最悪の黒-133_湖都ラッセル自治州
霧の中をひたすらに馬車を進め続ける。
先程フェアリー族が現れる直前に濃くなった霧は依然として視界を塞いでおり、タマの鼻先より先は道すら見えない。それでも直進するよう指示を出すと、御者に忠実でありながら知能の高い竜馬は「本当にこっちでいいのか?」と何度か振り返った。
だがザラは相変わらず意味深に笑みを浮かべているだけだし、飴を渡したフェアリーも案内することなくどこかへと飛んでいった。直進するしかないのだ。
そしてそのまま数分――しばらく進むと奇妙な風がハクロたちの全身を通り抜けた。
「…………」
まるで空気でできたカーテンや滝に頭から突っ込んでいくかのような、何とも言えない感覚だった。
そして次の瞬間、ざあ、と波が引くように霧が晴れて視界が広がった。
「え!?」
リリィが荷台から身を乗り出しながら声を上げる。箱の中に引きこもっていたティルダもほとんど頭を出し、その光景に目を瞬かせていた。
それは森だった。
黄金の幹に翡翠色の葉が生い茂り、所々に深紅の果実がぶら下がる。木々の間には蒼い泉が点在し、苔むした大地を潤している。
ただしその全てが光り輝く魔力を発す魔石で形成されていた。
単なる魔石の塊というわけではない。一見するとひび割れた樹皮や葉脈、水面のうねりのようなそれが全てが魔力の流れによってそう見えているのだ。
つまり固体としてそこに存在すると同時に、魔力としての流動性を維持している。
「……どうなってんだ」
上を見上げると、さらに信じがたい光景が広がっている。
頭上にあるはずの空はなく、代わりに水面が広がり、その向こうに辛うじて太陽と思しき光の影が揺らめいている。光源としては何とも頼りないが手元が問題なく見えるのは、魔石の森その物が魔力反応により発光しているからか。
「……待て」
そこまで考えが至り、ハクロは無意識に喉元や胸に手を伸ばす。
多少の動揺で上がっているが、脈拍や呼吸は正常だ。
この世界来てすぐ、もしくは魔力濃度が著しく高いフーラオ山頂に数時間滞在して発症した魔力酔い――このような見るからに異常な魔力地帯にいながら、その予兆は今のところなかった。
「これだけの魔石が存在しながら、大気中の魔力濃度は外界とさほど変わらないってことか?」
フーラオ山頂のような吹き出し口ではなく、あくまで通り道。魔石としての安定性を持ちながら魔力としての流動性を奇妙なバランスで両立させているが故、大気中に溢れ出る魔力量そのものは人体に害がない程度に抑えられているようだ。
「あれ?」
荷台から身を乗り出していたリリィがスンと鼻を鳴らし、魔石の森の先に視線を向ける。
ハクロもそれに倣って身体強化の術式を発動させることで視力を向上させ目を向けると、木々の間を駆けるように飛び交ういくつかの人影があった。
全員、ドワーフであるティルダよりもいくらか背が低い程度で、幼い年頃のエルフに見える。しかしその足元は地から離れており、背中にはとても揚力を生み出せそうにない薄い翅が生えている。
「わ、私の目がおかしくなったんですかね……? フェアリーの方々がエルフの子供くらいの大きさに見えます……」
「いや、逆だ」
霧が晴れる直前に感じた違和感はこれだったらしい。
「伸縮の魔術……この場合は魔法か」
「え!? ってことは私たち、もう湖都の中にいるんですか!? いつの間に!?」
「そういうことだろうな」
だとしたら、この魔石の森についても辛うじて合点がいく。
この純度の魔石で形成された森など、ハスキー州都の抱える鉱山をひっくり返しても足りないだろう。いくらこの世界の魔力濃度が高すぎるとは言え、この規模の魔石鉱脈が存在するのであればこちらの方に地脈の吹き出し口が形成されるはずだ。しかし一般的なエルフと比較し、縦横比約10分の1、体積で言うと1,000分の1の体格であるフェアリーサイズだと思えば、まだ納得できる規模だ。
「ようこそ、フェアリーの都――湖都ラッセルへ」
悪戯成功。
そんな意図が感じられるような声音で、荷台に腰かけたままのザラが小さく笑いながら尾を揺らしていた。





