬かせ、柔らかく尾を揺らす。
分かっていてわざと黙っていたのか、本気で失念していたのかまでは分からないが、リリィは承知のことであったようだ。
「搬出した魔術書を引き取りに魔術ギルドの魔術師の人たちが宿に出入りするようになってたんですけど、その人数がどんどん増えていったんですよ。そしたら宿に入りきらなくなったので野営地が併設されて、それを嗅ぎ付けた商人ギルドの商隊も集まるようになって、いつの間にかこんな規模になっちゃいました」
「待て。魔術書の引き取りつっても日に十箱も運び出してねえだろ。なんでそんなに人数が増えるんだ」
「アー、まあなんとなく理由は想像できマスね……」
言ってザラがなんとも言えない表情を浮かべる。
そしてその視線の先――古びたギルド宿までもうすぐというところで、その扉が荒っぽく開け放たれたのが見えた。
「来た! 来たぞ!」
「待ち侘びたわ!」
「は、は、早く見せてくれ!」
中から現れたのは白目を真っ赤に充血させ、息を荒げたローブを纏う魔術師たち。どいつもこいつも不健康を体現したような青っ白くガサガサな肌つやをしており、三か月間日の光に当たっていなかったハクロたちの方がまだ生気に溢れてすら見える。そして全員が全員、老いも若きも人種も関係なく正気を失っているため軽く恐怖映像だった。
「ひえ……」
その光景にティルダが手近な木箱の蓋をガタガタと揺らす。しかしながら今積んでいる箱には全て魔術書が収められており、例外なく魔術による封印が施されている。咄嗟に隠れようとしても逃げ場はどこにもない。
「……ジオフェルンは危険な魔術書を野放図に解き放ちやがるから50年前に賞金首に懸けられて、表立った取引は禁止されたんだったか」
「そうデスね。逆に言えば、しっかりと分類され、適切に封されてさえいれば魔術書自体に罪はないどころか有用なものがほとんどデスから……」
「50年ぶりの魔術書放出に魔術ギルドの馬鹿どもが大集合しやがったってことか」
元居た世界では娯楽物界隈で長らく供給を絶たれた期間を挟んだ後、新作が発表されるとコアなファンが熱狂することがあったのを思い出す。目の前の光景はそれを彷彿とさせるのだが、それにしても――
「新作を! 新作を早く見せてくれ!」
「六日ぶりよ! もう、もう我慢できないの!」
「ひ、ひ、ひ、ひ……新たな知見……早く僕に……!」
「本当に正しく封されていれば無害認定されてんだよな?」
「……そのはずデス」
長らくギルドに引きこもっていたのであろう魔術師たちが爛々と目を輝かせ、押し寄せる様は危険薬物をキメた狂人の群衆にしか見えない。こんな連中に魔術書を受け渡してしまっていいものか、さしものハクロも躊躇してしまう。
「はーい、まずはいつも通り、一列に並んでください! こちらの一覧を確認して、手順に沿って一箱ずつ中身の確認をお願いしますー。ローテーションに従って、今回は流動魔術専攻課程の方が先頭になります。最初にギルド証の提示をお願いしますねー」
だがこれもいつもの光景なのか、リリィは手際よく群がる魔術師たちを整列させていく。それに対し魔術師たちも魔術師たちで大人しく指示に従い、興奮でやかましさは治まらないものの、争う様子はなく列を形成していった。
ハクロでさえ魔術師たちの異様な熱気に若干引いたが、リリィは妙に手慣れた様子で列をさばく。
「……コミケスタッフ」
そんなハクロの呟きは喧騒に紛れて誰の耳にも入らず、無意味な発音として消えていったのだった。





