最悪の黒-131_再確認
その後、ハクロとリリィは本当にとっ散らかったギルド宿の掃除を手伝わされた。
それだけでなく、ここまでの移動のために積んでいた予備の食料を徴収され、厨房に僅かばかり残されていた保存食と合わせて夕食の準備までさせられるというおまけつきだ。
ちなみにカウンターに座っていた老ホビットはというと、「んじゃ」と碌な挨拶もなしにザラに宿の鍵を渡すとどこかへと去っていった。
「なんなんだこのギルド宿」
「諸事情というモノがあるのデスよ」
塩漬けの野菜と燻製肉を水で煮込んだだけのスープと煉瓦のような硬さに焼き締めたビスケットを配膳しながら、ザラは感情をくみ取りにくい表情を崩さない。
「ラッセル湖はフェアリー族の都という誰でも招かれるわけでもない街しかないのデス。そんな生産性の低い場所に商人ギルドが宿と管理人を置いているだけでもありがたい話じゃないデスか」
「フェアリーの魔法があるんじゃねえのか」
「魔法は素晴らしいデスが、魔術化にかかる費用、湖周辺の魔物事情を天秤に乗せると、宿の維持管理は最低限にしかかけられないそうデスよ」
「その管理人はどこ行った」
「ココよりも安全な場所にある自宅に」
「通いかよ」
「ていうかここ安全じゃないんですか!?」
ザラの言葉にぎょっとリリィが目を見開く。だがザラは愉快そうに瞳を細めながら口元に指をあて、「オヤオヤ」とうそぶいた。
「何せ湖底の魔石鉱脈の影響で魔物は湧き放題、野生の魔獣は厳選された粒揃いデスよ。そりゃあもう、美しくも雄大な湖畔はカニス大陸屈指の危険地帯でゴザイます」
「ひえええええっ!?」
「とは言え、皆サンの馬車を引っ張ってきた竜馬のおかげで大抵の魔物や魔獣は近付きマセンよ。加えて、ハクロさんという大陸屈指の傭兵まで滞在なさってイマス。ここよりも安全な場所などそうそうありマセンよ」
「それもそうですね」
「おい」
手のひら返してケロリと安堵のため息を吐いたリリィに思わず声が出る。確かに旅の道連れとして危険な魔物などが近寄ってきたら率先して排除するつもりではいるが、それに胡坐をかかれて危機管理を疎かにされては困る。
「トコロデ」
ちらり、とザラが視線を動かす。
その先には先程から三人の会話に口を挟むことなく、じっと無言を貫いている木箱があった。
「……こちらのお嬢サンへの挨拶はまだできない感じデスか……?」
「まだ無理そうですねー」
「あと3日は待て」
「エェ……」
「…………」
流石のザラも困惑気味の苦笑を浮かべる。
木箱の中身はもちろんティルダだ。宿の中でザラとやり取りを交わしている間に馬車の納車とタマの移動を済ませてくれたのだが、その後見知らぬ人物の気配を察知して馬車の木箱に引きこもってしまったのだ。
止むを得ず、リリィと2人で木箱ごと運び出して宿の食堂まで運び込んだのだが、その蓋は未だに貝のように閉じられたままだ。
「ティルダさーん、お夕飯できましたよー」
スープの入った椀と匙を手に持ち、蓋の近くで左右に振るリリィ。するとカタンと中から微かに物音がしたかと思えば、にゅるりと腕だけが伸びてそっと椀と匙を受け取り、再び引っ込んだ。
「……なんか、こういう生き物がいた気がしマスね……」
「地中に巣穴を掘るエビか何かか?」
「ああ、たぶんそんな感じデスね……」
存外言い得て妙かもしれないとハクロは肩を竦ませた。
エビは外殻は堅くとも中身は旨味が詰まっていて美味だ。
「んじゃ、約一名顔合わせは済んでなくて悪いが、依頼の確認をしたいんだが」
「ええ、ええ。お食事をしながらでよろしければ」
話を切り替えると、ザラはいつも通りの笑みを浮かべてパチンと両の手を小さく合わせた。何かの合図かと視界の端で捉えていると、彼女は一度礼をしてから匙を手に取り、スープを口に運んだ。
「……いただきます」
「いただきます!」
「…………ます」
リリィは暢気に、箱の中のティルダは消え入るようにハクロの言葉に続いて食事を始める。一方のハクロはというと、こんな些細なルーティーンまで把握されているらしいという事実に若干の不快感が浮かび上がった。
「依頼内容デスが」
獅人族らしからぬピンと伸びた背筋と優美なカトラリーマナーを保ちながら、ザラは静かに言葉を続ける。
「ハクロさんとティルダさんにはワタクシと共に湖都へ同行してイタダキ、魔術書の書架整理の手伝いをしてイタダキます。リリィさんは……まあ、そうデスね。あの街では薬師としてのお仕事はないと思いマスので、整理した魔術書の搬出をお願いしマショウか。期間は10日を想定していマスが、早く終わっても同等の報酬額が支払われる予定デス。時間がかかった場合も、心ばかりではありマスが金額を上乗せする用意がありマス」
「だとよティルダ。2日で出てこい」
「…………ぅ……」
「あの、その魔術書の搬出って私がやってもいいんですか?」
当然と言えば当然の質問がリリィからなされる。表向きとは言え、今回の依頼でハクロに声がかけられたのは、一定レベル以上の魔術書の取扱いを許された魔導具技師の資格を持つティルダと同じ傭兵大隊に所属しているからだ。搬出だけとは言え、傭兵でも魔術師でも技師でもないリリィが触れていいものなのか疑問に思うのも当然だろう。
ザラはそれに対しニコリと胡散臭く微笑みながら頷いた。
「問題ありまセン。適切に処置さえすれば湖都の魔術書はただの書籍と変わりまセンからね。普通に木箱に積み込んで、こちらの宿まで運び出してイタダケると助かりマス」
「わ、分かりました!」
「……っつーことは、中の方がよっぽど取っ散らかってるってことか」
「ええ、マア……」
「…………」
箱の中のティルダからも沈鬱な無言が伝わってくる。
流石にティルダには盗賊ギルド云々については伝えていないが、職人ギルドも魔術ギルドも関与を拒否している湖都からの依頼ということで、その魔術書の出所についてはおおよその見当はついているようだ。
魔術ギルド元副ギルド長ジルフェルン――彼が生み出す魔術書や魔導具の危険性からギルド籍を剥奪され、賞金首にかけられたのが約50年前だという。
つい最近も突発魔群侵攻を人為的に発生させる魔導具や地形に影響を及ぼす魔法の地図、さらにハクロの腰にもぶら下がっているポーチを作りだしたことから考えて、今も魔術を生み出し続けているのだろう。仮にその期間も魔術書を書き記し続けていたとしたら、その書斎は相当な惨状となっているはずだ。
面倒事の気配はプンプンするが、世に出回る前の魔術書に触れることができるという餌につられてここまで来てしまったティルダにはしっかりと覚悟は決めてもらう。
「まあ何にせよ、現場を見てからだな」
湖の外まで影響が出ていないということは致命的な状況にはなっていないということだろうが、外部に補助依頼を出さなければならないほど乱雑な魔術書斎など、軽く地獄である。
ハクロとしても、この世界の魔術の源流に触れられるまたとない機会ではあるが、そんな余裕があるといいんだがと、この時ばかりは祈るばかりだった。





