最悪の黒-150_対話
「つまり、つまり貴様はこの世界のありとあらゆる魔法を自在に引き出すことができるようになったということか? しかも魔石鉱脈であればどこからでも?」
興味三割、嫉妬七割といった感情が浮いて見える表情と視線を向けてくるジオフェルン。世界を解析しつくし、世界そのものの模倣を最終目標として頂く彼にとっては垂涎もの権限だろう。
だがしかし、当然ながらそう簡単な話ではないとハクロは首を横に振った。
「理論上、技術上可能という話と実際に可能かと言うと全く別の話だろう」
「…………」
うんうん、とティルダが深く深く頷く。
職人ギルドが各工房に割り振る作業内容と納期、各工房に所属する職人の練度や頭数が乖離しており、「いや普通に無理だが?」と面食らうことはこちらの世界でも共通の話題であるらしい。
「問題は大きく二つ。まず一つ。魔石鉱脈であればどこからでも干渉可能とは言ったが、それでも魔石の層が薄いに越したことはない。魔力塊に手を出すのは〝玩具箱〟がベストであることは変わらない」
もしかしたら他にもそういった地形があるかもしれないが、わざわざ探すメリットがない。この広大なカニス大陸を総浚いして第二の〝玩具箱〟を見つけ出すほどハクロたちも暇ではないのだ。
「もう一つ、術者への負担。今回俺が血を噴いてぶっ倒れたことからも分かる通り、魔力塊への干渉は尋常ではない負荷が発生する。『箱庭』を起動し、〝玩具箱〟に触れた直後、俺の中に膨大な魔力情報が流れ込んできた。それに俺の肉体が対応しきれず、ぶっ倒れたわけだ」
並行思考とマルチタスクは得意な方だと自負しているハクロではあるが、それとこれとは全くの別次元であった。あれは一個人が対処できる領域を遥かに超えている。
「つまり、つまりこういうことか?」
トン、とジオフェルンが椅子の手すりを指で叩く。
その瞳からはつい数秒前までの熱が失せ、白い砂利の方がまだ輝いているように見えた。
「すぐ目の前に〝玩具箱〟に干渉する魔術があるというのに吾輩はフェアリー故に扱えず、唯一の権限所持者の貴様も操作は叶わない。吾輩は〝玩具箱〟から新たなフェアリーが魔法と共に誕生したらそれを一つ一つ魔術書に書き起こし、それが終わったらまた新たなフェアリーの誕生を待つしかない。今まで吾輩が繰り返していたことを再び繰り返すしかない。そういうことか?」
「教授……」
「…………」
「まあ、それもいいだろうよ。元より吾輩に肉体という頸木は存在しない。何百年か、何千年か、何万年か。世界という有限で区切られた事象の解析など、終わらない作業ではない」
呟き、ジオフェルンはハクロと対するために向きを整えていた椅子を机に向ける。そして羽ペンを手に取ると、ハクロの顔も向けずに吐き捨てた。
「その魔術書はくれてやる。翻訳と写本が完了したら寄越せ」
「あいよ」
頷き、ハクロは魔術書をティルダに差し出す。彼女はそれをどうしたものかとオロオロしながらも受け取り、ハクロとジオフェルン、ついでにザラへと視線を泳がせた。
対話は終わり、そんな空気が漂い始める。
だがハクロは席を立たず――軽薄な笑みを浮かべ続けていた。
「まあそれはそれとして――俺の肉体が魔術の負荷に耐えられないのなら、負荷を押し付ける魔導具を作ればいいだろう」
「……何?」
その一言に、ジオフェルンのペン先が止まる。
「そもそも魔導具ってのは、術者が魔術を発動させるうえで生じる魔力回路に対する負荷を代替させる物だろうが。この世界における魔術の基本だろう。出力にかかる負荷も肩代わりさせりゃいい」
「ちょ、ちょっと待ってくだサイ! その魔術の発動はハクロさんしかできないという前提が……」
ザラが首を傾げながら首を挟む。
だがハクロは肩を竦めながら呆れたように口端を持ち上げた。
「そうだ。だから魔導具の起動は俺がやるしかない。だがその後の維持と出力を全部丸投げする魔導具を作りゃいいだろ」
「ま、丸投げって……そんな簡単に……」
「ふひ」
「ふは」
引き攣ったような笑いが二つ、重なった。
「ふ、ふひ、ひひひひひ、ふひひひひひひひひ……!」
「くは、は、はははははは! くはははははははは!」
「ティルダ」
書斎に不気味に木霊する引き笑いにハクロの声が混ざる。
「例の魔術、術式解析はあらかた終わってんだったな? そんで最大の問題点は物理的な小型化が困難なことだったか」
「……ふひ、そう、そうだけど……! でも……!」
「ああ」
軽薄な笑みを浮かべ、ハクロは親指を立てて後ろ手に屋敷の外を指さした。
「そこに術式付与に最適な高純度魔石鉱脈があって、さらにどれだけ巨大な魔導具を制作しても搬出すれば十分の一程度の大きさに収縮される環境が揃っている」
「さい、こう……!!」
「ま、まさか湖都の魔石を使うおつもりデスか!? そんなことしたら、フェアリーたちを怒らせて――」
「よい、許す。吾輩が許諾する」
青褪めたザラの言葉を制するように、ジオフェルンのひび割れた甲高い声が遮った。
ガタリと椅子をずらし、再びハクロたちに向き直る。
「どうせ利用する者もいない無用の魔石だ。使いたいならいくらでも使え。極論、〝玩具箱〟さえ残っていれば他は全部くれてやる」
「そんなアッサリ!? で、デスが他のフェアリーが何と言うか……」
「他のフェアリー? はっ。獅人の女よ」
呆れと皮肉を煮詰めたような表情を浮かべながら、ジオフェルンが鼻で笑った。
「吾輩らフェアリーはそもそも個の概念の希薄であることは先日言ったはずだ。その中で吾輩が湖都の魔石の使用を許したのだ。他の連中が異を唱えると本当に思っているのか?」
「それは……そうデスが……」
フェアリーという種族はそれぞれ個体として独立して存在してはいるが、それはそれぞれ別の魔法を発現するためにそうなる必要があるだけに過ぎない。他人類のように個性は限りなく薄い。そんな中でも異質なほど強烈な個性を持つジオフェルンが是と意思を表したのであれば、自然と他のフェアリーたちも追従するだろう。
「はっはー。大盤振る舞い、感謝するぜ教授」
「この程度、対価としては安いものだ。しかし。しかしこれが対話か」
トン、と椅子の手すりを指先で弾きながらジオフェルンは口元を歪めた。
「なんと非効率で、迂遠で、煩雑で、億劫で――興味深いものだな」





