最悪の黒-139_立体図面
一度ハスキー州都へ帰したリリィとザラが湖都の屋敷へ戻って来たのは10日後の事だった。
元々ザラに合流日時を占いで言い当てられたのが癪で、そこそこ無茶な旅程で移動したのだ。来る時は3日かかったが、本来はもう1日かかる道のりである。普通に馬車を走らせればそれくらいだろう。
むしろハスキー州都での諸準備や報告の事を考えるとタッチで戻って来たようなものだ。とんぼ返りとはまさにこのことである。
「もう少しハスキー州都でゆっくりしていても良かったんだぞ」
「いえ、なんだか落ち着かなくて……」
一瞬前までぶんぶんと尾を振り歓喜を溢れさせていたリリィが途端にシュンと耳を下げた。
そう言えばフロア村を経ってから先日まで、ほとんどの寝食をリリィと共に過ごしていた。ラキ高原での依頼の時は留守番を任せていたが、それ以降は日中互いの仕事の時以外は本当にずっといたのだ。狼人族の性質のことも考えると、精神的負担もあったのかもしれない。
「そういやバーンズはどうしてた」
「早く戻ってきてくれって半泣きでした。なんか私たちがこっちに来る前より疲れてましたね」
「……エーリカは」
「元気いっぱいです」
「だろうな」
ふともう一匹の駄犬を思い出して訊ねたが、相当参っているらしい。だがその疲労感はどちらかと言うと狂兎と組んでいるのも原因である気がした。それについてはハクロも心より同情するところである。
「エーリカさんは傭兵ギルドの報告に一緒に着いて来てくれました。ロアーギルド長への報告にも一筆添えてくれるそうです」
「ならそっちは問題ないな」
なんならリリィたちが出立して4日も経っていることだし、既に動き終わっている可能性もある。
「トコロデ、これは一体……?」
ザラが首を傾げつつ、ハクロたちの前に並べられたそれに視線を落とす。
場所は魔石で覆われた屋敷のエントランスホール――そこに置かれた特大の作業台だった。そしてその上にはほどほどの厚さのある板状に削り出された魔石が大量に、一見すると乱雑に積み上げられていた。
「あの書斎の立体図面」
「……というか、ミニチュア」
ハクロの隣で魔石に覆われた踏み台に足を乗せ、作業台を眺めながらティルダが補足する。
「どこから手を付けるのが安全か把握するために、今の状況を正確に再現してある」
「……魔術書の属性に合わせて……魔石の属性、も、揃えてる……」
「ハハア、つまりは魔石の積み木デスか」
「なんと豪勢な……」
魔石は魔力が鉱物や宝石に長い年月を経て蓄積された物と、魔力その物が凝縮して形成された物の二種が存在する。前者はハスキー州都で主に採掘され、また広く世間一般で流通しているのもこちらだ。
そして後者は、この湖都のその辺で見られる樹木の形状をしている物を指す。また屋敷の内部まで侵食し、ガラスのように覆っている物も同様だ。
だがどちらの場合においても、魔力の発生源として安定しているという特徴は共通している。その魔石の波長に沿った術式を構築すれば魔力源として機能するが、それ以外においては多少乱雑に扱っても大きな問題はない石ころである。少なくとも、この世界においてはそうだ。でなければ魔石をエネルギー源とした魔導具がここまで普及していない。
とは言え、魔石が金銭的価値がある有限資源であることには変わりない。そうでなければ魔石に魔力を再充填する工房など成り立たないし、鉱脈が潤沢なハスキー州都においても使い終わったクズ魔石で坑道を埋め立てて再利用を図ることもない。
そのため、今ハクロたちの目の前にある作業台にはちょっとした家庭の財産級の価値のある積み木ということになる。数が数だけに、例え伸縮の魔法が解除されたとしても結構な額になるだろう。
