最悪の黒-129_源流
この世界における図書館の役割は、ハクロの元居た世界とそう変わらない。
書物による知識の保存――くだらない娯楽冊子から専門的な教本まで、この世界で発行されているありとあらゆる書籍が蔵書として魔術ギルドによって保管されている。
そしてハスキー州都程の規模の街ともなれば、王都に本館を置く図書館の分室と言えどかなりの蔵書数を誇る。特に技術方面に関する専門書の類は他地区の追随を許さないほどであり、見上げるほどの書架に所狭しと押し込められており、それがワンフロアまるまる使って占拠されている。それでいてどの棚にも抜け落ちたような隙間が空いているのを見るに、利用者はかなり多いようだ。
「『炎属性魔石の取扱い基礎』、か」
なんともなしにほどほどに厚い専門書を一冊手に取り、中身を開き見る。
魔術ギルドの許可なしで入れる一般書籍区画の蔵書だけあって、記録の圧縮魔術だけが施されている極めて基礎的な魔術書だった。ページごとに付与された術式に魔力を浸透させることで、記載された内容に対する注釈や細かい解説が魔力文字となって浮かび上がる。
ページをパラパラとめくりながら斜め読みによる速読で内容を把握し、ぱたんと表紙を閉じる。それを書架に戻して次の魔術書に手を伸ばそうとした時、隣から声がかかった。
「ナニカお探しの本でもゴザイますか?」
鬱陶しいほどにわざとらしい猫なで声。
ハクロは一つ溜息を吐き、伸ばしかけた手を引っ込めて声のする方に視線を移した。
そこにいたのは黒毛に金色の瞳の猫を彷彿とさせる顔立ちの獣人の女。ただし以前ハクロと会った時に纏っていた黒の僧服ではなく、魔術ギルド職員を示す深緑色のローブを身に着けていた。
「今日は僧服じゃねえんだな」
女の装いに目を向けながら周囲の気配を探ると、先程までちらほらと見えていたはずの利用者が一人もいなくなっており、床からは微弱ながらも不自然な魔力の流れが感じられた。どうやら人の無意識化に作用する類の人払いの魔術のようだった。
「ンフフ。この場所、このローブを身に纏っている時はただの司書でゴザイますよ」
「面の皮何枚持ってんだ」
「必要なダケ」
ケロリとそう端的に言いおおせた司書――ザラに肩を竦ませながら、ハクロは改めて訊ねた。
「あの依頼はあんたらからか?」
「イエイエ、あれはワタクシからデスよ。思ったよりも時間がかかりマシたが、例の人物との接触できそうデスので、ついでにご一緒いかがかと思いマシてね」
「……ああ、『教授』とやらか」
ルキルでの、というかラキ高原での一件以来音沙汰がなかったため半ば失念しかけていたが、そもそもザラと接触することになったのはそれが原因だった。あの時共に依頼を受けた「ロバーツ先遣隊」には緘口するよう言い含めはしたが、様子を窺うためギルドには報告として情報を流していた。だというのに何の動きも見せなかったということは、そうなのだろうと高を括っていた。
とは言え実際のところハクロとしてはどちらでも良かったため、それ以上は深入りはせず記憶の端に追いやっていたのだが、どうやら目途が立ったらしい。
「つーことは何か? 魔術ギルドを追放された元副ギルド長は湖都に逃げ込んで変わらず好き勝手しているってことか」
ルキルの教会でザラから聞いた情報を思い出しながら訊ねる。
人為的に突発魔群侵攻を引き起こす魔導具を制作したと目されるのは、盗賊ギルドから「教授」と呼ばれる魔術師だ。
過去に何をやらかしたかまでは興味がなくて調べていなかったが、当然ながら騎士団や傭兵ギルドから指名手配されて首を狙われているが、のうのうと法に触れるような魔導具作成を続けられるのは、法の手が届かない街に潜んでいるからということのようだ。
「そんな奴でも湖都には入れるんだな」
「ンー、それはチョット違いマスねー」
「あ?」
「彼は生まれてこの方、一歩もラッセル自治州から外に出ていないのデスよ」
口の端をにこりと持ち上げ、ザラは笑った。
「湖都にいながら魔術ギルドのナンバー2にまで担ぎ上げられ、そして勝手に追い出された異端のフェアリー族――それが『教授』ことジルフェルンという男のようデス」
「……ああ、そういうことか」
ふと思い立ち、ハクロは書架に手を伸ばす。
先程流し読みした魔術書とは別シリーズで、タイトルは「図説:魔石精錬の仕組み」だ。当然ながら著者は全く別の人物であり、発行年数も出版商会も異なる。
しかしながらそこに施されている情報圧縮魔術は寸分違わず同じものだった。
「あの依頼、確か魔術書の書架整理と言ったな」
「ええ、そうデスね」
「もしかしてそいつが、フェアリーの魔法を今世に出回ってる魔術として書き換えているのか」
世間で一般に入手できる程度の魔術書であるため規格が統一されていると言われればそれまでだが、それでもここまで全く同じ魔術が使用されているというのは薄気味悪い物があった。
他の術者の意図の介入を一切許さない、徹底して機械的に整えられた術式。
だがそれが1人の人物によって広められた魔術なのだとしたら、まだ納得のいく事象であった。
「いかがデスか?」
是とも非とも答えず、ザラはにこりと笑った。
「会ってみたくはアリマせんか?」
「……はっはー。いいな、興味深い」
元々断るつもりもない依頼ではあったが、そういう事情があるのであればなおさらだった。フェアリーでありながら、魔法を他種族でも扱える魔術へ変換させているらしい変人など、ルネを除いて他に知らない。
さらに言うならば、魔術として整理される前の原始的な魔法について知れるまたとないチャンスでもある。
ハクロの目的と、ルネの野望――そのどちらにとっても、有益な依頼となるのは間違いなかった。
「それでは決まりデスね。同行されるお二人のご予定もあるデショウし、準備が出来たら商人ギルド湖畔拠点までお越しください」
「あいよ」
こちらからは何も言っていないのに、当たり前のように連れて行く予定の人数まで予見されていることに肩を竦める。
そしてザラがこつんと床を爪先で蹴ると、遠くの方からいくつかの足音や配架作業のための台車を押す音が聞こえてきた。どうやら人払いの魔術が解除されたようだ。
「――そよ風と共に舞う花びらを」
ザラの口から聞きなれない言葉がこぼれる。魔術ギルドの見送りの挨拶だったはずだが、さて何と返すのだったかと記憶を漁る。
「――嵐を鎮める知恵者の指先を忘れず、だったか」
「ええ、ええ。それではまた12日後くらいにお会いしマショウ」
「…………」
拠点に戻り、リリィとティルダの予定とラッセル湖までの旅程を擦り合わせたところ、到着はぴったり12日後であった。