「それにしても、俯瞰で見るとまたすごいですね……何冊あったんですか?」
「6,591冊だっけか。未装丁の紙束含めて」
「多すぎてよく分からない!?」
「例えば、カナルの街の図書館分室の蔵書数が約12,000冊デスね」
「……え、そこですっと私が知ってる街の名前が出てくる方が怖い」
「ンフフ♪」
「褒めてないです」
「……それと、208個の正体不明の魔導具。あと丸めた羊皮紙が軽く300本超……そっちはまだ数え終わってない……」
「って、このミニチュアまだ途中なんですか!?」
「ティルダの魔石加工技術がなけりゃまだ半分も終わってなかったろうな」
10日でこの数の積み木ブロックを魔石の塊から切り出すティルダの技術力は、ハクロをして改めて驚嘆させられた。
屋敷の壁を覆っていた板状の魔石を魔導具のナイフ一本で引っぺがし、均等に切り分けていく手際は謎の視覚的中毒性があった。恐らく元居た世界で壁を塗り替える作業動画が一定の人気があったのと同じだろう。
ちなみにハクロはその間、書斎の中を走り回る鼠と鴉の情報を処理し、平面図に書きおこしながら魔石を積み重ねた。そして出来上がったのがこのミニチュアである。
「あともう一つ問題なのが」
「……うん」
「鼠と鴉の目を通しても、ジオフェルンの姿が確認できなかった」
「え!? もしかして書斎にいないんですか?」
「そんなハズは……」
リリィが驚き、ザラも怪訝そうに眉を顰める。特にザラはハクロたちに先立ってこの屋敷の下見に来ているため、一通り間取りは確認済みだ。魔石で扉が覆いつくされて開かずの間となっている部屋はいくつもあるが、流石にそちらに閉じ込められているとは考えにくい。
「いや、書斎の中にはいるんだ」
「……ここ」
ハクロとティルダが揃って積み木の最奥部――書斎で言うところの机の部分を指さす。
その一角だけ、魔石が半円柱状に積み上げられていた。
「この中からペンの音がしているから、いることはいる」
「で、でも……机周りの魔術書が本当に隙間なく天井まで積み上げられてて、鼠一匹中に入れないの……」
「じゃあどうやって書斎の手前まで魔術書を積み上げたんですか……?」
「超局所的な転移魔術で魔術書だけ外に放り出している」
「どうやって片付けようかこっちが本気で悩んでるのに!?」
「何度か呼びかけちゃいるが返事もねえ。そのくせ、この10日の間に新たに4冊増えやがった」
「ほぼ2日に1冊ペース!?」
シキガミの目を通して目の前に新たな魔術書が降って湧いてドスンと音を立てた時は本気で肝を冷やした。もういっそフェアリーがどうのという理屈はかなぐり捨ててそういう魔物として斬り捨ててしまおうかと本気で考えたほどだ。
それにしても約50年でこの惨状なのだから異常なまでの速筆家だ。これが娯楽冊子であれば担当編集は嬉しい悲鳴を上げるだろうが、実際は取扱いに注意が必要な危険な魔術書だ。魔術師がストレートに悲鳴を上げる。
「だがまあ、その時に判明した朗報なんだが、一見無秩序に積み上がってるが書き終わった魔術書は暴走が起きない場所に積み上げるだけの分別はあるらしい」
「だ、だから、し、執筆時期が新しい順に……書斎から持ち出せば、暴走は起きない……から、作業が始まればこれ以上増えることはない……はず」
「なんにせよ、もう明日から取り掛かった方がよさそうだ」
さっさと取り掛からねば本当に隙間なく埋め尽くされる。机周りの詳細が不明だが、しかし部屋全体の状況はおおよそ掴めたのは大きい。
本格的な作業は明日からでこの日は休むこととしたが、最初に書斎を見せられた時ほど絶望的な状況ではないようだということが判明しただけ、精神的負担はだいぶ和らいだのだった。





